奈良どっとFM78.4
もちいどのセンター街の奈良どっとFM78.4のサテライトスタジオでは、10月31日昼下がりハローウィンの格好で放送中でした。インターネットでも聞くことができます。→http://www.nara.fm/
先週は「ここにおいでよ、もちいどの」という番組で、15分間、器まつもりのことなどインタビューいただき出演してきました。
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もちいどのセンター街の奈良どっとFM78.4のサテライトスタジオでは、10月31日昼下がりハローウィンの格好で放送中でした。インターネットでも聞くことができます。→http://www.nara.fm/
先週は「ここにおいでよ、もちいどの」という番組で、15分間、器まつもりのことなどインタビューいただき出演してきました。
興福寺 北円堂、東金堂の後堂が特別公開されていますので拝観してきました。(北円堂特別公開は11月9日まで)
そして東金堂へ。左下こちらは正面からは年中拝観できます。そして今回の東金堂後堂特別公開は東から入ります。(注意が必要なのは、拝観料が別々にそれぞれ300円必要です)
案内のチラシです。(東金堂後堂の特別公開は11月24日まで)
この日は東金堂のご朱印をいただきました。いつもお世話になる奈良まほろばソムリエの会、広報グループのリーダーHさんにもばったりお会いできました。
南円堂です。右下幼少の折ターザンごっこをした藤の木は枯れました。
現在再建中の中金堂。そして右下、国宝館です。国宝館内では小学生の皆さんがボランィアガイドさんの案内を熱心に聞いていました。
興福寺のHPです。→http://www.kohfukuji.com/
11月7日(金曜日)から9日(日曜日)まで奈良きたまちWEEK2014という催しが開かれるということで、奈良のブログでも活躍中の奈良倶楽部さんから案内をいただきましたので紹介します。
近頃、奈良時代から鎌倉、戦国時代、江戸時代、近代の各時代の遺跡、社寺、建物があるということで、きたまちは注目のエリアです。かなり範囲が広いので時間をかけて楽しんで下さい。自転車でめぐる、という提案もされていますが、確かに自転車でめぐるのも良いと思います。
くわしくは。公式HPをご覧ください。http://kitamachiweek.com
MAPはクリックすると拡大します。
会津八一研究家の素空氏によれば、八一の歌に高円山の歌がある、ということです。
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三月二十八日報あり・・・(第5首) 「山光集・香薬師」
(三月二十八日報ありちか頃その寺に詣でて拝観するに香薬師像のたちまち
何者にか盗み去られて今はすでにおはしまさずといふを聞きて詠める)
かど の へ の たかまどやま を かれやま と そう は なげかむ こゑ の かぎり を
(門の辺の高円山を枯れ山と僧は嘆かむ声の限りを)
かどのへ 「門の辺、新薬師寺の門のあたり」
たかまどやま 「高円山、新薬師寺の東にある山。参照」
かれやま 「(自註より)『古事記』二十二段に、速須佐之男命が号泣せらるる状を形容して『青山を枯れ山と如(な)す泣き枯らし、河海は悉(ことごと)に泣き乾しき』と記せるあり。予は少年の頃よりこの力づよき表現に感動し居たりしかば、今この寺の僧が悲嘆のさまを想像して歌わんとするに、少しく変形して、かく表はれ来りしものの如し」
歌意
新薬師寺の門に近い高円山を枯れ山にしてしまうほどに僧は嘆き悲しむだろう。声の限りに泣きて。
須佐之男命の故事の解説が無いと難しい歌である。号泣が山を枯らすほどの悲嘆が故事を知ると迫力をもって迫ってくる。
今年は平城遷都1300年を記念して、新薬師寺は香薬師のレプリカを公開しているが、レプリカはレプリカである。本物の出現を渇望している。
http://surume81.web.fc2.com/hitorigoto/81/ka/ka.html#kadonohe
