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2017年1月10日 (火)

『桜奉行』川路聖謨(としあきら)と『落日の宴』

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10月に養徳社から出版された本です。1800円+税。

幕末奈良を再生した男 川路聖謨(としあきら)。

大国ロシア相手に和親条約締結を成し遂げた幕末の敏腕外交官・川路聖謨(としあきら)その知られざる奈良奉行時代を直木賞作家 出久根達郎が描く。

今回の出久根達郎の「桜奉行」は、川路の前任の佐渡奉行の時代、奈良奉行時代にとくに焦点をあてて書かれたということです。川路は奈良奉行の時代、低迷する奈良の建て直しをしたとのことです。

さばけた奉行ーーあとがきに代えてーー

「川路は46歳の三月、奈良奉行を命じられて、妻子ともども江戸から奈良に赴任した。そして足かけ六年、川路は奈良奉行を勤めた。順調に出世を重ねていた川路にとって奈良への転任は「左遷」といわれる。しかし別に腐った様子はない。むしろはりきって役目に励んだようである。

川路の治績は、たくさんある。犯罪を厳しく取り締まり、特にバクチを重点的に弾圧した。拷問を禁じた。貧民救済の力を注いだ。学問を奨励した。山陵保護に尽くした。」

(中略)

「しかし川路の業績で特筆すべきは、奈良の町に桜と楓を植樹したことではあるまいか。川路が奈良入りした当時は、世相がすさんでいて、風紀も町も寺も何もかも荒れていた。川路は「いにしえの華やかな奈良の都」を再現したいと願った。都の花というなら、桜である。桜は川路の大好きな花でもある。

奈良を桜で埋めつくそう。川路はまず商人に持ちかけた。おそらくこの段階で、どうせのこと、秋の紅葉狩と対にしよう、とおもいついたに違いない。花見と紅葉。どちらも観光客を呼べる。利に聡い商人たちを焚きつけた。奉行の命令一下で事業を起すのでなく、商人たちが自発的に動き出す形をとりたかったのだ。そうでないと、うまく運ばないし、成功しない。桜楓植樹は望外の結果を得た。」

奈良の三条通りのすべり坂をのぼったところに、植桜楓の碑があります。下部には協力した商人たちの名も刻まれています。

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近年、すぐそばに顕彰会の皆さんが、読みやすい碑を建てられました。

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植桜楓之碑

寧楽な都となるや古より火災少なし。
是を以て先年の久しきを閲(け)みして、■然としてなお存するもの枚挙に遑あらず。
豈(それ)、大和の国は天孫始闢の地なり。
故に神ありて或は之を佑護するか。
且つ土沃え、民饒かに、風俗淳古にして、毎(つね)に良辰美景に至れば、即ち都人■(たる)を下げる挈(さ)げて興福東大の二大刹に遊び、筵を敷き席を設けて、嬉(たの)しみを遨(あそ)び、娯(たの)しみを歓び、まことに撃壤の余風、太平の楽事なり。
是の時に当たり遠遊探勝するものもまた千里よりして至る。
故に二刹嘉木奇花多し。
而して宝暦中、桜の千株を植うるものあるも、侵就枯槁して今即ち僅かに存するのみ。
今季、都人相議し、旧観に復さんと欲し、すなわち桜楓数千株を二刹の中に植う。
以て高円佐保の境に及ぶ。
一乗大乗の両門跡これを嘉し、賜うに桜楓数株以てす。
是に於て靡然として風を仰ぎて、之を倣うもの相継ぎ、遂に蔚然として林を成す矣。
花時玉雪の艶、霜後酣紅の美、みな以て遊人を娯しませて心目を怡(よろこ)ばすに足る。
衆人喜び甚しくまさに碑を建て其の事を勒せんとして記を余に請う。
余謬って 寵命を承け、此の地に尹(奈良奉行)として五季なり矣。
幸いにして僚属の恪勤、風俗の醇厚に由りて職時暇多し、優游臥(ふ)して累歳を治むるに滞り無し。
獄囹圄時に空しくして、国中竊盗もまた減ずること半ばに過ぐ。
是に由り官賞して属吏に賜う。
而して都人もまた以て其の楽しみを楽しむを得。
況んや今此の挙あるや、唯に都人の其の楽しみを得るのみならず、而して四方の来遊者もまた相ともに其の楽しみを享(う)く。
此れ余の欣懌してやむあたわざるところなり。
然れども歳月の久しき、桜や楓や枯槁の憂い無きあたわず。
後人の若し能く之を補えば、則ち今日の遊観の楽しき、以て百世を閲みして替えざるべし。
此れ又余の後人に望むところなり。
故に辞さずして之を記し、以てこの碑に勒す。
一乗法王為めに其の額に題す。
余の文の■陋(せんろう)観るに足らず。
然れども法王の親翰、則ち桜楓をして光華を増さしむるに足らん矣。

嘉永3年歳次庚戌3月 寧楽尹 従五位 下左衛門尉源朝臣聖謨撰并書

佐保川には川路桜が春になるとみごとな桜の花を咲かせています。

また、かつて奈良奉行は現在の奈良女子大学のところにあったという。今も川路の足跡はしっかりと残っています。江戸時代の末期、奈良に大きな業績を残した人です。

そして私は以前に読んだ吉村昭が書いている『落日の宴―勘定奉行 川路聖謨』 (講談社文庫)が強く印象に残っています。
奈良奉行のあとの勘定奉行の時代を描いています。

開国を迫るロシア使節プーチャンに一歩もひるむことなく幕末を守った男がいた。軽輩の身から勘定奉行まで登りつめ、自らを厳しく律して日露和親条約を締結する。軍事・経済・外交のいずれも劣るわが国を聡明さと誠実さで激動の時代から救った誇り高き幕吏の豊かな人間性を鮮やかに描く歴史長編

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コメント

川路の本、天理本通り商店街でも大きな宣伝垂れ幕が架かっていました。掲載の植桜楓之記を読ませていただいて、あらためて名文だと思いました。昔の人は教養がありますね。しかも謙譲の美徳が伝わってきます。

小久保さん。コメントありがとうございます。そうでしたか。出版社は天理にあるそうですね。またよろしくお願いします。

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