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奈良まほろばソムリエ検定も来年1月で早くも12回目です。あと3カ月あまりに迫ってきました。検定範囲はとても広いのですが、実地にあちこちに出かけたりなかなかおもしろいものです。
HPによれば
奈良まほろばソムリエ検定とは
奈良ファンや奈良に精通している方々を認定するための検定です。
価値ある観光資源を持つ奈良をより多くの人に理解していただく一方、奈良を訪れる
皆さんに、そのすばらしさを伝えることができる人材の育成を目指します。
受験資格
指定する会場で受験可能な方であれば、学歴、年齢、性別、国籍等の制限はありません。
但し、「奈良通1級」、「奈良まほろばソムリエ」受験には次の条件が必要です。
奈良通1級
「奈良通2級」合格者であり、
一定の指定体験学習を受講した者
奈良まほろばソムリエ
「奈良通1級」合格者
出題範囲
歴史、自然、神社仏閣、史跡・名所、年中行事、伝統文化、伝統工芸、観光見所など、
奈良県の歴史や文化、観光に関する事項全般
特集問題※ 第10回より事前にテーマを公開する特集問題を出題します。
奈良通2級:「山の辺の道の寺社」10問
奈良通1級:「興福寺とその近辺」10問
奈良検定のHPです→https://www.nara-cci.or.jp/narakentei/
NPO法人 まほろばソムリエの会のHPです→http://www.stomo.jp/
支援セミナーもおこなわれます。
1年目まずは2級、そして来年1級、そして最上級のまほろばソムリエです。
2級は奈良だけでなく、東京でも受検できます。
ならら10月号は第69回正倉院展の特集です。出陳の品を紹介されています。毎年、特集されていてもう16回目とか。定価税込500円。器まつもりでも販売しています。
月刊なららのHPです→http://www.narara.co.jp/
今、工事中の平城宮跡歴史公園のチラシです。来年2018年3月24日、開園予定というニュースが伝わりました。以下のHPで概要がわかります。
国交省のページは→http://www.kkr.mlit.go.jp/asuka/heijo/
奈良県のページは→http://www.pref.nara.jp/27838.htm
10月22日(日)、大安寺では恒例になった、大安寺国際縁日がひらかれます。遠く奈良時代より前から、国際交流をしてきた大安寺での催しです。大安寺のHPです→http://www.daianji.or.jp/
天理図書館の有する「古典の至宝」展が、天理参考館で始まっています。3期に分けて開催されていますが、第1期を見に行ってきました。第1期は10月9日までです。
最初に、古事記、そして日本書紀、いずれも国宝です。藤原定家の書いた書もありました(明月記)。また奈良絵本も色彩豊かに展示されていました(小おとこ)。源氏物語も。井原西鶴も、松尾芭蕉の直筆の俳句も。りっぱな図録は1000円でした。
第1期の10月8日(日)には朝から、NPO 奈良まほろばソムリエの会の見学会があります。参考館や図書館の専門の方による解説付で拝見できます。80名まで。申し込みは、奈良まほろばソムリエの会へどうぞ。
午後から田辺征夫前奈良文化財研究所所長の講演会もあります。http://www.stomo.jp/osirase/pdf/osirase170901.pdf
天理参考館の入場料は400円です。
天理参考館のHPです→http://www.sankokan.jp/
天理市民文化センターでの講演会は資料代として500円です。
写真は天理参考館。
天理図書館も無料で入館できるということで、天理参考館から南東へ歩いて5分くらいでしょうか、はじめて訪ねました。本の閲覧もできますし、また貸し出しもできるそうです。わたしの高校時代の英語の先生の僅はじめ氏の『あとはよろしく』という存じている本もありました。
天理図書館のHP→http://www.tcl.gr.jp/index.htm
どちらも昭和5年(1930年)に中山正善真柱のころ建てられたということです。