修理されていた正倉院の公開が始まりましたので、早速拝見してきました。
「平成26年10月25日(土)午前10時から「正倉」外構の公開を再開します。
「正倉」外構の公開は,次のとおり実施しています。(申込手続不要,無料)
1 公開実施日時 (1)月曜日から金曜日まで(休日等を除く)の毎日,午前10時から午後3時までです。
2 公開を実施しない日 (1)行事の実施,その他やむを得ない理由のため支障のある日
(2)土曜日・日曜日・国民の祝日・休日
(3)12月28日から翌年1月4日まで
3 なお,平成26年10月25日(土)から平成26年11月12日(水)(「第66回正倉院展」開催中)までは,毎日,午前10時から午後4時まで公開します。」
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JR奈良駅のスタンプラリーゴール地点にもいきました。各団体からの応援スタッフの皆様お世話様です。景品の数々もならんでいます。
JR奈良駅の広場では音楽の広場、きょうは由利龍示さんの篳篥(ひちりき)の演奏です。
奈良時代もこうであったろうという服装で、ひちりきで、納曽利やオリジナル曲、スカボロフェアなどの演奏が響いていました。
画像をクリックするとプログラムなど拡大します)
7,8年前のことになりますが、日本経済新聞の奈良支局長をされていていろいろとお世話になった現在編集委員の吉田俊宏 さんの署名入り10月11日付文化欄の記事がありました。
そこで「ERIS」を知りましたので紹介します。わたしも早速申し込みました。びっくりしましたが舞楽の南都楽所の楽頭をされている、奈良大学名誉教授の笠置侃一先生のインタビュー記事も掲載されていました。
以下は吉田俊宏さんが伝える日経新聞の記事です。
1万字で音楽を熱く語る 編集委員 吉田俊宏
「ERIS(エリス)」という音楽雑誌が面白い。エリスメディア合同会社(東京・渋谷)が2012年10月から年4回発行する電子書籍だ。9月発行の第8号から新編集長になった萩原健太さんをはじめ、執筆陣にはピーター・バラカンさんや亀渕昭信さん、北中正和さんといった人気音楽評論家がずらり。登録すれば無料で購読できる。
1万字以上の大ぶりの読み物が幾つも並んでいる。特徴はこのボリュームにある。同誌プロデューサーの土田真康さんは「2000~3000字にした方が読みやすいのだろうが、ファンが読みたいのは、筆者が割愛した残りの部分ではないか」と指摘する。
例えば、亀渕さんの連載「どうしても聴いておきたいアメリカン・ポップス1001」は、進駐軍ラジオに熱中した世代ならではの皮膚感覚が魅力だ。エルビス・プレスリーのデビューLPが出たころ「トゥッティ・フルッティ」などが毎夜のようにかかった。まだ「カバー」という言葉がなく、「プレスリーはリトル・リチャードがヒットさせた曲を歌っている」と紹介されたという。余談でも、こうした細部にグッとくるのだ。
東京大学教授の安冨歩さんによる「マイケル・ジャクソンの思想」も興味深い連載だ。最新号ではマイケルの3本の映画に光を当て、「彼の芸術のすごさは、そのメッセージの真実性と隠蔽性とにある」と看破する。字面だけ見れば難解だが、映画の内容を具体的に詳述してくれるからすとんと腑(ふ)に落ちる。
音楽誌に付き物のライブや新譜の情報は一切載せていない。「音楽を熱く語ること。マニアックに論ずること。その楽しさをインターネット時代ならではのやり方で再構築したい」と萩原さん。最近は音楽が情報として消費されている印象があるが、そんな現状への果敢な挑戦といえるだろう。購読会員は約1万5000人、平均45歳だそうだ。
先日ちょうど出張があり、東京上野の国立博物館を訪ねました。平日の雨でわりあいゆっくり拝見出来ました。「日本 国宝展」が開かれており、ちょうど正倉院宝物の鳥毛立女屏風の6扇のうち第1と第3の扇を展示されていました。
正倉院宝物では、東大寺の名前入りの楓蘇芳染螺鈿槽琵琶など合計11点が特別展示されていました。
