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2016年12月25日 (日)

『ならら』1月号より、「奈良もちいどのセンター街」歴史散歩

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画像をクリックすると拡大します。

奈良の情報誌「月刊大和路 ならら」2017年1月号が出ました。なら旅いんふぉ、というページで、「奈良もちいどのセンター街」歴史散歩、箱屋勘兵衛と七人衆の町を訪ねて、とりあげられました。
税込500円。月刊『ならら』のHPです→
http://www.narara.co.jp/

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箱屋勘兵衛と七人衆の町を訪ねて
「奈良もちいどのセンター街」歴史散歩

猿沢池から三条通りを少し西へ。ひときわ目立つ大きな三角屋根が「奈良もち いどのセンター街」の入口だ。奈良でもっとも古いといわれるこの商店街、約
250m
の町並みには歴史スポットが点在している。活気あふれる師走の町に、古 きを探して歩いた。

 道先案内人は奈良もちいどのセンター街協同組合理事長の松森重博さん。 
「奈良まほろばソムリエ」に認定された歴史通で、自身のブログ「鹿鳴人のつ ぶやき」は奈良発信の有名ブログの1つでもある。
 「『もちいどの』は奈良の歴史の舞台の中心地に近く、平城京では東六坊大 路にあたります。江戸時代には三条通りとの丁字路に高札場が置かれ、明治時 代には奈良県、奈良市管轄の道路の起点となる『道路元標』も置かれました。 
ここは多くの人やモノが行き来する商業・交通の要衝の地だったんです」
 「もちいどの」は「餅飯殿」。室町時代にはすでに「餅飯殿」と呼称された 記録が見られるが、それ以前は蕗之畠郷(ふきのはたごう)や富貴郷(ふきごう)

と呼ばれた。

 OK広場の最奥に は吉野から勧請した七辨財天を祀り、76日、7日には弁財天祭りが行われ、宵宮には大蛇と子ども神輿が賑やかに商店街を練り歩く。
 主なる「餅飯殿」の由来は、後の醍醐寺の開祖・聖宝(しょうぼう)理源大師832909 を助けて、箱屋勘兵衛と七人衆が活躍する大峰の大蛇退治譚(たん)である。

大蛇のために廃れた大峰を再興せよという宇多天皇の命を受けた東大寺僧・聖宝理源大師。

これを助けようと富貴郷の箱屋勘兵衛と七人衆が立ち上がった。一行は餅 と干飯(ほしいい)を持ち、途中の村々にも分け与えながら大峰へ向かい見事大蛇を退治。 
黒滝村の鳳閣寺は理源大師が再興した寺だが、山号の百螺山はこのとき勘兵衛 が大きな法螺貝を吹き鳴らしたことに由来する。勘兵衛たちは餅や飯を届けた ことから「餅飯殿」と呼ばれ、いつしかそれが町名になった。辨財天の隣には 理源大師堂があり、77日に東大寺の僧侶が法要を営む。箱屋勘兵衛の意志を 継ぎ、餅飯殿には現在も餅飯殿大峰山上講が継承される。


 昭和52年の市役所の移転で通行量が減った商店街だが、平成19年に個性的で 意識の高い起業家にチャンスを与える『もちいどの夢CUBE』をオープン。多く 
の卒業生が近くで独立している。

「イベントも積極的に行い客足も戻ってき て、我々自身も〝再興〟を果たしつつあります。また〝通り〟としてのデザイ ンも意識し、同28年には『なら景観調和広告賞』を受賞しました」と松森さん。
 新しい試みで活性化した商店街。
そして町の至るところに、いまもささやか
  な歴史が見え隠れする。

例えば傘を広げては通れないほどの狭い路地「四室之 
辻子」、南市恵比須神社など路地裏に溶け込んだ小さな神社、反対に町なかに 驚くほどの空間が広がる「大宿所」。毎年1215日春日若宮おん祭のさきがけ となる大宿所祭が行われ賑わう。また大福稲荷神社もある。

歴史スポットは、 訪れる人が気がつく数だけある。賑わいをBGMに、もちいどの商店街とその周 辺の路地裏散策を楽しみたい。

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