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2016年9月18日 (日)

なら国際映画祭と中野重宏さんの『尾花座100年物語』

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17日から、なら国際映画祭がはじまりました。

そして、その中で、奈良の映画館である「尾花座100年物語」中野重宏さんの本のことが、朝日新聞奈良版に紹介されています。

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以下、朝日新聞奈良版16日付から。

なら国際映画祭が17日、奈良市で開幕する。2010年から2年に1度開かれ、今年で4回目。国内外の若手の作品など約70本が上映される。市の補助金予算が市議会で認められず、開催も危ぶまれたが、市民の支援が広がり、前回までより2日長い6日間にわたって開かれる。

 

 かつて猿沢池近くにあった映画館「尾花劇場」。60年間、国内外の名作を市民に届けた。そんな劇場を長年切り盛りした元支配人、中野重宏さん(88)の半生を、奈良市で文筆業を営む宇多滋樹さん(70)が「奈良の尾花座百年物語」にまとめた。映画祭でチャリティー販売される。

 

 尾花劇場は芝居小屋「尾花座」を中野さんの祖父が買い取り、1920年に開いた。映画館が珍しいころで、中野さんは大学時代から運営に携わった。81年にホテルに転業するまで、上映作選びから宣伝まで切り盛りし、映画会社や制作者に意見や批評を送った。

 

 宇多さんが話を聞くと、当時上映した映画の題名を見ただけで、中野さんは監督やあらすじ、客の入り具合まで次々と語り出した。

 

 戦前には警官が見張るための席を設け、戦中は映画が戦意高揚に使われた。終戦翌年の正月、「愛染かつら」を上映すると、入り口のガラスが割れるほど人が入った。

 

 戦争の時代を映した「二十四の瞳」や「人間の條件」は、同じ体験をしているからこそ感じ入るものがあった。「時代背景と映画は切っても切れない」と中野さんは話した。

 

 宇多さんは約2年かけて聞き取った。原稿を中野さんに見せると、「これも思い出した」と加筆。やり取りを繰り返して今年8月、ようやく完成した。

 

 宇多さん自身、子どものころから映画を見て育った。「日本映画の全盛期を中野さんは映してきた。映画にほれ込んだ、見る方の映画人」と宇多さん。若い人に、日本映画の名作を見直してもらえたらと願う。

 

 「尾花座 復活上映会」(一部除き1回1千円)が18~21日に奈良市高畑町のホテルサンルート奈良(旧尾花劇場)であり、1冊1千円で販売。売り上げを映画祭の運営に寄付する。18日午前11時の「自転車泥棒」と20日午後4時半の「パッチギ!」の上映後には宇多さんと中野さんの対談がある。(荒ちひろ)

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わたしも、中野重宏さんからご本をいただきました。(総ページ数278ページ)
早速一気に読ませていただきました。
中野重宏さま、どうもありがとうございました。

中野重宏さんは昭和3年(1928年)3月大阪にお生まれになり、奈良に移られ、奈良女子大学附属幼稚園、附属小学校、奈良中学(今の奈良高校)、旧制第六高等学校(今の岡山大学)に進まれました。
戦前の奈良の様子がくわしく描かれ、皇紀2600年の昭和15年に至る橿原神宮への奉仕、さらに
愛知県の軍需工場への学徒動員、終戦前後の厳しい時代を書かれています。

そしてお父さんが奈良市会議員をされていた(私も小学校のころから中野正夫さんの選挙ポスターを存じています)ので、大阪大学に通いながら、大阪ミナミの松竹にフィルムを受け取りに行ったり、大学時代から映画の仕事に取り組まれたとのことです。
戦後の松竹の映画などくわしく書かれています。
また中野さんは映画のシナリオを手に入れてしっかり読まれたり、松竹にこういう映画を作ったらどうかという提案もされています。(そういう映画館店主は稀だったそうです)
大島渚監督とはデビュー以前から文通もあったそうです。
斜陽の日本映画の時代、松竹との付き合いをやめ、洋画の映画館にされて10年ほどさらに映画に取り組まれます。
わたしも小学校のころから時々尾花劇場に映画を見に行きました。奈良女子大学の数学者の岡潔先生をモデルにした笠智衆と岩下志麻の「好人好日」などよく覚えています。高校のころは映画館にあった
喫茶店ジュアンも行きました。

そして、昭和52年すぐそばにあった奈良市役所の現在地(もと三笠中学校)への移転、商業環境の劇的な変化。木造映画館の消防法によるスプリンクラー設置義務やトイレの浄化装置の取り付けなどにも迫られます。そうするなら、防火の建物に建て替えるしかない、膨大な投資と映画館による回収のバランスなどを考えたとき映画館は無理だと判断されます。そして奈良の観光の立地からホテル業(現在のホテルサンルート奈良)への転換に踏み切られました。
しかし採算上5階建ての120室を確保したいときに、奈良県による風致地区内にあるため高さ15mの制限によって4階建てしか建てられず、95室でスタートせざるを得なかったということです。これがのちのちの経営にたいへんな影響があったと述懐されています。
中野さんが映画館、ホテル経営でこのようなご苦労をされていることは全く存じませんでした。


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(とてもよく覚えておられて熱く語られる中野重宏さん。「自転車泥棒」の上映のあとでの宇多さんとの対談にて)


中野さんは奈良ロータリークラブの会長をされたり、京都、奈良、滋賀、福井という4つの府県のロータリークラブの2650地区のガバナー(代表)など歴任されて、いまもパストガバナーとして活躍されています。

近年ホテルはお嬢さんの中野聖子(さとこ)さんに社長を譲られましたが会長さんとして今も現役で活躍されています。くしくもお名前も「しげひろ」と同じであり、私にとって良き大先輩です。素晴らしいご本を出版されました。心より御礼申し上げます。そして健康に留意され、ますます後進を指導していただきたいと思います。

宇多滋樹氏による聞き書き(202ページ)。

※島田善博さんによる「尾花座から尾花劇場へーー明治42年から昭和20年」も本にはくわしく載っています。(54ページ)


※そして1889年(明治22年)の奈良の町制のころから2013年に至る、くわしい年表が載っています。(年表作成、尾島可奈子さん、19ページ)
はじめて知ることも多く貴重な年表です。



 

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