「北山の辺の道」ワニのいた道を訪ねて
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11月21日、奈良まほろばソムリエのガイドと歩く北山の辺の道に参加してきました。
「記紀に関連記事の最も多い古代の和邇一族。その奥津城とされる東大寺山古墳群を中心に巡ります。また櫟井氏、柿本氏、大宅氏といった和邇系支族の居住地に、寺院跡などその営みを訪ねます」ということで、ほとんどはじめていくところです。ワニといっても動物のワニではありません。
またこの秋はじめてのウォークでしたが、精進良かったのかとても良い天気となりました。天理駅の北隣のJR櫟本駅には、はじめて下車しました。9時半の集合前には少し早いので楢神社辺りの上ツ道を散歩しました。右下は楢神社です。
ところでこの日は全体で70名くらいのご参加、わたしの班は同級生のまほろばソムリエの稲田英二さんをガイドに同級生17名もの参加です。
まほろばソムリエ、ガイドグループで活躍の稲田英二さん(Y君撮影)による和邇一族の説明です。
最初に、左下、墓山古墳、「5世紀末~6世紀築造と考えられる東大寺山古墳西端に位置する74mの前方後円墳」です。古墳の上に墓石がたくさん並んでいます。
右下は柿本人麻呂を顕彰する江戸時代に建てられた「歌塚」。
左下、和邇下神社も古墳の上に建てられています。本殿は重要文化財とのことです。
それからしばらく歩いて、東大寺山古墳を遠望し、つぎに、赤土山古墳へ行きました。
「西を向く110mの前方後円墳。1990年にかけての調査で地震による地すべりで変形していたことが判明した。後円部に造り出しを持ち多くの家型埴輪や円形埴輪が整然と並んで検出された。4世紀~5世紀初めの築造と推定される」
赤土山古墳の後円部から天理の町そして奈良盆地、二
上山,葛城山,金剛山を遠望する同級生の皆さん。(かつての「若者たち」のような写真です。Y君撮影)
また南にはよく車で通る名阪国道が走っています。
あたりは柿の木などに秋の風情を感じます。
そして広々した白川池へ、魚つりをされたり近くの運動公園では少年野球の試合などされていました。 そしてここで昼食タイムに。
さて、お弁当を食べ終えて和邇小倉谷古墳群へ。
ここで記念撮影。Y君撮影。
それからラグビーの練習試合などされているグランドのそばを通り、こんどの奈良マラソンのコースをしばらく歩いて、最後に石段を登って弘仁寺へいきました。http://www.kouninji.org/
境内は紅葉がすすんでいます。本堂へは10人くらいずつ分かれて順番に参拝。暗い本堂の中で、秘仏の本尊、虚空蔵尊を奉拝することができましたが、やや暗くてお顔はあまりよくは拝顔できませんでした。
そして黄金塚古墳(黄金塚陸墓参考地)へ。奈良市窪の庄町。「一辺25mの方墳だが領域は東西120m南北70mに及ぶ。榛原石(溶結凝灰岩)を組み上げた横穴式石室(16m)を持つ。7世紀後半までの築造が確実視されている。」言われている舎人皇子の墓というのはやや時代が異なるということでした。
これまたよく通る、下山交差点近くのベンショ塚古墳。こんなところにも古墳があるとは地元の人もあまり知られていないのではということでした。
「周濠をもつ70mの前方後円墳。築造は5世紀と思われる。」
現在頂上部には稲荷神社がお祀りされていました。
そして無事3時過ぎ,JR帯解駅に到着。この日の万歩計は、およそ23000歩に達していました。その後、JR奈良駅近くでしっかり反省会をして無事この日の予定は終了しました。この日の行程図です。クリックすると拡大します。
春は雨が多くてたいへんでしたが、この日は天気もとても良くて気持ちの良いウォークとなりました。ソムリエガイドグループの皆さんたいへんお世話になりました。参加の皆さんお疲れさまでした。(おしまい)
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