美ビット見て歩き 私の美術ノート *38 川嶌一穂さん
毎月楽しみにしている川嶌一穂さんの「美ビット見て歩き 私の美術ノート」 が奈良新聞に載りました。梅など庭園もきれいな大和文華館の展覧会が今月のテーマです。
先日、菅原天満宮に出かけたとき、大和文華館も訪ねたのですが、10時の開館前でしたのでパスしてしまいましたが、この記事を読んでやはりもういちど訪ねなければと思います。
美ビット見て歩き 私の美術ノート *38 川嶌一穂
大和文華館「山水ー理想郷への旅ー」展
写真=浦上玉堂筆『澗泉松声図』紙本墨画・江戸後期=大和文華館提供
無人島に何か1枚持っていくとすれば、良寛の書「天上大風」か、浦上玉堂(うらがみ・ぎょくどう)の晩年の絵にするか、迷うところだ。
浦上玉堂(1745ー1820)は、今でいう岡山県南西部の鴨方藩士の子として生まれ、父の死により7歳(数え年)で跡目を相続した。藩主の側近として真面目に勤め、江戸詰めも10回経験した。
しかし江戸滞在中に、幕府の医官から琴(きん・七弦琴)を学び、みずから「玉堂琴士」と号するほど、のめり込んでゆく。40歳になる頃から、大坂の稀代の町人コレクター・木村蒹葭堂(けんかどう)や、備後神辺(かんなべ)の儒者・菅茶山(かん・さざん)ら文人との交友が目立ってくる。
玉堂43歳のとき、藩の大目付を罷免される。文人的言動が、勤務にも支障を来すようになったのだろうか。さらに追い討ちをかけたのが、妻の死だった。その2年後、脱藩。50歳の玉堂は、やはり書画や琴を得意とする春琴、秋琴の二人の息子を連れて諸国放浪の旅に出た。
親しかった豊後の画家・田能村竹田(たのむら・ちくでん)が、60代の玉堂の様子を「白髪で長いひげをはやしているが童顔、歯は欠けているが歌声は円滑、酒が大好きで、酔えば詩を作る」と記している(吉澤忠「水墨美術大系13 玉堂・木米」講談社)。何という自由人。うらやましいかぎりだ。
玉堂は職業画家ではないので、作品の出来は不揃いだし、60代までは気持ちの整理がついていないドロドロした絵も多い。
その点、今回の「山水展」に出された『澗泉松声図』(写真)は、小品だが、画中で遊びたくなるような絵だ。題の「澗(かん)」は、渓のこと。山から流れ出る谷川が湖となり、中の島には松が生えている。その間を吹き抜ける風の音が、舟遊びに興ずるものにも、旗を掲げた亭(ちん)で酒を飲むものにも聞こえてくる。まさに晩唐の詩人・杜牧の「水村山郭酒旗風」(江南の春)の世界だ。
200年以上むかし、身分を超えた芸術家や学者のネットワークが存在し、琴を抱えた一人の文人の、旅から旅への暮しが成り立った。江戸という時代の豊かさに改めて気付かされる。
紅梅白梅が煙るように咲くアプローチが出迎えてくれる大和文華館。今回は三双の屏風が展示された。折り目の凹凸が、描かれた風景の立体感を再現し、見事な3D効果を発揮している。
ぜひあなたも、30点の作品の中から、マイ・山水を見つけてみてはいかが?
=次回は4月8日付(第2金曜日掲載)=
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かわしま・かずほ
大阪芸術大学短期大学部教授。
メモ 大和文華館 奈良市学園南町1−11−6。電話0742(45)0544。近鉄奈良線学園前駅下車、南出口より徒歩約7分、無料駐車場あり。休日以外の月曜日休館。会期は、4月10日まで。http://www.kintetsu-g-hd.co.jp/culture/yamato/
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