どちらも戦前の建物でよく手入れされ、とても風格がありました。
奈良の鹿の角きりです。
江戸時代の初期1672年から始められたと伝えられています。ことし調べられた頭数は約1500頭。(いずれも以前まほろばソムリエの試験に出ています。)
ことしは、10月7日(土)・8日(日)9日(月・祝)行わなわれます。
鹿の愛護会のHPです→http://naradeer.com/
「なら記紀・万葉を味わい、楽しむ 第8回シリーズ講演会」のご案内
田辺征夫先生(奈良文化財研究所 前所長)講演会
(以下、専務理事の鉄田憲男さんの案内を紹介します)
NPO 奈良まほろばソムリエの会では「本物の古代と出会い、楽しめる奈良を学ぼう」とのテーマ で、記紀・万葉シリーズ講演会を継続開催してまいりました。 今回は日本考古学・古代史の権威者の田辺征夫氏を講師にお迎えし、以下の通り天理市で開催いたします。皆さまのご参加を心よりお待ちしております。
日時 平成29年10月8日(日)13時30分~15時00分(90分)
会場 天理市文化センター(天理市守目堂町 117)
講演 田辺征夫氏(奈良文化財研究所 前所長)
演題 「法隆寺再建・非再建論争の学際的評価」
■参加料 資料代として 500 円(当日会場受付にて)
■講演会お申込み・お問合せは
● Eメール info@stomo.jp
● FAX 0742-90-1414
● 電話 080-9601-5813
● ハガキで〒630-8001 奈良市法華寺町 254-1
奈良ロイヤルホテル内 奈良まほろばソムリエの会宛
の何れかで、氏名・住所・電話番号をお知らせ下さい(定員250名、定員になり次第締切)。
■当日午前中、史跡ハイクや天理参考館特別展見学などの行事も実施します(お申し込み・お問い合わせは当会へ) 。
■主催 NPO法人 奈良まほろばソムリエの会/後援 奈良県、天理市
http://www.stomo.jp/osirase/pdf/osirase170901.pdf
法隆寺再建・非再建論争とは何か。『世界大百科事典』の「法隆寺再建非再建論争」には、このように書かれている。一部抜粋すると、
法隆寺西院伽藍の金堂,塔,中門,回廊が7世紀初めの推古朝創建の建造物であるか,あるいは一度焼亡して再建されたものであるのかについての論争。同伽藍が日本最古の建造物であることから,建築史,美術史,日本史,考古学の諸家によって19世紀末から半世紀にわたって論争された。
非再建説は飛鳥,白鳳,天平と変遷する建築様式論に基礎をおくが,特に西院伽藍建造の使用尺度が大化以前の高麗(こま)尺であるという関野(貞)の尺度論が重要な論拠となった。喜田(貞吉)は《日本書紀》の記事の信拠性とともに,白鳳・天平様式とされる建造物の年代が下ることを主張した。
その後南大門の東にある若草伽藍の塔心礎が注目されるようになり,喜田も関野も天智9年焼亡の寺は若草伽藍と考えるようになったが,喜田が若草伽藍の焼亡,西院伽藍の再建と考えたのに対して,関野は両伽藍が推古朝から併存したと考えた。
39年足立康(1898-1941)が関野と同様の二寺併存による非再建説を唱え,第2次論争がおこるが,同年12月石田茂作(1894-1977)による若草伽藍の発掘と45年以来の金堂と塔の解体修理によって明らかになった新事実によって,論争は決着をみた。すなわち,
(1)若草伽藍と西院伽藍の中心線の方向が16°違うので,両者は併存しない。
(2)出土軒瓦は若草伽藍が西院伽藍より古い。
(3)金堂の礎石,壁の下地材は転用材である。
(4)金堂天井発見の落書は推古朝までさかのぼらない
などの諸点から,天智9年に若草伽藍が焼亡し,西院伽藍はそれ以降に再建されたものと考えられるに至った。[今泉隆雄]
『世界大百科事典』はこのように記述しているが、実際に発掘に当たった田辺氏は、どのような自説を展開されるのか、これは興味深い。
開催場所は天理市役所西隣の「天理市文化センター」だ。よく似た名前の施設が天理駅の近くにあるが、決してお間違えなきよう。たくさんのお申し込みをお待ちしています!
