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2014年10月28日 (火)

会津八一の高円山の歌 二首

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少し前になりますが10月8日に、入江泰吉記念奈良市写真美術館をたずねました。そのときの左上の写真は高円山(たかまどやま)の様子です。すこし紅葉がはじまっています。そして右上は稲刈り前の奈良市写真美術館、新薬師寺のあたりの風景です。
 

会津八一研究家の素空氏によれば、八一の歌に高円山の歌がある、ということです。

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三月二十八日報あり・・・(第5首)  「山光集・香薬師」  
    (三月二十八日報ありちか頃その寺に詣でて拝観するに香薬師像のたちまち
    何者にか盗み去られて今はすでにおはしまさずといふを聞きて詠める)

 

 
 かど の へ の たかまどやま を かれやま と               そう は なげかむ こゑ の かぎり を

 

(門の辺の高円山を枯れ山と僧は嘆かむ声の限りを)

 

かどのへ  「門の辺、新薬師寺の門のあたり」
たかまどやま 「高円山、新薬師寺の東にある山。参照」
かれやま 「(自註より)『古事記』二十二段に、速須佐之男命が号泣せらるる状を形容して『青山を枯れ山と如(な)す泣き枯らし、河海は悉(ことごと)に泣き乾しき』と記せるあり。予は少年の頃よりこの力づよき表現に感動し居たりしかば、今この寺の僧が悲嘆のさまを想像して歌わんとするに、少しく変形して、かく表はれ来りしものの如し」

 

歌意
 新薬師寺の門に近い高円山を枯れ山にしてしまうほどに僧は嘆き悲しむだろう。声の限りに泣きて。

 

 須佐之男命の故事の解説が無いと難しい歌である。号泣が山を枯らすほどの悲嘆が故事を知ると迫力をもって迫ってくる。
 今年は平城遷都1300年を記念して、新薬師寺は香薬師のレプリカを公開しているが、レプリカはレプリカである。本物の出現を渇望している。

 

http://surume81.web.fc2.com/hitorigoto/81/ka/ka.html#kadonohe

 

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そして、あきはぎの歌は有名ということです。
高円山をのぞみて
 あきはぎ は そで には すらじ ふるさと に              ゆきて しめさむ いも も あら なく に
 (秋萩は袖には摺らじ故郷に行きて示さむ妹もあらなくに)

高円山
「たかまどやま。奈良、新薬師寺、白毫寺の東、主峰は標高432メートル。白毫寺山の別称がある。聖武天皇の離宮があったところで萩の名所」

そでにはすらじ 「奈良時代に衣服(袖)に花や葉を、直接摺り付けて模様にすることが行われた」
いも「妹。男が女を親しんでいう語。主として妻・恋人をさす。⇔兄(せ)」
あらなくに「いるわけもないのだから」
歌意
 (昔、奈良時代は)高円山のこの萩を袖に摺り付けて模様としたが、私はしないでおこう。故郷に帰って見せる恋人もいないのだから。
    
 八一28歳の恋の歌と言ってよい。八一の従妹周子の友人である女子美術学校生・渡辺文子への恋が成就しなかった八一は、そうした思いを古代への憧憬とともに歌った。
 晩年の養女・高橋キイ子への家族的、人間的な愛の歌(山鳩)を除けば、貴重な愛の歌である。同じ「若き八一の憂い」から歌われた「わぎもこが・・」の歌よりもっと直接的な表現になっている。
 

 

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