没後25周年フォーラム「入江泰吉の日本の美、大和の美」へ
今年は写真家の入江泰吉さんが亡くなられて25年ということです。
没後25周年フォーラム「入江泰吉の日本の美、大和の美」がひらかれました。事前に当ブログで紹介をしようと思いましたが、多数の応募があり、すでに締め切りになっていました。7月29日この日も400人以上入る、なら100年会館中ホールが満席でした。知っている方にもたくさんお会いできました。
スペシャルトークの白州信哉さんは祖母の白州正子さんに連れてもらい、思いつくままの祖母の旅についてきた。奈良にも何度も・・・。入江さんのお宅でもお茶をいただいた。
そして、母方の祖父がこれまた有名な小林秀雄さんということです。
以下、わたしの手元のメモから、白州信弥さんの印象に残った言葉を書いてみます。
・小林秀雄さんは入江さんの東京での展覧会に訪れて、創元社から入江さんの大和路の写真集を出すよう推薦し、写真集にも文を寄せている。
・入江さんは幼少からの知り合いである東大寺の上司海雲さん(壺法師といわれた収集家)の影響で大きな信楽の壺をもっていた(いま入江泰吉記念・奈良市写真美術館に展示されている)
・焼き物は、景色が良いとか、器が育つとか、変わっていくとよく言う。
・入江さんは、焼き物を見ているうちにその中に歴史を感じたりしたのではないか。
・山の辺の道に祖父、小林秀雄の書いた「山ノ邉の道」という石碑がある。とても良いところだ。
・入江さんは、大野寺の桜を36年間、通って撮ったという。そういう姿勢が大事ではないか。
・入江さんは「どこにでもある風景」を、どこにでも「ない写真」に撮ったといえるのではないか。
・雪の南大門、長年にわたる東大寺お水取りの密着した写真。
・「くらしのなかに大和路がある生活」から生まれた入江さんの写真。
・「相手(被写体)がしゃべる」まで待つ。
・春日おんまつり、東大寺修二会など、すばらしい千年以上続く歴史のある行事
・お水取りの「日の丸盆」、根来。使っていて40枚も残っているのはたいへんなことである。
・毎年同じような祭りを、同じようにするのはたいへんなこと。
・変わらないことの良さ。
・続けていくことの良さ
・町のそばにすぐ公園、森があり県庁所在地である、知っている範囲でそんな町は世界にもない。奈良だけである。
・奈良時代の色、そして近くに近代の建物がある。
・一番わかるのは正倉院の宝物が残っていること。
・明らかに京都とは違う。
・奈良の豊かさ
・奈良は町の中にいて、ちょっといくと古いものところに行くことが出来る
・東京などにいると、よそから見ると、奈良にあこがれる。
など白州信弥さんから印象的な言葉が述べられました。素晴らしいスペシャルトークでした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
休憩のあと2部はパネルディスカッションがありました。4人のパネラーのそれぞれに興味深いお話がありました。
そして、コーディネーターのもとNHKチーフアナウンサーの児島建次郎さんから、ほろびの美について、1988年奈良シルクロード博やシルクロードを旅しての話がありました。
・ギリシャのパルテノン宮殿、
・トルコのトロイの遺跡、
・入江さんが語る明日香の八釣の里からの風景。
そして入江先生は
・古代への幻想
・限りない大和への愛情、
・創造することの楽しさ
・たいへんなロマンチストであった。
という児島さんの言葉が印象的でした。
最後に企画・進行・司会などを担当された、倉橋みどりさんは、「入江先生の、奈良市高畑町の入江泰吉記念・奈良市写真美術館へ、そして水門町の入江泰吉旧居へこれからも何度も来て欲しい。皆さんが入江先生のことを多くの人に語っていただいたとき、入江先生の寿命は伸びると思います」と結ばれました。
ちょうど3時間におよぶ貴重なフォーラムでした。
« 『正岡子規 人生のことば』岩波新書 | トップページ | 浅草寺と「鳩ぽっぽ」の歌碑 »
コメント