(以上、鉄田さんの案内より引用させていただきました)
ことしの正倉院展も来月に近づいてきました。会期は、 平成29年10月28日(土)~11月13日(月) 全17日です。
HPによれば
本年の正倉院展には、北倉10件、中倉25件、南倉20件、聖語蔵3件の、合わせて58件の宝物が出陳されます。そのうち初出陳を含むものは9件です。正倉院宝物の全貌が概観される内容となっておりますが、仏・菩薩(ぼさつ)への献物(けんもつ)と考えられる品々を含めた仏具(ぶつぐ)類の充実や、佩飾品(はいしょくひん)や帯などの腰回りを飾った品々が多く出陳される点が特色となっております。また、宮内庁正倉院事務所による最新の整理、調査の成果を反映した宝物が数多く出陳されることも特筆されます。
聖武天皇ゆかりの北倉からは、記念切手にも採用された高名な羊木臈纈屛風(ひつじきろうけちのびょうぶ)が出陳されます。樹下に羊を大きく表した異国情緒溢(あふ)れる図様(ずよう)が目を引きますが、わが国で作られたことが確実視されており、天平期における西方文化の受容を顕著に物語る遺例として注目されます。一方、鋳造された鏡2面はいずれも唐で製作されたと考えられるもので、海外よりもたらされた珍貴な品々に囲まれた聖武天皇のお暮らしぶりが偲ばれます。
また、アッシリアに起源を持つとされる楽器・箜篌(くご)の貴重な遺例である漆槽箜篌(うるしそうのくご)、インドに起源を持つ迦楼羅(かるら)の面、同じくインドに起源を持つ迦陵頻伽(かりょうびんが)があしらわれた最勝王経帙(さいしょうおうきょうのちつ)、ペルシア起源の器を中国で写したと考えられる緑瑠璃十二曲長坏(みどりるりのじゅうにきょくちょうはい)やわが国で製作されたと考えられる金銅八曲長坏(こんどうのはっきょくちょうはい)、異国情緒溢れる金銅水瓶(こんどうのすいびょう)などの宝物からは、各地に源流を持つ文化が結集し花開いた、国際色豊かな天平文化の様相がうかがわれます。
このほか、素材やかたち、製作地の異なる杯(さかづき)や伎楽面(ぎがくめん)、税として各地から貢納された麻布(あさぬの)や絁(あしぎぬ)、地方行政に関する文書(もんじょ)や東大寺の荘園に関する文書・地図などを通じて、奈良時代におけるわが国の国家形成や内外の交易についても、思いを馳せていただければ幸いです。
会 期 平成29年10月28日(土)~11月13日(月) 全17日
会 場 奈良国立博物館 東新館・西新館
休館日 会期中無休
開館時間 午前9時~午後6時
※金曜日、土曜日、日曜日、祝日(10月28日・29日、11月3日・4日・5日・10日・11日・12日)は午後8時まで
※入館は閉館の30分前まで
奈良もちいどのセンター街から元林院町に抜ける四ノ室辻子(しのむろのずし)は細い道です。傘をさしてすれ違いできない道という路地です。
その細い道に面した「樹樹」というお店が20年前にオープンしました。開店間もないころ、商店街の先輩、H田さんに連れられて行って以来20年経ち、6月には20周年ということでした。
いまから6年前、14周年のころ、わたしは『鹿鳴人のつぶやき』に樹樹のことを書いていました。→http://narabito.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-11a9.html
多くの人に出会えたのは、平田夕記子さんの存在があったればこそのことでした。
そんな常連客のひとりで時にお話も弾んだ、現在、帝塚山大学の教授の西山厚先生がお店の最終日の9月20日に、毎日新聞奈良版のご自分のコラム「風に吹かれて」に、樹樹のことを書いておられます。
20年続けるとは思わなかったという夕記さんの言葉ですが、ほんとうにこの店の常連たちはこれからどこへ行くのでしょうか。ともあれ、20年間、お世話さまでした。お疲れさまでした。
※起業家支援施設「きらっ都・奈良」出身の優秀なビデオカメラマンの坂本佳太くんによるご挨拶の樹樹のビデオです→https://www.facebook.com/haru222?fref=ts
追記
最終日に行ってきました。西山厚先生、毎日新聞の花澤茂人記者らとご一緒になりました。真ん中、平田夕記子さん。記念撮影です。(撮影、坂本佳太くん)
「話を聞いた大前さんの「仕事」については、こちらのミユキデザインのHP
企画プロデュースのところから、いろいろな事業を見られます。
http://miyukidesign.com/?post_type=project
サンデービルヂングマーケット ファンタスティック不動産
カンダマチノート まちでつくるビル
などが、14日の話に出てきた事業です。
やながせ倉庫については、こちらです。
11月19日(日)、ドヴォルザークのレクイエムの演奏会があります。奈良県文化会館国際ホールにて、午後13時開場、13時30分開演です。
指揮は下野竜也さん。ソリストもソプラノ木下美穂子さん、アルト福原寿美枝さん、テナー福井 敬さん、バリトン三原剛さんという錚々たるソリスト陣です。オーケストラも、京都市交響楽団。