その他国宝の数々が多数展示されている中で、東大寺、法隆寺、安倍文殊院、浄瑠璃寺から仏像、薬師寺の仏足石、元興寺の小五重塔、西大寺や、藤ノ木古墳、信貴山の信貴山縁起や奈良国立博物館などから出品されており、奈良はやはり国宝に恵まれているものだと再確認した次第です。
また、本館1階では、日本、中国、韓国の中央博物館からの、今回は陶磁器に絞って「東アジアの華、陶磁名品展」が開かれていましたので興味深く拝見しました。
東京国立博物館のHPです→http://www.tnm.jp/
(追記)
その翌日、奈良国立博物館の正倉院展を拝見して、今回初めて全6扇の鳥毛立女の像を拝見しました。
図録によると、752年の反故紙が裏打ちされており、聖武天皇の寝室で使用されていたとのこと。光明皇后により正倉院に納められたとのこと。
以前は樹下美人像という名で紹介されていたように思います。
6扇の美人像を拝見して、これは同一人物ではないかと思いました。
ともあれ、すばらしい宝物はいろいろと想像をかりたてられるように思います。
いよいよ正倉院展です。幸いにも前日の内覧会で拝見できました。すばらしい宝物の数々です。23日夕方には皇太子殿下も見に来られるということでした。
ちょうど前日、東京国立博物館で鳥毛立女屏風の1扇と3扇を拝見してきましたので今回とあわせて6扇すべてを2日間で拝見するという幸運に恵まれました。有り難いことです。
正倉院展の案内HPです。→正倉院展
いよいよ10月24日から奈良国立博物館で正倉院展が始まります。そして同時に、あるくん奈良スタンプラリーが始まります。上は無料配布される冊子の上部分。そして下は最終ページの下部分です。
以下のまちづくり奈良のHPに冊子の全ページがアップされています。→http://machinara.jp/events/1609/
商ひょうご10月号にもちいどの夢CUBEが紹介されました。
若い起業家たちの夢が詰まった「もちいどの夢CUBE」
~奈良もちいどのセンター街協同組合~
今から千百年ほど前のこと、東大寺の理源大師という高僧が奈良・大峰山の大蛇退治に出かけました。その時、お供に名乗り出たのが箱屋勘兵衛と七人の若者たち。彼らはたくさんのお餅と干飯を持って大峰山に向かい、大蛇の被害を受けた人々たちに餅や飯を配ったうえ、皆で力を合わせて見事、大蛇を退治しました。そこで、理源大師はこの者たちに「餅飯の殿」の称号を与え、労をねぎらったという伝説が残されています。この伝説にその名を由来するともいわれる「もちいどの(餅飯殿)商店街」。
今、この地で新たな商業の担い手を育成する試みが脚光を浴びています。
商店主たちの危機意識
もちいどの商店街は奈良市で最も古い商店街の一つです。奈良市の中心市街地に位置し、北に近鉄奈良駅、西にJR奈良駅が共に徒歩数分のところにあります。東側には猿沢池が隣接し、さらにほんの少し足を伸ばせば東大寺や春日大社が目と鼻の先です。このように交通至便な上、有名な観光地が近くにあることから、いつもたくさんのお客さんで賑わいを見せていますが、これまで決して平坦な道を歩んできたわけではありませんでした。
少し歴史を振り返ると、このあたりは古くから商店が軒を連ね、多くの人が行き交う町でした。昭和になってからも商店街の賑わいは続いていたのですが、その大きな要因は近くに奈良市役所があったことです。
ところが、昭和53年に思いがけない事態が起こります。市役所が移転してしまったのです。影響はすぐに表れました。商店街の通行量が目に見えて減りだしたのです。そして、徐々に空き店舗が増えていきました。その傾向は平成になっても止まることなく、気がつけば約80店舗のうちの10店以上が空店舗になっていました。
「何とかせなあかん。」多くの店主が、そんなふうに危機感を抱いていた頃、また一つ難題が持ち上がります。商店街の中央部で営業していた大きな遊戯店が閉店することになったのです。平成16年のことでした。もし、跡地に商店街の風紀に合わない店が進出してきたら、大変なダメージになってしまう。そう考えた奈良もちいどのセンター街協同組合の松森重博理事長は、組合で土地建物を買い上げて、新しい店を自主運営することを理事会に提案します。他の理事たちの賛同を得て、この計画はすぐに実行されました。
