「かく文化を支え続けた奈良の墨、墨の不思議な魅力」
4月1日夜、氷室神社でのひむろサロンで白藤学園理事長の綿谷正之さんの「かく文化を支え続けた奈良の墨、墨の不思議な魅力」のお話を聞くことができました。
綿谷正之さんは墨や筆ペンで有名な株式会社 呉竹の社長や会長を勤められました。
私は、奈良青年会議所や奈良ロータリークラブでお世話になりました。また奈良市異業種交流塾でも長らくお世話になりました。知り合って30年以上経ちます。いちど、工場見学にも寄せていただきくわしくお話を聞きました。それにも増して、この日の綿谷さんのお話は熱のこもった素晴らしいものでした。
健康印の綿谷さんでしたが、ちょうど1年前、大病にかかられました。そこからの復活であり、現在はとても元気だということでした。健康に留意されてますますのご活躍をお願いしたいと思います。
貴重な端渓のすずりを見せながら熱弁の綿谷正之さん。
この日の1時間あまりに及ぶお話の前半は綿谷さんのいままでの半生記でした。以前、朝日新聞奈良版でもご自身の歩みを書いておられましたが、とても興味深いお話でした。
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幼少の頃から「跡継ぎ」だと周りからいわれたこと。
成長につれて中学の頃から高校まで跡継ぎではなく、考古学に進みたいと思い、考古学を目指した。が大学で学びたいと思っていた先生が他の大学に行かれた。したがって大学は関学大で法学部に進み、ワンゲル部で山にうちこんだ。6年間の大学生活のあと、やはり跡継ぎとして、クレタケに入社して、人の2倍仕事した。北陸地方を営業活動した頃、福井のある小さな問屋さんで「筆先にインクが流れるような筆記用具ができないか」といわれたことを本社への日報で報告した。それを会社で開発しようということになり3年の歳月を経て「筆ペン」は完成したが、昭和48年石油ショックの頃で筆先の石油製品が手に入らず、手持ちの材料で大阪で試験販売したらあっという間に売れた。
その後材料が手に入ったら一挙に全国的に売れに売れた。ヒット商品とはこういうことをいうのではないかとつくづく思った。それは、出張先のご主人の一言から始まった。
いま新製品の多くは、ある品に、他の品の機能を足しただけというのが実に多い。ほんとのヒット商品というのはそういうものではなく、ちょっとしたヒントから生まれるのではないだろうか。そしてそういうたくさんあるヒントを見逃してしまっているのではないだろうか、という経営の勘所にふれるお話がありました。
そして現在の学校経営における「提案」などのお話のあと、いよいよ墨の話になりました。現在、墨を実際に摺って字を書くことがたいへん減っている。墨汁の方に移り変わっている。学校でもしかり、大きな書を書く人もしかりである。
墨の歴史を振返ってみましょう。
中国で3000年前、商の時代、殷(いん)ともいわれる。以前から言葉はあったがそれが文字であらわされるようになった。象形文字である。また亀の甲羅や鹿などの肩甲骨に字を彫りこんで巫女が占いをした。直線的な文字であった。
そして周の時代、青銅器には誰がどういういきさつで作ったのかなどを、やや丸い字で書き込んだ。これが篆書(てんしょ)である。
それから漢の時代になり、漢字ができ全土に一挙に広がった。
そして唐の時代には多くの書家が生まれた。王義之は書芸術の最初といえる。そのころ「唐墨」が作られた。
また朝鮮では「新羅墨」であり、唐墨や新羅墨は正倉院に残されている。
墨は日本書紀巻二十二の推古天皇十八年、高麗の僧、、曇徴(どんちょう)が日本に伝えたとの記録が残っている。
そして宋の時代。木を燃やして煤をつくることに気がついた。それまでのやや青い墨でなく、煤の粒子の細かい墨であった。その煤による墨は黒い墨ができた。
明の時代は全盛期であり、油煙をつかった。
(およそ650年前の墨)
日本では興福寺の二諦坊古式が油煙の墨であり、一番古い。(二諦坊は本坊の裏の現在のトイレあたりにあったといわれている)。ごま油、それも桜井あたりのエゴマを興福寺は一手に管理し販売していたからたいへんな財力を得たと言える。
油は今の油阪で油の市で商った。油煙の奈良の墨は「南都油煙」と呼ばれた。
江戸時代、公慶上人によって大仏殿が再建されたが当時20万人の人々が奈良に来たと言われている。その当時お土産として、南都油煙(墨)がよく売れたという。
※油煙と松煙のちがい。
左の油煙の方が煤の粒子が細かく、したがって黒い字が書ける。右の松煙は煤の粒子が粗く、やや薄い字になる。
そのほか墨にまつわる多岐にわたる話をうかがいました。
メモ
○墨をつくる原料のニカワ、煤、香料(ニカワの臭みをなくすため。)などの話。
○木型の木は梨の木であること。
○墨を練る過程を覚えるのに3年かかり、練れば練るほどに良い墨になる。
○中国のすずりの話。端渓石(たんけいせき). 産地. 広東省高要県の南東斧果柯山の山麓。
○古梅園の話。天正年間470年前、奈良ではじめて独立した店であり一番古い。
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第1回の奈良まほろばソムリエ2級で、こんな問題がありました。
(79)奈良墨は、興福寺の二諦坊で始まったとされるが、その時期はいつか。
ア.奈良時代 イ.平安時代 ウ.鎌倉時代 エ.室町時代
答えはエ、室町時代でした。間違えたので印象に残っています。(鹿鳴人)
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