合唱は地元の奈良フロイデ合唱団で、第35回記念定期演奏会ということです。ちなみに、わたしの知り合いも出演します。
チケットは全自由席5000円。いま、チケット販売の真っ最中です。わたしの方でも少々チケット預かっていますので、入用の方どうぞコメント欄にご連絡ください。
あるいは奈良労音へご連絡くださいとのことです→nararouon@yahoo.co.jp
ことしの采女祭りは、中秋の名月が10月4日のため、10月に入ってから行われます。
画像はクリックすると拡大します。
今年から、天平衣装を着て采女祭に参加しようという募集もされています。当日14時から19時頃まで。定員30名。料金は衣装のレンタル料、ガイド料が含まれています。申し込みは奈良市観光協会へ→https://narashikanko.or.jp/naratime/ja
TEL0742-27-8866
昨年、東大寺・金鐘ホールで公演され、ラジオでも放送され、好評であった朗読公演「みつめればそこに」です。わたしもどちらも拝見、拝聴しました。
そして、この10月9日に奈良県立図書情報館で11時と15時の2回公演されるということです。写真家の入江泰吉さんの半生を描いた物語です。おすすめです。料金は1000円。
ホームページからの申し込みは→http://www.library.pref.nara.jp/event/
問い合わせはTEL0742-34-2111へどうぞ。
10月14日(土)、11時から、ピアノと能の響演「重衡」が開かれます。上記チラシです。ピアノの榊原明子さんやチェロの水谷川優子さんら豪華キャストです。入場料500円(先着500名。)http://nara-kokushoubun.jp/events/naf/?post=4754
そして14時からは復曲能「重衡」が行われます。下のチラシです。別にチケットが必要です。
場所は、どちらも奈良公園の奈良春日野国際フォーラム甍~I・RA・KA~の能楽ホールにて。
http://nara-kokushoubun.jp/events/naf/?post=6931
追記 産経新聞より
復曲能「重衡」 奈良で18年ぶり上演へ 10月、ピアノ「響演」も
2017.9.20 08:03
更新
南都攻撃の大将だった平重衡(しげひら)を描いた幻の復曲能「重衡」が人間国宝の観世流能楽師、大槻文蔵さんによって10月14日、奈良市の奈良春日野国際フォーラム甍(いらか)で上演される。奈良では平成11年以来、18年ぶりの上演。「第32回国民文化祭・なら2017」の一環としてピアノと共演するダイジェスト版も同日に企画されており、奈良ゆかりの古典の復曲能と現代的な表現が鑑賞できる貴重な機会となる。
重衡は栄華を誇った清盛の5男で、南都焼き討ちの大将となった。東大寺大仏殿や興福寺などが焼けたため、仏敵とされ、最期は木津川で斬首された。
復曲能は東大寺などが焼けたことへの後悔、苦しみを抱きながらも戦いに身を投じてしまう姿を描いた作品で、奈良坂から見える仏閣を案内する「奈良の名所教え」も魅力の一つ。室町時代に作られたがその後演じられず、昭和58年に復曲され、奈良では平成11年に興福寺で重衡の追悼供養として演じられた。
今回は、文化関係者らでつくる「伝統の未来を見つめる会」(奈良市、菊池孝代表)などが奈良発祥の能に親しみ、この曲が平和を考えるきっかけになることを願って企画した。当日は午後2時の開演。S席9千円、A席7500円、B席5千円、学生優先席3500円。
また午前11時からは、「ピアノと能の響演『重衡』~1180年 治承四年十二月二十八日夜半 一本の松明から事件は起こった」が上演される。「ピアノで奈良を奏でる会」(奈良市、榊原明子代表)などの主催で、大槻文蔵さんと大倉流小鼓の久田舜一郎さん、ピアノの榊原明子さん、笙の伊藤えりさん、チェロの水谷川優子さんが共演する初公開の演目で、「奈良の名所教え」を中心に制作された。500円(先着500人)。
伝統の未来を見つめる会では「人間の罪、愚かさを許せるメッセージを発信できるのは奈良のみ。奈良から平和のメッセージを発信したい」と話している。
問い合わせは、「伝統の未来を見つめる会」「ピアノで奈良を奏でる会」((電)080・9601・6014)。
先日、農村文化の魅力を未来へ伝えるシンポジウムがあり、前半だけ聞いて来ました。
冒頭、御所市鴨都波神社のススキ提灯献灯行事があり荒井知事のあいさつがありました。
画像をクリックすると拡大します。
基調講演「農村文化と地域活性化」の演題で藻谷浩介氏(日本総合研究所、調査部、主席研究員)の1時間くらいの講演を聞きました。
以前にも、藻谷氏の講演は奈良市役所で聞きました。
藻谷氏の著作『デフレの正体ー経済は「人口の波」で動く。』、『里山資本主義』なども読みました。
今回の講演をメモしておきます。
1000年後に残っているものは、春日大社、東大寺、興福寺ほか。
社寺のほかには?
