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2014年11月 9日 (日)

あめつちに、の会津八一の歌碑が原家から法隆寺夢殿に移設されました 2

11月7日、法隆寺近くの原さんの庭に昭和54年に建てられた会津八一の歌碑が法隆寺の夢殿近くに移設され、この日除幕式が行なわれました。

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寄贈された原 玉泉さんの家族の方に感謝状と記念品が贈られました。

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ご来賓の興福寺の多川俊英貫主はこの日祝辞の中で、原 玉泉さんのことに触れられました。

「原さんはかつて尼崎市役所などにお勤めになりその後奈良の法隆寺そばに住まいを求められた歌人でした。
ちょうど興福寺で寺務をされる方を募集したところ、原 玉泉さんに来ていただき、当時執事であったわたしも10年ほどご一緒に仕事をしました。
そしてわたしも短歌が好きなのですが、原さんはわたしの短歌の先生ということにもなりました。
かつてご自宅に会津八一さんの歌碑を作られたということは聞いていました。その歌碑が法隆寺境内に移設されたということは、本日西院の歌碑とともにふたつも法隆寺に会津さんの歌碑が建ち、たいへん喜ばしいことです。・・・」と述べられました。

(追記、会津八一研究家やいちさん提供の「南京会報」(H8.10.10発行)によれば、原さんは昭和24,25年ごろ網干警察(姫路市)の署長をされていたそうです)

そして校友会奈良県支部などでご講演もうかがったことがある早稲田大学名誉教授、前会津八一記念博物館館長の大橋一章先生は、「会津八一は不便な頃に三十回あまり奈良を訪れており学生も良く連れて来ました。
わたしもその後毎年学生をつれてきて夢殿から法起寺法輪寺に行く時に原さんのお宅の庭にあったこの歌碑をよく学生たちに見せました・・・」と述べられました。(以下の写真)

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また小城利重斑鳩町長は「きょう2つの会津八一先生の歌碑が出来て、斑鳩町にある会津先生の歌碑めぐりのウォークなど出来たら良いなと思っています・・・」とこの日ごあいさつされていました。

この歌碑も石工の左野勝司さんによって移設されたそうですが、まわりの景色ととてもよく合っています。

歌の詠まれた、救世観音がおられる夢殿のすぐ近く、中宮寺への道のあたりです。

ちょうど夢殿の救世観音さまも特別開帳されていましたので拝観することができました。

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歌碑の歌をいつもの素空氏のhpに解説をお願いすることにします。

 

夢殿の救世観音に

 あめつち に われ ひとり ゐて たつ ごとき
この さびしさ を きみ は ほほゑむ
         

天地にわれ一人ゐて立つごときこの寂しさを君はほほゑむ)


夢殿

救世観音

「聖徳太子が住まわれた斑鳩宮跡に、太子の遺徳を偲んで天平11年(739)に建てられる。八角円堂の中央の厨子には、聖徳太子等身と伝える秘仏救世観音像(飛鳥時代)を安置する」
「この秘仏(国宝)は、明治時代になりフェノロサにより封印をとかれた。ふくよかで 笑みをたたえた姿は有名である」

歌意
 この壮大な天地の中にたった一人立っているような想いで見上げる私の寂しさに、みほとけは(慈くしみ深く)ほほえんでおられる。

 平易に歌われた一首だが人の心をとらえ揺さぶる。一歩踏み込んで、作者と仏像との間の「さびしさ」と「ほほえみ」を理解する必要がある。天地の中でたった一人立つ寂しさは、同時に救世観音の寂しさであり、作者と観音そのものと渾然一体になっている。観音の持つ寂しさが八一の「さびしさ」を呼び起こしたと言える。
 さびしさの「ほほゑみ」について、作者は随筆・渾齋隨筆でこう言う。「目の前に立ち現れた、あの幽玄な美術的表現、観音の慈悲心、聖徳太子の御一生、上宮王家のかなしい運命、或はこの像の秘仏としての久しい伝来などが、錯綜して、この一首の成立を手伝った・・・」
 また植田重雄先生は「秋艸道人会津八一の學藝」で歌成立までの推敲と変化を述べ、作者と仏との間の、崇高、寂寥、慈悲一体の境を示す歌と絶賛する。
  (大正10年10月)
    うつしよ に われ ひとり ゐて たつ ごとき この さびしさ を きみ は ほほえむ
  (大正12年6月)                                          
    あめ地に我ひとり居て立つ如き此の寂しさをほゝゑみてあり
  (大正12年9月)      
    あめつちに唯ひとりゐて立つ如き此寂しさをほゝゑみてあり
  (大正13年12月 南京新唱 春陽堂より出版)      
   あめつち に われ ひとり ゐて たつ ごとき この さびしさ を きみ は ほほゑむ
 そしてこう展開する。「この歌はいつでもどこでも仏像を仰ぐとき、荘厳と寂寥、慈悲心、人間的関係を喚び醒す力を持っているのではないだろうか。」
 「会津八一の生涯」では「道人(八一)にとって伝説の救世観音が聖徳太子と等身であり、太子は観音の化身だった。小主観、小自在を拒絶して、完璧な澄みきった一首が生まれるためには、絶対者としてのみほとけと人間との出会いにすべてが賭けられているのであろう」と述べている。

この日、法隆寺でいただいたご朱印は、「和を以って尊としと為す」です。

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地元奈良新聞は11月8日付で以下のように伝えています。

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コメント

 素空さんのWebサイトには、既に鹿鳴人さんが提供された夢殿北西設置後の写真がが掲載されています。素晴らしい連携ですね。
 移設後の歌碑は、最初から今の場所にあったように周りの光景になじんでいます。泉下の原玉泉さんも喜んでおられることでしょう。
 希望を言えば、簡単で良いので解説板を設定して欲しいものです。

やいちさん。先日はありがとうございました。またコメントありがとうございます。そうですね、案内板はぜひ欲しいですね。そうでないと知らない人にはわかりませんからね。
またよろしく。

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