さて、買収はしたものの、次なる問題が控えていました。まだどんな事業をするか決めていなかったのです。
ところで、松森さんたちは以前から、経営の専門家を招いた勉強会を定期的に開いていました。そこで、この勉強会を新たに「プロジェクトM」と名づけて、跡地をどう活用するか検討することにしました。
最初に決まったことは、建物をキューブ状のユニークな形に建て直すことでした。これは、後に「第13回 奈良県景観調和デザイン会長賞」を受賞することになります。その後、多くの議論を経て、跡地は若い商店主を育成するためのインキュベーション施設にすることが決まります。インキュベーションとは、起業家を育てるための施設のことで、直訳すると「孵化
既存店舗の店主たちからは、「そんなことをすると自分たちの競争相手が増えてしまうだけではないか」、「よその人が入るともちいどの商店街らしさが失われてしまうのではないか」といった懸念が示されましたが、松森さんたちは「新しい人たちに新しい風を吹き込んでもらって商店街を活性化したい」と熱意を以て皆を説得しました。そして、新しい施設の名前を「もちいどの夢CUBE」と決めました。
若き商店主たちの成長と、商店街全体の活性化
補助金を使っていた関係上、建設は前年の11月に地鎮祭を行い、翌年の3月完成という慌ただしさで進みました。その間、入居者の募集が進みます。初めはなかなか集まりませんでしたが、マスコミの注目を集めたこともあり、最終的に10店舗の枠に40件以上もの応募がありました。多くは、20代から40代前半くらいまでの若い女性です。採択後は、コンサルタントが開業準備を支援するなど万全の態勢を整えました。
こうして、平成19年4月にオープンした「もちいどの夢CUBE」。
商店主の卵たちは、1期3年間、ここで思い思いの店を運営しながら、実体験を通して商いについて学び、着実に成長していきます。その間、松森さんたちは定期的にディスプレイやポップなど店舗運営の研修を実施したり、コンサルタントによる相談会を開いたりといった支援を行います。その結果、すでに1期生、2期生が巣立っていきましたが、卒業生たちの多くが同商店街の中や近隣地域で晴れて自分の店を開いています。
現在、3期生が運営しているのは、店主のこだわり雑貨だけを集めたお店やカメラ女子のためのフォトショップ、バリの手作り雑貨・木製品のお店、からだに優しい焼き菓子・衣類のお店等々、いずれも若い店主の夢が詰まった愛らしいお店ばかりです。そんな皆さんにお話を伺うと、
「建物が魅力的だし、マスコミの注目も高い。いつも人通りが多いのでたくさん経験を積むことができる」、「経営のノウハウをきちんと教えてもらえるのでとても勉強になる」、
「インキュベーション仲間との交流があるのが嬉しい」など、たくさんの前向きな感想が返ってきました。
もちろん、「もちいどの夢CUBE」の成功は商店街全体にも好影響を与えています。今では空き店舗がほぼ無くなり、通行量は以前より数段多くなっています。既存店舗の商店主たちとの関係も良好で、お互いに良い刺激になっています。
まさに、松森さんたちが目指した「新しい風を吹き込んで、商店街を活性化する」狙い通りになったのです。
(OCSコンサルティング 伊藤 康雄)
10月19日 第2回奈良で酒めぐり 酒なら日本酒というイベントがありました。今回は参加券代わりの1500円の手ぬぐいを手にいれ、中学以来の友人 I 君といっしょに5時にスタート。手ぬぐいには今回参加のお店の名前が入っています。
スタートは、しもみかど商店街の香月さんへ。そしてお隣のArone Luneへ。ここは知らない店でした。ここでいつもお世話になるTさん母娘さんのペアーにばったりと会うことが出来ました。
そして西寺林町の泉勇斎へ。吟醸酒のふたつの飲み比べです。ここでは昼からスタートしてすでに11軒すべて回った人に出会いました。しかもふつうの感じです。
次は小西通りの厨くりやへ。ここでは旧知のYさんとばったり。さらに右下、高天交差点近くの初めてのお店「炭火焼 のんき」へ。