新幹線やリニアといっても100年くらいで1回、1000年では10回やり変えなければもたない。
1000年後残るのは、1000年前にもあったもの。山河、田畑である。
豊かな土と水のある限り、森と農地は残ります。
といっても、農山村が消えれば農山村の文化が消え、農山村ものこりません。
地域活性化って何ですか?→人口が減らないこと。
若者が戻ってきて子供が生まれること。
誇りを持って地域を残すこと。
40年前、バブルの頃、ヤングと呼ばれた人が60代70代になっている現在、田中角栄のころの、田舎から都会へ、という考えはもう古い。すべて時代は変わっているのです。40年前の考えはもういまは通用しない。
人口の状況。人口構成。
奈良県香芝市、大阪市、首都圏を分析すると、どこも結局、14才以下の子供も、15才から65才も減っている。
ところが65才以上は増えている。
人は年をとるのだから、それを考慮しておかなくてはいけない。
奈良県の市町村別、お隣の木津川市などのデータ。
教育=今日行く所、教養=今日やる用事。
都会から、農山村で住む人を住みやすいように提供する。島根県海士町で長年努力しているのが参考になる。
都会は高齢者になるとすることが少ないが、農山村なら高齢者もすべき仕事がいくらでもある。
後半のパネルディスカッションは所用のため、聞けませんでした。
画像はクリックすると拡大します。
9月23日(祝)清酒・日本酒発祥の地フェスタがおこなわれます。
奈良市、伊丹市、出雲市を順に持ち回りのフェスタということです。
HPによれば、
室町時代、奈良市の正暦寺で造られたお酒が日本最初の清酒と主張する奈良市と、同じく「清酒発祥の地」を主張する兵庫県伊丹市、「日本酒発祥の地」を主張する島根県出雲市が、対立せず連携して地酒のPRをすることを目的に、「日本酒にまつわる講演会」と「奈良市・伊丹市・出雲市の地酒の試飲会」を開催します!
会場・参加方法が異なりますので、くれぐれもお間違えのないように!
たくさんのご来場をお待ちしています。
※各会場、ご来場は公共交通機関でお越しください。
とのことです。
くわしくは以下のHPをご覧ください→清酒・日本酒発祥の地フェスタ
画像はクリックすると拡大します。
春に続いて秋は、9月15日から11月19日まで、興福寺仮講堂で、阿修羅 天平乾漆群像展がひらかれます。
興福寺のHPです→http://www.kohfukuji.com/
不染鉄、没後40年幻の画家、の展覧会が奈良県立美術館で9月9日からはじまりました。11月5日まで開かれます。奈良ゆかりの画家ということです。
くわしくはHPをご覧ください→http://www.pref.nara.jp/item/182814.htm#moduleid44968
いつも楽しみにしている,奈良新聞の川嶌一穂さんの美ビット見て歩き、今回は、大阪千里にある、国立民族学博物館の開館40周年記念特別展です。10月10日まで。
江戸時代末期の、ドイツ人のシーボルトの集めた日本の品々です。
「よみがえれシーボルトの日本博物館」展。
ちょうど先日お話を聞いた、奈良民俗研究所の鹿谷先生もこの展覧会を紹介されていました。
以下本文を。
美ビット見て歩き 私の美術ノート *55 川嶌一穂
国立民族学博物館開館40周年記念特別展「よみがえれ!シーボルトの日本博物館」展
本展では、シーボルトの編んだ日本植物誌、動物誌、日本で収集した日本地図をはじめ、おろし金から僧侶の帽子に至るまで様々な品が展示されている。狩野探幽筆ではないかとされる「貝之図」と漆工芸品を除けば、美術的に価値のあるものはそれほど多くない。価値よりは、網羅することを目指したコレクションだ。
フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(1796-1866)は今で言うドイツ人である。言うまでもなく江戸時代、長崎に来ることを許された西洋人はオランダ人だけだ。何故シーボルトは1回目、1823年からの6年間、2回目、1859年からの3年間、つごう9年間も日本に滞在できたのか?
