和と十字架 なじむ南都(時の回廊) 日経新聞より
日経新聞夕刊に奈良市の日本聖公会基督教会のことを大きな紙面で掲載されていましたので紹介します。
- 2015/12/25 6:00
奈良市の興福寺境内の西に、南北に長い瓦屋根の木造建築が2棟並ぶ。寺の関連施設かと思って屋根を見上げると、なんと十字架がそびえている。英国国教会の流れをくむ日本聖公会奈良基督(キリスト)教会の礼拝堂と、付属の親愛幼稚園の園舎だ。完成したのは1930年(昭和5年)。優れた意匠から今年7月、国重要文化財の指定を受けた。
■明治に景観論争
井田泉司祭の案内で礼拝堂に入る。格子組みの天井が広がり、ヒノキの素木の柱が立ち並ぶ堂内に、菱(ひし)格子をあしらった高窓から柔らかな光が注ぐ。キリでしつらえた連子の欄間が巡る清楚(せいそ)な内装は寺社のように見えるが、細長い身廊の両脇に側廊を設けて列柱で区切る構造は、まごうことなく三廊式の教会建築だ。
「光の差し込み方、木肌の美しさ、直線と曲線の微妙な組み合わせ。人々の思いが積み重ねられた、最高に美しい祈りの場だと思います」と井田さんは話す。
幼稚園の園舎は元は信徒会館として設計された建物で、同じく和風で統一されている。礼拝堂の長椅子などの家具類も建築当初のもの。設計過程を示す図面147枚も現存し、併せて重文に指定された。
なぜこのような和風の教会が誕生したのだろうか。背景には明治時代、古都で起きた景観論争があった。
引き金になったのは1894年(明治27年)に完成した帝国奈良博物館(現奈良国立博物館)だ。東大寺の間近に出現したフレンチルネサンス様式の洋館に「古都にそぐわない」と批判が相次いだ。以降、周辺での建築には歴史的景観との調和が求められ、県の許可が必要となった。1909年建設の奈良ホテルをはじめ、奈良の近代建築に和風デザインが偏重されているのはこのためだという。
■主張抑えた設計
1887年に設立された奈良基督教会が礼拝堂を新築するに当たり、まず引いた設計図は洋風建築だった。だが風致を損なうとの理由で県が認めず、和風に改めてやっと許可された。設計は奈良県
出身で同教会の信徒だった宮大工、大木吉太郎。室生寺金堂など古社寺の修理を重ねて磨いた技量を存分に発揮し、教会建築の優品を生み出した。
「古建築を参考に設計した近代建築は幾つかあるが、片意地を張ってやり過ぎなくらい古い要素を押し出したものが多い。その点、奈良基督教会は主張を抑え、屋根の緩やかな勾配や柱の太さ、面取りの仕方など古建築のポイントを取り入れつつ巧みにバランスを取っている。『和洋折衷』から一歩進んだ設計だ」。文化庁の西岡聡・文化財調査官はこう高く評価する。
現在、教会には約200人の信徒と約100人の園児が集う。礼拝堂には1987年にパイプオルガンが設置され、様々なコンサートや講演会が催されることもある。今宵(こよい)は建てられて85年目の聖夜。南都の古社寺に育まれた宮大工が生んだ教会に、人々の歌声と子供たちの歓声が響く。
文 大阪・文化担当 竹内義治
写真 山本博文
《交通》近鉄奈良駅から徒歩2分。
《見学》月~土曜は幼稚園が開園しており、見学は不可。日曜は見学可能だが、午前10時半と午後5時から礼拝があるほか、クリスマスやイースター(復活日)など特別な儀式を行う日もあり、支障のないように。大人数での訪問は事前に連絡を。
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