次は近鉄高天ビル地下街へ。まずは、奈良まちなかバルでもお世話になっている、ほおずきさんへ。
前回知り合ったSさんにもばったりと出会い、3人でご一緒によもやまばなしをしながら飲みました。この日本酒飲み歩きはいろいろな人と知り合いになれるのも良いところです。
右下はチェンバーへ。
そして、亜耶(あや)さんへ。企画のYさんもカウンターの中に入ってお手伝い中。若きマスターにも会いました。魚料理がおいしいお店ということです。
ところでこの日は3時間ほどで、11軒中8軒でいただくことができました。もともと全店制覇が目的ではないのでこのあたりで終了。いっしょに飲み歩いた I くんといろいろな積もる話をしながら楽しい飲み歩きでした。
いま奈良はつぎつぎと楽しい催しが行われうれしいことです。次回の日本酒飲み歩きも期待したいと思います。
いよいよ18日から奈良県立美術館では大古事記展がはじまりました。とても良い天気の中、早速拝見してきました。
以下は図録より。多神社の太安万侶神坐像。右は大国主大神木像。
石上神社の七支刀 右下 春日大社より、鹿島神影図。
いろいろな資料や文献があり、またいろいろな絵画の大家の絵や現代アーチストの作品も多数ありました。
先日の新聞で、橿原考古学研究所所長の「古事記はすべてが事実ではない、いろいろな時代で話が加えられている」という解説がありました。それを踏まえてみると、古事記が理解しやすいと思いました。
基調講演 考古学で読み解く面白さ 奈良県立橿原考古学研究所所長・菅谷文則さん
古事記の内容はすべてが歴史的事実ではありません。キリスト教圏には「聖書考古学」という分野がありますが、古事記についても、考古学の成果を踏まえて批判的に見ながら、史実を反映している部分を見極めて研究することができるんです。
古事記の冒頭に、男神の伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と、女神の伊邪那美命(いざなみのみこと)による国生み神話があります。火の神を産んだ伊邪那美はやけどで亡くなり、黄泉(よみ)の国へ行ってしまう。会いに行った伊邪那岐は伊邪那美の変わり果てた姿を見て、この世に逃げ帰ってきます。この黄泉の国は、水平に入っていく古墳の横穴式石室をイメージさせます。日本では福岡県周辺で400年ごろから横穴式石室が作られており、それより後に成立した神話でしょう。
現在の神社建築の屋根に見られる、棟の上に並んだ鰹木(かつおぎ)や両端から突きだした千木(ちぎ)にも注目したい。古事記によると、雄略(ゆうりゃく)天皇は天皇の宮に似せて屋根に鰹木を乗せた家を見て怒り、これを焼かせたといいます。雄略は5世紀に実在した人物。鰹木は奈良県御所(ごせ)市の室大墓(むろのおおばか)古墳(4世紀末~5世紀初め)の家形埴輪(はにわ)に見られます。一方、とがった千木は継体天皇の墓とされる大阪府高槻市の今城塚(いましろづか)古墳などの、6世紀以降の家形埴輪にあります。雄略の時代に鰹木の記述しかないことは、考古学の成果とよく合うんです。
古事記には、後世に付け加えられた部分が多くあります。そこに描かれた自然環境や家屋、墓、武器などが実際に出現した時期を考古学で絞り込むことによって、その部分がいつごろ付け加えられたかが分かります。考古学で古事記を読み解くおもしろさを「大古事記展」で感じてほしいですね。
大古事記展は12月14日まで。見所の多い展覧会です。
奈良での全国豊かな海づくり大会に来られる天皇陛下皇后陛下も11月17日にこの大古事記展を見に来られると新聞報道されています。
上記の案内の通り、奈良伝統工芸展が10月28日から11月3日まで、なら工藝館で開催されます。
この秋も、ならまちセンターでは、癒しのならまちナイトカルチャーがひらかれます。
くわしいhpです。→http://www.city.nara.lg.jp/www/contents/1401079608773/
10月17日、この日は興福寺南円堂では、大般若経転読法要が行なわれ、一年に一度の南円堂特別開扉が行なわれました。ちょうど午後2時過ぎにお参りに行くと幡が飾られて、行列もなくなり不空けんさく観音像と四天王像をお参りすることができました。秋の空のもとの南円堂あたりの風景です。