オランダ船が長崎に入港すると、長崎奉行所の役人と通訳が船に乗り込んで取り調べる。通訳はシーボルトのオランダ語が少々変っているのに気付いたが、「山オランダ人」の訛だと見なされて、出島滞在を許された。実際にシーボルト来日の数年前、オランダ語のできないベルギー人医師が、入国を拒否されている。恐るべし!鎖国日本の外交力。
当時、西洋で湧き起っていた民族学への関心を背景に、彼もまた西洋で日本を最初に紹介する「日本博物館」の設立を構想していた。1837年にオランダ国王に宛てた設立計画案の中で、彼はその目的を「貿易国や植民地などヨーロッパ以外の国々を対象とした国土と民族についての知識を広げること」としている。
当時すでに200年も国を閉ざし、植物の固有種だけでもイギリスの10倍も存在する、多様性に富む日本は西洋人にとって格好のフィールドだった。一例をあげると、来日2年後に彼がバタヴィアに送った種子から増えた茶の木が、オランダ領東インド産の茶として輸出され、オランダに大きな利益をもたらしたという(高橋輝和著『シーボルトと宇田川榕菴』)。
会場に「日本の宗教」と題されたコーナーがある。第2次帰国の後に、彼がアムステルダムで実際に開いた日本展示の再現である。中央の阿弥陀三尊像の背後に、極彩色の彫刻で縁取りされた花鳥画の屏風が鎮座する。私たち日本人からすると奇妙奇天烈な展示だが、「見られる側」の違和感はいつも置いてきぼりだ。
昨年東京で本展を見て非常に心ひかれ、以来わたしの中でシーボルトがちょっとしたブームだ。在NY日本国総領事館のHPで、日本遠征艦隊の司令官に任命されたペリーに、シーボルトが自分も参加したいと申し出るが断られた、という興味深い逸話を見つけた。そう言えば、鎖国日本の扉を開けたのが、オランダではなくアメリカだったのも不思議な気がする。どこまでも興味の尽きないテーマなのである!
=次回は10月13日付(第2金曜日掲載)=
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かわしま・かずほ
元大阪芸術大学短期大学部教授。
メモ 国立民族学博物館 大阪府吹田市千里万博公園10-1。電話06(6876)2151。大阪モノレール万博記念公園駅から徒歩15分(会期中の土・日・祝日に無料シャトルバス運行)。会期は10月10日(火)まで(水曜日休館なのでご注意下さい)。
国立民族学博物館(大阪)のHPです→http://www.minpaku.ac.jp/
先日、奈良まほろばソムリエの会の交流会で、奈良民俗文化研究所の鹿谷勲先生の講演を聞く機会がありました。日ごろ、毎日新聞の連載や奈良新聞の連載でもお目にかかっていますし、とある、ならまちのお店でもお会いしたことがあります。
鹿谷勲先生のプロフィール、大阪出身、奈良市在住。東京都立大卒業、元奈良県教育委員会文化財保存課(無形民俗文化財)、元奈良県立民俗博物館学芸課長。
現在、奈良民俗文化研究所所長。
この日は「大和のモノについて」という題で2時間あまりに及ぶお話でした。
とくに印象に残ったところをメモします。
最近の電車の中の若い人の様子から、近頃のこと。
・あるく・見る・きく民俗学
1、歩く・見る・聞く
2、書く・集める・比べる 記録・集積・比較 とうみ、手作業の農機具がいまデジタルの器械にも応用されている
3、考える・活かす 研究・考察・活用 ・・・活用が大事である
民俗学の方法として、
・柳田国男の方法、なるべく自分の家の近くから。何回も行きやすいところ。精確かつ忠実な記録をetc。『青年と学問』より。『遠野物語』などの著作
・宮本常一の方法、柳田国男の影響を受けた。一度いったところへ二度行く。ギブアンドテーク。『日本の民俗1、民俗学のすすめ』
・自分だけの探訪ノートを作る。
・民俗文化財、「衣食住、生業、信仰、年中行事等に関する風俗習慣、民俗芸能、民俗技術及びこれに用いられる衣服、器具、家屋、その他の物件で我が国民の生活の推移の理解のために欠くことができないもの」(文化財保護法第2条の5)
・民具、「モノ」の世界、
奈良町モノ語り調査(奈良まちづくりセンター2016~)
講演では奈良県のいろいろな民俗、モノなどのたくさんのスライドを拝見しました。なつかしいモノもありましたし、そのまますっかり忘れているようなものもありました。ちゃがゆの袋など。いろいろ集めて整理するとなかなか貴重なものだと思いました。
くわしくは
奈良民俗研究所のホームページ「なみんけん」をご覧ください→http://naminken.wixsite.com/naminken
書棚にあった、鹿谷先生の「奈良民俗紀行」西大和編(京阪奈情報教育出版発行、あおによし文庫、1300円+税)を再び読み始めました。実際に行かれて、地元の人の話などを聞かれたお祭りや行事、私などなかなか行く機会がありませんのでとても勉強になります。
