7月4日、先週に引き続きNHK総合テレビで「ブラタモリ」の2回目がありました。
今回のテーマは、「観光地・奈良はどう守られたか?」。
最初に、春日大社境内である飛火野でのホルンによる「鹿寄せ」です。ホルンの音に誘われて多くの鹿がどんぐりにも釣られて集まってきます。鹿寄せは明治24年頃始められたということです。現在奈良公園の鹿は国の天然記念物であり1100頭くらいいます。
次は東大寺・南大門へ。やはり鹿が集まっています。南大門の運慶快慶一門による仁王像。南大門も奈良時代に最初建てられましたが、平安末期に焼け打ちに会い鎌倉時代に再建されました。
そして東大寺大仏殿へ。大仏殿も、奈良時代聖武天皇の頃建てられたが鎌倉時代そして江戸時代に建替えられて現在がある。最初は現在の1.5倍あったが江戸時代、そのような大きな木もなかったこともあり今の大きさになりました。ところで大仏殿の瓦は11万枚、重さ1500トンとのことです。たいへんな重量です。
たての柱は、心材のまわりに樽のように木を集められて金属で締められて太くしてある集成材です。大仏殿での中の1本穴のあいた柱を見るとそのことがよくわかります。
そして案内の鈴木さんが大天井のさらに上に三層も急な階段を登って、横木である大きな大虹梁(だいこうりょう)という大きな梁を見せてくれました。これは集成材ではない太さ1.4m、長さ23mという2本の大木です。この木ははるか宮崎県の山奥から多くの人々の力の奉仕で何キロも運ばれました(寄進曳き)。お祭り騒ぎのように1日千人以上が手伝った様子が絵巻で示されました。
(先日の西山先生の講演では、海では一度沈めた船のうえに2本の大きな木を乗せ再び浮上させて大阪まで運び、淀川ー木津川をさかのぼりさらに人力で木津から奈良・東大寺に運び込んだとのことでした)
さらに大仏様も平安の末期の焼き討ちや、戦国時代に焼けたりして、大仏様のからだは上記の絵のように何度も修復され、場所により時代が異なります。
とくに1709年の江戸時代の大仏殿の再興は、当時3万人くらいしか住んでいなかった奈良に1ヶ月で数十万人もの見物の人たちが押し寄せ、宿屋が足りず民宿までして泊めた。ここから奈良の観光は始まったといえます。
「(大仏)を守ってきた人々の思いが、奈良のいろいろな文化財を守ってきたこととつながる」と東大寺庶務執事の橋村さん。
次に南大門の北東にある東大寺本坊の天皇殿へ(ふだん公開はされていません)。ここには徳川家の葵の御紋の入った石灯籠があります。現在の天皇殿は、五代将軍徳川綱吉のころ徳川幕府の寄進で創られたもので明治以降天皇も祀るようになりました。このように徳川幕府の支援も東大寺の復興に大きな力を発揮しているということです。
つぎに、生駒市の長福寺というお寺の修復現場へ向かいました。ここでは現在本堂が解体修理をされています。解体の様子が県の職員の人によって説明され、室町時代の2枚の瓦は一見してどちらも変わらないがどちらかは再度修復に使われるが、見分け方はどうするか。タモリさん、音で見分けると即答すると正解でした。高い音のする瓦が修復に使われます。タモリさんが体重をかけても室町時代の保存の良い瓦は割れません。
つぎに棟梁がカンナで木を薄く削りとるとまるでカツオ節のようでしたが、タモリさんも2度目の挑戦でうまく削りとっていました。
そして2本の修理が出来上がった木を組み合わせて出来上がりの場面もありました。このようにして全面修復は、使えるかつての材料(瓦や材木など)はできるだけ再度使うという修復の基本にしたがって、修復されているということが伝えられました。
今回のテーマは、「観光地・奈良はどう守られたか?」でしたが、いつの時代も多くの人々によって守られ、修復されまた活用されたか、鎌倉、室町、江戸、明治、昭和、あるいは現代の修復作業の様子などが浮き彫りにされる「ブラタモリ」でした。
そして最後に西山厚先生など多くの方の監修を得た番組であることがわかりました。そして45分番組ながら、再度ビデオを見るととても情報量の多い番組であることがわかりました。
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