阪神淡路20年ーー1.17は忘れない
「1995年(平成7年)1月17日午前5時46分52秒(日本時間=UTC+9)、淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、Mj7.3の兵庫県南部地震が発生した。
近畿圏の広域(兵庫県を中心に、大阪府、京都府も)が大きな被害を受けた。特に震源に近い神戸市市街地(東灘区・灘区・中央区(三宮・元町・ポートアイランドなど)・兵庫区・長田区・須磨区)の被害は甚大で、日本国内のみならず世界中に衝撃を与えた。戦後に発生した地震災害としては東日本大震災に次ぐ規模である。」
阪神淡路大震災から20年経ちました。あの日、まだ真っ暗で寝床で、激しい揺れと音で目を覚ましました。何が起きているのか、寝ぼけた頭ではわからず、とにかく早くおさまってくれと願うばかりでした。ゆれがおさまった時、テレビをつけると、地震がおきたことをアナウンサーは伝えていました。たしか神戸からは情報がありませんといっていたように思います。この日は名古屋へ出張する予定をしていましたが、新幹線も止まっていて中止としました。陶器を扱っているので、店内や倉庫はどうなっているのか心配でしたが、幸いほぼ被害はありませんでした。
支店では店舗改装のため在庫一掃セールをしていましたが、前日までとはうってかわり、この日売り上げゼロを記録しました。
連日テレビではたいへんな状況を報じていました。ある知り合いは明石市の親類宅へ応援に行くため、奈良市から関西空港へ行き、当時淡路島に渡る定期船は運航していたので淡路島にわたり、そしてようやく明石市へたどりつきました。
また、ある友人は50ccのバイクに水をタンクにいれて生駒山を越えて神戸市の友人宅にいったということでした。
わたしの身近な人たちは青年会議所や商店街からも、何度も炊き出しに出かけました。ロータリークラブなどでは義捐金を送りました。
業界でも商品を届けたり、義捐金を送ったり、さまざまな支援を行ないました。
たいへんな数の人々が亡くなられました。
あれから20年経ちました。あのような惨事はもう起こって欲しくないと念じていましたが東日本大震災が発生しました。こういう生き物のような地球の上にわれわれは住んでいることを再認識した次第です。自然災害の面と人的災害の面があると思います。せめて人的災害は起こさないようにしたいものです。
あの1月17日から20年、記憶を風化させずにしっかりと記憶を新たにしたいと思います。
« 24日若草山焼き | トップページ | 大安寺、光仁会(こうにんえ)笹酒祭り »
コメント