11月7日法隆寺の会津八一の歌碑建立 除幕式典へ 1
11月7日 法隆寺の会津八一の歌碑建立 除幕式典があり出かけてきました。早く着きましたので、西院伽藍をぐるり拝見し、多くの仏像などを拝観できました。有り難いことです。
11時から奈良、新潟、早稲田大学、秋艸会など来賓多数参加の中、除幕式の式典が行なわれました。
神林会長ら代表の皆さんによる除幕、僧侶らによる法要、式典で代表あいさつや祝辞などがありました。
神林会長は「会津八一は法隆寺に歌碑を建てることを熱望していた。われわれの悲願でもあり、実現できて感無量」と述べられました。
そして作られた石工の左野勝司さんに感謝状や記念品が贈呈されました。
ちょうど西院伽藍の受付およそ30m西くらいのちょうど五重塔が望める良い場所に建てられました。
この日私は姫路からのお越しの会津八一研究家のやいちさんとご一緒できました。
いつもの素空氏のhpから、歌の説明をお願いします。
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五重塔をあふぎみて
ちとせ あまり みたび めぐれる ももとせ を ひとひ の ごとく たてる この たふ
(千年あまり三度めぐれる百年を一日のごとく立てるこの塔)
五重塔 「法隆寺五重塔」
ちとせあまり 「千年を超えて」
みたびめぐれる
ももとせ 「ももとせは百年、それを三回で三百年。ちとせあまりと合わせて千三百年を表す。ここでは聖徳太子千三百年忌を意味する」
ひとひのごとく 「まるで一日のように」
歌意
千年を超えて千三百年という長い年月を、まるで一日であるかのようにこの五重塔は静かにたっている。
歌が詠まれた大正10年の春、聖徳太子千三百年忌(4月11日)を前に寺も斑鳩村もある種の活気があったと言う。太子への思慕を背景に、上の句で表現した塔の長い年月を下の句で一日のごとくと言い表すことによって悠久の歴史の中にたたずむ五重塔を見事に歌い上げた。
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大野玄妙法隆寺管主はこの日のあいさつの中で、「この歌の聖徳太子の法要は2021年には1400年を迎えます。すでに会津先生が詠まれてから90年以上経ちました。そしてかつて歌碑が設計されて、配置も決められていたが実現できませんでした。今回その設計の同じ場所に設置できました。・・・」と言っておられました。
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大野管主の肉声は小さいので聞き取りにくかったですね。私は、かろうじて、“秋艸道人は「みたびめぐれる」と詠んでいるが「よたびめぐれる」になってしまった“の部分だけが聞こえました。
投稿: やいち | 2014年11月 7日 (金) 20時54分
やいちさん。きょうはご一緒できて何よりでした。大野法隆寺管長の声はたしかに聞き取りにくかったです。
予定では、西院の方であいさつされるということでしたね。
わたしは
この歌の聖徳太子の法要は2021年には1400年を迎えます。すでに「会津先生が詠まれてから90年以上経ちました。そしてかつて歌碑が設計されて、配置も決められていたが実現できません。今回その設計の同じ場所に設置できました。・・・」と聞き取りました。
そして、研究家の方に怒られるかもしれないが、ちとせあまり四たびめぐれるにして欲しいですね、と希望を言ってました。
投稿: 鹿鳴人 | 2014年11月 7日 (金) 21時08分
迂闊なことですが、1月下旬に中央公論新社から大橋一章先生が『會津八一』を出されていることを知り、あわてて購入しました。
http://www.chuko.co.jp/zenshu/2015/01/004665.html
植田重雄先生のご本以来の本格的評伝だと思います。
あとがきでは、法隆寺の歌碑に関する記述があり、写真も掲載されています。
私は、東院伽藍での除幕式典が終わった後、大橋先生が写真を撮影される場面に居合わせました。その際、大橋先生のカメラを預かり、歌碑と五重塔を背景に大橋先生と角田勝久先生のツーショットの写真を撮影したのが良い思い出です。
投稿: やいち | 2015年2月25日 (水) 15時33分
やいちさん、貴重な情報ありがとうございました。
大橋先生はお話も聴いたことがありますし、お名刺もいただいたことがあります。本はわたしも早速注文しました。
素空氏にも連絡しました。
またよろしくお願いします。
投稿: 鹿鳴人 | 2015年2月25日 (水) 18時58分