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2015年7月12日 (日)

美ビット見て歩き  *31 「徳川家康没後400年記念 大関ケ原展」

いつも楽しみにしている、川嶌一穂さんの7月の美ビット見て歩きは「徳川家康没後400年記念 大関ケ原展」です。京都文化博物館で7月26日まで開かれています。

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美ビット見て歩き 私の美術ノート *31 川嶌一穂

 

京都文化博物館 「徳川家康没後400年記念 大関ヶ原展」

写真=「関ヶ原合戦図屏風」右隻・部分(敦賀市立博物館蔵)=京都文化博物館提供

 新幹線で東京に向かうと、伊吹山を過ぎた頃、左側に「古戦場関ケ原」という看板が見える。何故こんな狭い所で、と思うが、今も東海道本線と新幹線、名神高速道路が接近しているように、東西の交通の要所なのだ。

 慶長五年九月十五日、西暦1600年10月21日、天下分け目の合戦がここで行われた。国を二分する内戦である。「返すがえす秀頼こと頼み申し候」と五大老に言い遺して秀吉が亡くなって2年後のことである。家康は関ヶ原後16年も生き伸び、大坂夏の陣で豊臣家が滅びたのを見届けて、その翌年に亡くなった。関西ではあまり人気のない家康のこの長命と深慮が、その後250年の、平和で学問も芸術も栄えた日本の形を決めたと言えるだろう。 

 驚いたのは、手紙等の文書の多いことである。電話もメールもない時代の、情報伝達がいかに大変だったかがよくわかった。関ヶ原の2ヶ月前、会津攻めへ向かう途中の江戸で、家康は「軍法(の)事」を発した(展示は前期で終了)。いわば戦陣の倫理規定である。その第二条で、味方の地での放火・乱妨・狼藉、敵地での男女乱取りを禁じている。当時は東南アジア、ポルトガルなどへ、日本人が奴隷として売られていた(ウィキペディア「奴隷貿易」)。奴隷を供給する戦場での「乱取り」を禁じるとは、さすが家康である。

 屏風や絵巻は、少々不思議な気がする。生々しい戦(いくさ)の場面のはずだが、金雲たなびく中、松の枝が優雅に枝を広げ、楓は美しく紅葉している。武士のこしらえも中々に格好いい。「鍬形打ったる甲の緒をしめ…連銭葦毛なる馬に 金覆輪の鞍置いて…」と『平家物語』で語られる敦盛さながらのお洒落だ。

 

 写真は、幕末から明治初年にかけて活躍した絵師・菊池容斎の描いた六曲一双の屏風。丸に十の字の島津の旗が見えるが、この屏風が描かれた幕末に、島津は再び注目を集めたのだから、見る人の目も違ったかもしれない。別の1点、鳥取・渡辺美術館蔵の屏風には、連銭葦毛らしい馬も登場している。

 

 甲冑や武具も見所が多い。たとえば、家康に内通していた脇坂安治の胴丸は、ぜひ背面もお見逃しなく。「尚武」という音と通じているのだろうが、見事な蒔絵の菖蒲である。何か現代人とは違う、美しいものこそが強い、という感覚がありそうだ。

 

 ここでご紹介できたのは、ほんの一部。歴史好きには堪えられない展覧会だ。どうぞたっぷり時間をとってお出かけ下さい。

  ・・・・・・・・・・・・・・・

かわしま・かずほ 

大阪芸術大学短期大学部教授。

 

メモ 京都文化博物館 京都市中京区三条高倉。電話075(222)0888。http://www.bunpaku.or.jp。京都市営地下鉄烏丸御池駅下車、5番出口から三条通りを東へ徒歩3分。月曜日休館(祝日は開館、翌日休館)。開室時間10:00〜18:00 *金曜日は〜19:30(入場はそれぞれ30分前まで)。会期は7月26日まで。 *会期中展示替えがあり、現在後期展示中。

 

 

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