9月2日から12月13日まで、神が遺した秘宝ーー春日大社は平安の正倉院ーー展がひらかれています。日本語、英語、中国語の表示のチラシです。
春日大社のHPです→http://www.kasugataisha.or.jp/
新聞に1ページの全面広告が出ていましたが、ウィクリーの「ニッポンの国宝100」という本が出ました。
小西通りの啓林堂の店頭では、旧知のNさんがこの本を販売中でした。「ニッポンの国宝100」が山積みされています。初回は、税込500円。おまけもついています。
早速、買いました。
やはり、本は地元の本屋さんで買うことをおすすめします。
この本にも関わっている旧知の友人のKさんからのおすすめのメールを紹介します。
「けさの朝刊に宣伝が載っていますが、小学館「ウィークリーブック ニッポンの国宝100」が今日創刊されます。
第1号は阿修羅像と風神雷神図屏風
このように毎号、2つのジャンルの異なる国宝を紹介していく50冊のシリーズです。
阿修羅は、高校入試の試験問題にも出ましたし、思い出深い仏像です。
よくぞ天平時代から何度もの被災をくぐり抜けて残されたものと思います。
実物大で掲載する頁があり、その魅力に迫ります。
このシリーズの最後の頁に「写された国宝」という連載があり、明治初期から国宝がいかに記録され、また写真家によって表現されてきたかをたどります。この特集を担当しておりますので、店頭でご覧ください。
今や全国の2割の市町村に書店がないという事態ですから、店頭というのもなかなか難しい。
私の住んでいる町も、家を出てすぐの場所に、小さな本屋さんがありましたが、つぶれてしまい、神保町ですら、大型書店がなくなってABCマートになる時代。
初回500円で、鳥獣戯画の模様があるトラベルケースが付いています。
全巻予約すると国宝図書カード500円、3枚セットプレゼントというビックリの小学館が久しぶりに力を入れている企画です。」
9月23日(祝日・土曜日)大安寺では、劇団高円の公演、かすむ里山月は流れてーー道慈の夢・追憶編ーーが行われます。18時30分開場、19時開演、チケット代金は2000円です。くわしいHPはこちらです。→http://web1.kcn.jp/gekidan-takamado/
国民文化祭・なら2017、全国障害者芸術・文化祭なら大会の公式ガイドブックです。これから11月末まで各地で文化的な催しが行われます。
9月2日には大仏殿前でのオープニング「開会式」があり、出席してきました。南大門前から中門前まで、全国の障害者の人の描かれた、幡がありました。担当のH田さんにも会いました。
上弦の月が見えました。
開会式には夕方18時前に入場、1時間ほど待ち、19時開始されました。(開会中は撮影NOでした)
多くの知り合いにも会うことが出来ました。
眼の前のびんづるさんの前に、大会の旗、日の丸、奈良県の旗が準備されていました。
総合司会は、奈良市出身の八嶋智人さんとアシスタントの女性。八嶋さんこういう公式な司会もうまくこなしていました。
最初に、東大寺僧侶による大仏様への読経。天平の響き、笛などの演奏。国歌斉唱。
主催者の文科相や厚労相のあいさつ、荒井知事のあいさつ。
皇太子殿下おことば(ご夫妻で来られていました)。
歓迎の辞、などの式典があり開会宣言がありました。
そしてフェスティバル第1章は「源流の刻(とき)」伎楽、舞楽、文化交流・融合。
第2章は「進化の刻」は奈良豆比古神社の翁舞。
月ヶ瀬村の子ども狂言「伊呂波」。
奈良女子大生の書道パフォーマンス「やまとしうるわしおもしろし」
第3章は「開眼の刻」
創作パフォーマンスで一条高校ダンス部やバサラ踊り隊「華鹿」ら。
雅楽やオーケストラや和楽器集団の演奏。
遣唐使の僧侶「普照」
エピローグは障害のある人と音楽舎まほらの創作パフォーマンス。
最後の合唱はヤマトタケルの和歌ともう一つの詩を合わせた、新井満さんの作曲の「やまとしうるわし」の大会イメージソングを女声合唱と出演者、会場の人たちで歌いました。
皇太子夫妻も来られ、2000人が入場していたそうです。
この開会式の様子のダイジェストは、9月9日(土)15時50分から、NHK総合テレビで放送されるということでした。
夜はすっかり秋の涼しさで、わたしは上着を着ていたので3時間すごせましたが、半袖の人は相当寒かったそうです。
11月30日まで奈良県下、39市町村で毎日、催しが開かれるということでした。くわしくはHPをご覧ください→http://nara-kokushoubun.jp/
国宝の八角灯籠や大仏殿への階段、そして正面がすばらしいステージになっていました。晴れて大仏様の前でおこなわれて良かったと思います。観相窓から大仏様のお顔を拝むことが出来ました。
