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2016年9月10日 (土)

美ビット見て歩き 私の美術ノート *44 

毎月楽しみにしている奈良新聞に連載の川嶌さんの美ビット見て歩き 私の美術ノート は、大阪・天王寺の四天王寺です。

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美ビット見て歩き 私の美術ノート *44 川嶌一穂

大阪・和宗総本山・四天王寺

写真 夕日の沈みゆく四天王寺西門前「石の鳥居」=著者撮影

 

 画家・下村観山(1873-1930)に畢生の名作「弱法師(よろぼし)」がある。六曲一双(ろっきょくいっそう)の屏風画だが、重要文化財に指定されているので、本欄第9回で取り上げたように、ネット上の「e國寳」で見ることができる。満開の梅の古木に隠れるようにして拝む、面を着けたような老人?と、不自然に大きな赤い太陽ー学生時代に見た時は、何を描いたものかさっぱり分らなかった。後に自分が能を見るようになって、紀州藩お抱え小鼓方能楽師の家に生まれた観山が、能「弱法師」に題材をとって描いたことを知った。

 親に追い出されて、目も見えぬ乞食になった俊徳(しゅんとく)が、春の彼岸に人々が参詣する天王寺の西門(さいもん)によろよろと立寄ったところ、子どもを探していた父親が俊徳を見出して、「夕日を拝んで西方浄土を観想するように」と奨めた場面である。親子の情愛と離反、後悔の念と追慕の情が俊徳の表情に表れ、梅の花と沈みゆく夕日がそれらすべてを包み込むような象徴的な場面である。内容が分って以来、接する度に静かな感動が湧いて来る作品となった。説教節の「しんとく丸」、歌舞伎の「摂州合邦辻(せっしゅうがっぽうがつじ)」が、同じ題材を基にしている。

 能「弱法師」の詞章にも「仏法最初の天王寺の石の鳥居ここなれや、立ち寄りて拝まん」とあるように、中世以来、四天王寺の西門が西方極楽浄土の東門に当ると信じられて来た。西門前の石の鳥居にも「釈迦如来、転法輪処、当極楽土、東門中心」と書かれた扁額が揚がる。

 もうすぐお彼岸である。能の「弱法師」は春の彼岸を描いたものだが、春秋のお彼岸には、夕日がまさに石の鳥居の中心に沈む。中世以前は海岸線がもっと上町台地に迫っていたらしいので、日が落ちて、西の海全体が赤く染まることもあっただろう。

 最近四天王寺では、長く途絶えていた「日想観(にっそうかん、じっそうかん)」の行事が、お彼岸の中日に西門で行われるようになった。夕方の5時20分頃から法要が行われ、その後、石の鳥居に沈み行く夕日を拝むというものだ。浄土信仰が廃れても、能や歌舞伎の中に人々の記憶が凍結されていたのだ。

 あるとき大阪環状線の天王寺駅で下りると、駅から北に延びるアーケード街が人であふれんばかりだった。四天王寺を創建した聖徳太子の月命日、22日の「太子会(たいしえ)」に向かう善男善女だった。境内にも露店がたくさん並び、いつもは有料の中心伽藍もこの日ばかりは無料になるという。法隆寺と違って四天王寺は、度重なる災害や大空襲で創建当時の建物はないが、今に生きる庶民信仰の寺だ。

 

 =次回は10月14日付(第2金曜日掲載)=

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かわしま・かずほ

元大阪芸術大学短期大学部教授。

メモ 四天王寺 大阪市天王寺区四天王寺1の11の18。電話06(6771)0066。地下鉄谷町線四天王寺前夕陽ヶ丘駅から南へ徒歩5分。http://www.shitennoji.or.jp/

 

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