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2016年8月13日 (土)

美ビット見て歩き 私の美術ノート *43 

毎月楽しみにしている川嶌一穂さんの、美ビット見て歩きです。東京に移られても、奈良とのつながりのあるところを訪ねられていて、とても参考になります。春日大社ゆかりの鹿島・香取はいちど訪ねたいところです。

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美ビット見て歩き 私の美術ノート *43 川嶌一穂
茨城県「鹿島神宮」
写真 神杉に守られた鹿島神宮本殿(左は拝殿)=著者撮影

 

 奈良にいると何となく奈良が「古代から日本の中心地」と思っているが、時々「あれっ?」と首を傾げることがある。
天平時代(8世紀半ば)の東大寺大仏建立のさいに「われ天神地祇を率い必ず成し奉る」という託宣を出したのは大分県の宇佐八幡神であるし、春日社は茨城県の鹿島神宮から武甕槌命(タケミカヅチノミコト)をお迎えしたのがそもそもの始まりだという。
 宇佐や鹿島が「ヤマト政権」の父祖の地だったのか、「権力」は手に入れたが「権威」はいまだ旧地にあったのだろうか、などと素人の想像はあちこちに飛ぶ。
歴史好きの友人は、はるか遠い故郷の神が奈良に坐すとなれば、大仏鋳造など首都造営に遠方から駆り出された何万人もの民にとって大きな慰めになっただろうと言う。なるほど!


 長い梅雨の晴れ間のある日、ずっと訪ねたかった鹿島神宮を目指して東京の家を出た。JRで何時間もかかるだろうと覚悟していたが、何と東京駅から高速バスが10分おきに出ていて、わずか2時間で神宮に着いた。
バスの中でつい居眠りをしてしまい途中で目が覚めたら、水郷が左右の車窓一面に広がっていてびっくりした。
目の届く限り水田が続いている。平野から必ず山が見える関西とはまったく異質の風景だ。鹿島の神様が奈良に着いたときは、その狭さにさぞ驚かれたことだろう。

 神宮は鹿島灘と淡水湖・北浦に挟まれた砂州の中ほどに70ヘクタールもの森を擁して鎮っている。
先の大震災で倒壊した石の鳥居に代って、境内の大杉6本を伐採して再建された大鳥居、そして立派な朱塗りの楼門をくぐって参道を進むと「奥宮へ」という矢印があった。「あれれ?」楼門を入ってすぐの、参道から右に折れた所に位置する本殿を通り過ぎてしまった。これはまた不思議な配置だ。

 拝殿の奥で巨大な神杉に守られた本殿は、流れ造り、極彩色の桃山様式である。徳川二代将軍秀忠によって奉納されたという。ということは、少なくともそれ以降、式年遷宮が行われていないことになる。

 もちろん内陣は拝見できないが、東実著『鹿島神宮』(学生社刊)によると、御祭神は内陣の隅に横向きに鎮座するという。これは出雲大社の内陣と同じ配置で、大国主命を祭る出雲大社と、大国主命に国譲りを談判に行った武甕槌命を祭る鹿島神宮が共通する内陣構造を持っているとは、まさに神話と歴史の接点に触れるような心地がする。

 境内の深い森の中の茶店で冷しぜんざいを食べながら、富士山を真ん中にして鹿島神宮と伊勢神宮をほぼ一直線上に配置した古代人の驚くべき測量術にひと時思いを馳せ、日が傾いてから帰路についた。
 

 =次回は9月8日付(第2金曜日掲載)=
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かわしま・かずほ
元大阪芸術大学短期大学部教授。
メモ 鹿島神宮 茨城県鹿嶋市宮中2306−1。電話0299(82)1209。東京駅八重洲南口より高速バス「鹿島神宮駅」行き乗車。約2時間で「鹿島神宮」停留所下車、徒歩5分。
http://kashimajingu.jp

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