奈良県立美術館の大古事記展へ
いよいよ18日から奈良県立美術館では大古事記展がはじまりました。とても良い天気の中、早速拝見してきました。
以下は図録より。多神社の太安万侶神坐像。右は大国主大神木像。
石上神社の七支刀 右下 春日大社より、鹿島神影図。
いろいろな資料や文献があり、またいろいろな絵画の大家の絵や現代アーチストの作品も多数ありました。
先日の新聞で、橿原考古学研究所所長の「古事記はすべてが事実ではない、いろいろな時代で話が加えられている」という解説がありました。それを踏まえてみると、古事記が理解しやすいと思いました。
基調講演 考古学で読み解く面白さ 奈良県立橿原考古学研究所所長・菅谷文則さん
古事記の内容はすべてが歴史的事実ではありません。キリスト教圏には「聖書考古学」という分野がありますが、古事記についても、考古学の成果を踏まえて批判的に見ながら、史実を反映している部分を見極めて研究することができるんです。
古事記の冒頭に、男神の伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と、女神の伊邪那美命(いざなみのみこと)による国生み神話があります。火の神を産んだ伊邪那美はやけどで亡くなり、黄泉(よみ)の国へ行ってしまう。会いに行った伊邪那岐は伊邪那美の変わり果てた姿を見て、この世に逃げ帰ってきます。この黄泉の国は、水平に入っていく古墳の横穴式石室をイメージさせます。日本では福岡県周辺で400年ごろから横穴式石室が作られており、それより後に成立した神話でしょう。
現在の神社建築の屋根に見られる、棟の上に並んだ鰹木(かつおぎ)や両端から突きだした千木(ちぎ)にも注目したい。古事記によると、雄略(ゆうりゃく)天皇は天皇の宮に似せて屋根に鰹木を乗せた家を見て怒り、これを焼かせたといいます。雄略は5世紀に実在した人物。鰹木は奈良県御所(ごせ)市の室大墓(むろのおおばか)古墳(4世紀末~5世紀初め)の家形埴輪(はにわ)に見られます。一方、とがった千木は継体天皇の墓とされる大阪府高槻市の今城塚(いましろづか)古墳などの、6世紀以降の家形埴輪にあります。雄略の時代に鰹木の記述しかないことは、考古学の成果とよく合うんです。
古事記には、後世に付け加えられた部分が多くあります。そこに描かれた自然環境や家屋、墓、武器などが実際に出現した時期を考古学で絞り込むことによって、その部分がいつごろ付け加えられたかが分かります。考古学で古事記を読み解くおもしろさを「大古事記展」で感じてほしいですね。
大古事記展は12月14日まで。見所の多い展覧会です。
奈良での全国豊かな海づくり大会に来られる天皇陛下皇后陛下も11月17日にこの大古事記展を見に来られると新聞報道されています。
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