今月の大阪芸術大学短期学部教授の川嶌一穂さんの美ビット見て歩きは、東北の津波、大震災の地をたずねての話です。昨年たしか南三陸鉄道を訪ねられ、ことし2月には気仙沼を訪れられたようです。
気仙沼市の リアス・アーク美術館常設展『東日本大震災の記録と津波の災害史』
3月11日はあの大震災からまる4年でした。復興が進まないということが報じられています。
語りつないで風化しないようにしたいものです。
美ビット見て歩き 私の美術ノート *27 川嶌一穂
宮城県気仙沼市 リアス・アーク美術館常設展『東日本大震災の記録と津波の災害史』
写真 2011年6月1日、気仙沼市唐桑町石浜の状況。=リアス・アーク美術館提供
20年前、宮城県気仙沼市の市街地から少し離れた高台に新しい美術館が誕生した。その名は、老人ノアが家族とすべての動物のつがいを箱舟(アーク)に積み込んで、大洪水を生き延びたという旧約聖書に由来する。建築も、船の形をした斬新なデザインだ。
震災前、この地域を過去数十年ごとに襲った地震・津波災害の展示が行われたが、大きな反響はなかったという。そのことに危機感を抱いた学芸員の山内さんは、明治二十九年の三陸大津波を題材とした小説『砂の城』(近代文芸社)を書いた。
そのわずか2年半後に、今回の大震災が起きたのだ。美術館も地震の損傷を受けたが、高台にあったため津波の被害は免れた。
その直後から記録写真が撮られた。美術館にいた学芸員が、家族の捜索に向かう時も、危険の中シャッターが押された。現在展示されているこうした写真の1枚1枚に、撮影時の様子を淡々と綴った説明文が付く。
掲げた写真の説明文。「岸壁に残されたこの鉄柱には明治三陸大津波の浸水深が示されている。それより高い位置に設置されていた照明器具などが全てもぎ取られていることから、浸水深がそれをはるかに越えていたことがわかる。住民の証言からも、明治の津波遡上高を越えていたことは明らかである。『これ以上の津波は来ない』という迷信は非常に危険だ。」
この4年間、私たちは何度「瓦礫」という言葉を聞き、また自分でも使ったことだろう。しかしガレキという言葉は、どう考えても被災していない者の使う言葉だ。被災者にとっては、きのうまで暮していた家であり、家族で乗っていた車や、抱いて寝たぬいぐるみなのだ。日頃、何か一つ探し物をするだけでも大騒ぎするのに、何十万人もの人が、身の回りの大切なものを失くしてしまったことに、なかなか思いが至らない。
2月の末に訪れた気仙沼の海は、波一つなく、日の光を映して輝いていた。いい温泉(今回私が泊ったのは、気仙沼プラザホテル)があって、美味しい魚(復興屋台村や居酒屋・福よしさんなど)が食べられて、俳優・渡辺謙さんが開いたお洒落なカフェ・Kポートもある。
しかし、海辺には基礎だけが残る地面が広がり、復興はまだまだこれからだ。次代に語り継ぐことが、私たちに課せられている。
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かわしま・かずほ 大阪芸術大学短期大学部教授。
メモ リアス・アーク美術館 宮城県気仙沼市赤岩牧沢138−5、電話0226(24)1611。 月曜・火曜、祝日の翌日(土・日を除く)休館(ほかにもメンテナンス休館あり)。 図録『東日本大震災の記録と津波の災害史』は800円(送料360円)。
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