参道で夜遅くまでインフォメーション、H田さんお疲れさまでした。
この秋、興福寺旧境内、古地図ウォーキング、という興味深い催しがおこなわれます。
先日、まほろばソムリエの会のガイドをされる皆さんの研修の勉強会があり、わたしはガイドをしませんがご一緒に、前奈良市埋蔵文化財調査センター所長の森下恵介先生のお話を2時間あまり聞くことができました。
すぐ近くの興福寺ですが、知らないことも多くありとても勉強になりました。
(以下、私のメモより)
興福寺は710年に飛鳥・藤原京から移ってきたとされている。奈良時代、平安、室町時代以降、明治、そして現代に至るまで深い歴史を持っている。
平安時代以降奈良の多くの寺が低迷していく中、興福寺・春日大社は荘園を持ちどんどん力をもつようになったこと。
焼けうちなどにより鎌倉時代に東大寺や興福寺などの復興があったが、興福寺は奈良時代の建物があったから、それが継承されている。
また慶派による数多くの仏像が作られたが、これも奈良時代の仏像があったからこそである。鎌倉時代の仏像というが、鎌倉時代の仏像が一番たくさんあるのは、奈良である。
大和に守護は置かれなかった。
若宮様の出現による「おんまつり」の由来(1136年)。
大和士(やまとさむらい)で有力なのは、筒井氏、古市氏、越智氏、十市氏、箸尾氏、そして柳生氏。
江戸時代の興福寺は「御朱印地二万一千石」
おん祭りや、薪能は江戸時代奈良奉行の元で行われたが、徳川将軍が執行したということ。
上臈、下臈の話。貴種、良家、学侶、コウジンなどの話。
鹿殺しは戦国時代以前の話。
十三鐘の石子詰めの話は落語などの話である。
江戸時代、興福寺の旧子院はいかに広がっていたか。
明治に入って、一山還俗した。(坊さんが神官になった)
明治に入ってなぜ興福寺などのお寺は廃仏毀釈になったか。
そもそも興福寺はお公家さんが来ていたから、神主などになった。内山永久寺、大御輪寺、妙楽寺なども興福寺系であったから。外からではなく、自壊したといえる。
明治以降「奈良華族」と呼ばれ、男爵などの位をもらった。
安く五重塔が売りに出されたという話のいろいろ。
「四条はゴジョウでドベたれた」(県令の四条隆平を揶揄したことば。ゴジョウとは強情?ドベとは土塀であり一番ビリということ)
奈良公園の開設
正岡子規「秋風や囲いもなしに興福寺」
興福寺旧境内は現在よりもっと広い。
平城京の外京(げきょう)の東六坊大路(いまの餅飯殿通り、東向き通りの筋)の東。一乗院あとであった裁判所、県庁、知事公舎、吉城園、氷室神社あたりなど。
猿沢池は古いが、現在の荒池、浮見堂あたりは明治時代にせき止められた池である。そこにはかつて興福寺の子院などがあった。
奈良ホテル、大乗院あとあたり。きめん山。ゆが山。
有名な多門院日記の多門院はいまの飛鳥荘のところ。
興福寺はいわば封建領主であり、奈良のまちはいわば興福寺の用足しの町、興福寺のためのまち、と考えたらわかりやすい。
この秋、奈良市観光協会の主催で、奈良まほろばソムリエの会の皆さんがガイドする「興福寺旧境内、古地図ウォーキング」が行われます。どうぞこの機会にお出かけください。
再建中の興福寺中金堂の現場特別見学や東金堂拝観、阿修羅像などを仮講堂で拝観。古地図イラスト、興福寺の精進ふりかけなどお土産もたくさんついているそうです。
すでに9月16日は満員御礼とのことです。あと9日分、募集されています。
くわしい説明、申し込みは→興福寺旧境内古地図ウォーキング
へどうぞ。
9月になりました。
9月から11月は奈良県で国民文化祭、障害者文化祭が行われます。→http://nara-kokushoubun.jp/
また、9月2-3日は、なら国際映画祭のプレイベントも行われます。→http://nara-iff.jp/
そして、9月のならシネマテークは、15日から17日、『みかんの丘』。場所は、奈良女子大学講堂です。
ジョージア(グルジア)のアブハジア自治共和国でみかん栽培をするエストニア人の集落。ジョージアとアブハジア間に紛争が勃発し、多くの人は帰国したが、イヴォとマルゴスは残っている。マルゴスはみかんの収穫が気になるからだが、みかんの木箱作りのイヴォは理由を語らない。ある日、彼らは戦闘で傷ついた二人の兵士を自宅で介抱することになる。ひとりはアブハジアを支援するチェチェン兵アハメド、もうひとりはジョージア兵ニカで敵同士だった。彼らは互いに同じ家に敵兵がいることを知り、殺意に燃えるが、イヴォが家の中では戦わせないというと、家主が力を持つコーカサスのしきたりに則り、兵士たちは約束する。数日後、アブハジアの小隊がやってきて‥・。
ならシネマテークのHPです→http://cinematheque.nara-iff.jp/
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