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2015年5月 9日 (土)

美ビット見て歩き 私の美術ノート *29 

いつも楽しみにしている5月の奈良新聞に連載されている、大阪芸術大学短期学部教授の川嶌一穂さんの「美ビット見て歩き」は5月24日まで開催されている奈良県立美術館の
『奈良礼賛ー岡倉天心、フェノロサが愛した近代美術と奈良の美』です。

わたしも一度拝見しましたがすばらしい展覧会であり、この川嶌一穂さんの記事を読んで、もう一度ゆっくり拝見したいと思う次第です。

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美ビット見て歩き 私の美術ノート *29 川嶌一穂
奈良県立美術館
『奈良礼賛ー岡倉天心、フェノロサが愛した近代美術と奈良の美』
 

もし岡倉天心がいなかったとしたら、この国の美術はどうなっていただろうと思う。
今で言うと東大在学中に通訳としてフェノロサを手伝い、卒業後文科省で美術行政に携わり、東京藝術大学学長、東京国立博物館美術部長を歴任。
スキャンダルで職を追われてからは私立の美術学校を設立し、横山大観、菱田春草、下村観山らの画家を育てる。
晩年はボストン美術館の顧問として東洋美術コレクションを充実させるかたわら、『茶の本』などの英文著作をかの地で出版し、ベストセラーとなる。


これがまあ一人の人間が成し得た仕事かと驚くばかりだ。   天心のメモ、「奈良古社寺調査手録」(明治19年)の展示とは別のページに、自作の「古壁寒燈廃仏を評し…旧城の風物あに涙なからんや」という漢詩が書かれている。
奈良を訪れた天心の目に映った、いわゆる廃仏毀釈による古社寺の荒廃を嘆いた詩である。
伝統美術の価値を発信し続けた彼の出発点がここにあると言えるだろう。  

今回、仏像や工芸品の模刻、仏画の模写作品が数多く展示されている。
有名な高野山の「阿弥陀聖衆来迎図」や、神護寺蔵「釈迦如来像」の模写はすばらしい出来ばえだ。
前者の模写には、下村観山も加わっている。  
写真は、その観山が、模写と同年の明治29(1896)年に描いた「仏誕」つまり釈迦誕生の図である。


「模写」という作業が、技法的にも作品の精神性の面でも本画制作に影響を及ぼすことのいい例であろう。
親密な近代的空間の中に、平安末期の仏画の美しさが蘇ったような作品である。
誕生したばかりの釈迦が、ふっくらした小さな指で「天上天下」を指差しているのが愛らしい。

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写真 下村観山筆『仏誕』東京藝術大学蔵=奈良県立美術館発行図録より


 天心が中心となって、現代に生きる私たちまでが自国の美術品のすばらしさに気付く「装置」を作っておいてくれた。
しかしそれは周囲に彼の思想を具体化する大勢の実作者がいてこそ可能だったのだと今回気付かされた。


 また同時に、彼の仕事は信仰の対象であった仏像、仏画、神像が、「美術」として鑑賞の対象となるきっかけとなったと思う。
例えば最近の大規模な仏像の展覧会で、展示方法に違和感を覚えることがある。
キリスト教の教会が、ご本尊のキリスト像を展覧会のために貸し出したりするのだろうか?
会場で、そんな様々なことを考えさせられる興味深い企画だった。


 最後の展示室に、大正2(1913)年、天心が死の床にある時、尊敬する長谷寺の丸山貫長宛に、病気平癒の祈祷を依頼する妻・もと子の手紙があった。その甲斐もなく、5日後に天心は亡くなる。まさに明治という時代を駆け抜けたわずか五十年の生涯であった。     

・・・・・・・・・・・・・・・

かわしま・かずほ 大阪芸術大学短期大学部教授。
メモ 奈良県立美術館 奈良市登大路町10−6、電話0742(23)3968。月曜日休館。
会期は5月24日まで。

写真は狩野芳崖「悲母観音」

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コメント

 川嶌先生のご指摘《彼の仕事は信仰の対象であった仏像、仏画、神像が、「美術」として鑑賞の対象となるきっかけとなったと思う。例えば最近の大規模な仏像の展覧会で、展示方法に違和感を覚えることがある。》は、そのとおりだと思います。
 私自身は、昨年5月に開催された、あべのハルカス美術館「 開館記念特別展 東大寺」で少し違和感を覚えました。
 田中義恭先生が『仏像の世界』(日本文芸社、2008年)で、仏像を鑑賞する時は《単なる美術作品ではなく、信仰の対象となっていることを考慮する必要である。》と書かれているのと同じ趣旨だと理解しています。
 

やいちさん、コメントありがとうございます。わたしは、2度目拝観にいってきました。良い展覧会です。

やいちさん
いつも読んで下さって、有難うございます

展覧会に限らず、わたしは異教でも宗教施設を拝見するときは、自分なりの敬意を払うようにしていますが、それを制度化している場面に何度か遭遇しました

イタリア南部に行ったとき、カトリック教会で、ノースリーブやショートパンツは入れないことになっていて、入り口で100円くらいでストールを貸し出していました

タイ・バンコク郊外の寺院に行ったとき、戸外の仏像をバックに入れて人の写真を撮るとき、仏像の頭部より上に人間が立ってはいけないということで、みなしゃがんでいました

イスタンブールのイスラム寺院では、異教徒には強制はしていませんでしたが、わたしはストールを用意して行きました

日本でも、たとえ観光であっても、ある程度の敬意を払うようになればいいなと思います。日本人自身に敬虔な気持ちがないのでは、仕様がないですが

最近の、葬式もしない、仏壇もない、お経も唱えないという風潮では、大切な人との別離を克服するのは、わたしには難しかったと思います


川嶌先生、コメントありがとうございます。その通りだと思います。
仏像や神様にカメラを向けてはいけないところもたくさんありますね。スリランカでは靴を脱ぎました。
来月も記事を楽しみにしています。

川嶌先生  詳しいコメントをありがとうございました。よくわかりました。                                             伊勢神宮さんで正式参拝するには、正装(男性の場合はスーツ+ネクタイ)が求められますが、同じ趣旨だと思います。

鹿鳴人さん、やいちさん
コメント、有難うございました
昔から、お寺や神社は教育の場でもあったでしょうね
外国から大勢の観光客に来て頂くにあたって
奈良から、そのことを発信していけたらいいですね

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