美ビット見て歩き。 寧楽美術館 柳澤吉保没後300年記念「柳澤家伝来の名品展」
大阪芸術大学短期学部教授の川嶌一穂さんの美ビット見て歩き 私の美術ノート *26 が今年初めて、奈良新聞に掲載されました。
「柳沢吉保はよく悪役と描かれますが、本当に悪役なのか?」と提起されています。たしかに大河ドラマでは悪役も必要なのかもしれませんが、たいへん迷惑なことかと思います。以下紹介します。
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美ビット見て歩き 私の美術ノート *26 川嶌一穂
寧楽美術館 柳澤吉保没後300年記念「柳澤家伝来の名品展」
写真 狩野常信画『柳澤吉保像』絹本著色 掛幅装
元禄16(1703)年=郡山城史跡・柳沢文庫保存会提供
庭園が好きで、旅の途中にその地の名園でぼーっと時間を過ごすことが多い。いつぞやも東京駒込の六義園(りくぎえん)を訪れたら、入口近くのしだれ桜が満開で、その匂い立つばかりの美しさに酔いしれたことがあった。
「六義」と言うのは儒教からきた名前と思っていたが、そのとき園内の景色一つ一つに付けられた説明を読むうちに、江戸城の真北にあたるこの地に和歌浦(和歌山県)の景色を移し、それによって『古今和歌集』を中心とする「和歌の世界」を再現したものであることを知った。
五代将軍・徳川綱吉の側用人・柳沢吉保が造営したこの庭園が完成したのは、まさに「頃は元禄十五年」、西暦1702年の赤穂浪士討ち入りの年である。「犬公方」として有名な綱吉と、その寵愛を受けて小姓から大老格に登り詰めた吉保は江戸時代屈指の「悪役」である。
しかし本当のところはどうだろう。朱子学が盛んだった当時にあって古典に帰れと説いた荻生徂徠を登用したり、都から王朝文学の第一人者・北村季吟を招いて、みずからも「古今伝授」(古今集の解釈を秘伝として伝授)を受けた柳沢吉保という存在は、江戸中期の文芸・思想ルネサンスの大パトロンだった(島内景二著『柳沢吉保と江戸の夢ー元禄ルネッサンスの開幕』笠間書院)。
狩野常信によって描かれた「吉保像」の堂々たる面構えと、肖像に添えた自賛の「腰に金剛宝剣を佩(は)き」という句に籠めた気迫が、そのことを雄弁に物語っているようだ。また綱吉その人が描いた二幅の画からは、むしろ穏やかで大人しい人物という印象を受ける。
綱吉が亡くなった後、吉保は家督を長男・吉里(よしさと)に譲って隠居した。大和郡山に転封になったのはこの吉里の代である。吉保が余生を過ごした六義園は、幕末に至るまで柳沢藩が下屋敷として使用した。
今回、展示品の数は少ないが、吉保の孫にあたる信鴻(のぶとき)の描いた、殿様の余技とは思えない花鳥画や、狩野派の描く六義園の絵巻など、武芸と文芸を二つながら大切にした郡山藩伝来の作品を見ることができる。
同時に郡山城内の柳沢文庫でも「柳澤家伝来の史料と水木コレクションの世界展」が(5月10日まで)開かれている。
城跡で「盆梅展」(3月11日まで)も開催中。ぜひ足を運びたい。
本欄は正月休みを頂いたので、今回が新年第一回目となる。今年もどうかご愛読を。
=次回は3月13日付=
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かわしま・かずほ
大阪芸術大学短期大学部教授。
メモ 名勝依水園・寧楽美術館 奈良市水門町74、電話0742(25)0781。火曜日休館。会期は3月15日まで
▼郡山城史跡・柳沢文庫 大和郡山市城内町2−18、電話0743(58)2171。月曜日、祝日、第4火曜日休館。
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