興福寺のhpです→http://www.kohfukuji.com/
9月20日ごろ奈良市三条通の角振町の大正時代のビルの2階にオープンした、イタメリカン料理の店PORCO’s DINER(ポルコス・ダイナー)を知人の紹介で訪ねました。
川井シェフに、店の名前をうかがいました。
イタリア語でPORCOというのは豚、そして英語で大衆的なコンテナーのような飲食店という意味のDINERというふたつをつなげたということでした。したがって、イタメリカン料理というようです。
店内の様子です。18時オープン直後にいきましたので、ゆっくりしていました。写真を撮らせていただきました。
鏡をうまく使っていて、奥行きを感じます。ビールの種類も多く、ウィスキーもとても種類が多くほとんどがバーボンのようでした。
食べ物のメニューです。(クリックすると拡大します)
大和ポークの肩ロース肉200グラム(1500円)をお願いしました。付け合せはポテトフライがどれにもついているようですがタマネギのフライだけつけてもらいました。
写真はネオンの色が実際より強く写り赤っぽく写っています。店内は奈良というより一瞬アメリカにいるような感じがしました。こういう新感覚のお店が奈良に生まれたのはとてもうれしく思います。ぜひどうぞお出かけください。
イタメリカン料理の店 PORCO’s DINER
奈良市角振町(三条通)三条会館 2階
電話0742-31-2050
LUNCH12:00-15:00 DINNER18:00-24:00
お休みは月曜日ということです。
(追記)
別の日に今度はランチに行きました。パスタセットをいただきました。サラダ、肉の小鉢、そしてソフトドリンクがついておいしくいただきました。
昼のMENUです。星印のソフトドリンクがサービスということでした。
奈良まほろばソムリエの会などでお世話になっている、Nさんからの
「おすすめします。アレックスさんが3冊めを出版。
数年前に河瀬監督の『国際映画祭』シンポジウムでお会いしたアレックス・カーさんですが、前職(会社の社内報)でインタビューに応じて頂き、すっかりファンになりました。この本も写真が多くつかわれ読みやすいですね。少々辛口コメントですが、必要なことでしょうね・・」
というおすすめで、書店で、アレックス・カー著「ニッポン景観論」を見つけましたので早速買って読みました。1200円プラス税。
集英社新書ヴィジュアル版で、写真を多用されて、この景観は問題ないですか?と具体的に提示されています。
終章で
「これからは国土の大清掃の時代です。日本中の河川と海岸に作られた、不要なコンクリートの護岸をはがしましょう。先進国の常識になっている電線埋設を徹底してやりましょう。美しい川の上に架けられた高速道路を別の場所に移し替えましょう。今までの倍の予算に増やしてもいいから、汚くなったお座敷を掃除しましょう、といっているのです。」
「行政システムの旧態依然はいまだ変わらず、2020年の東京オリンピックに向けた建設ラッシュで、国土がさらにダメージを受けることが懸念されますが、その一方で国民の意識は確実に良い方向へと変わり始めています。町だけでなく、山、森林、海岸に対しても、新しい保全の動きが全国的に芽生えており『美しき日本』に向かって新しい希望が生まれているのです」と語られています。
わたしもおすすめしたい1冊です。
著者プロフィール
アレックス・カー(Alex Kerr)
東洋文化研究者。1952年、米国メリーランド州生まれ。64年から66年まで、父の赴任に伴い、横浜に住む。74年、イェール大学日本学部卒業。72年から73年まで 慶應義塾大学国際センターで日本語研修。74年から77年まで英国オックスフォード大学でローズ奨学生として中国学を専攻し、学士号と修士号を取得。73年に日本の「三大秘境」の一つである徳島県祖谷(いや)で300年前の茅葺き屋根の農家を購入し、「篪庵(ちいおり)」と名付ける。77年から京都府亀岡市に居を構え、外国人に伝統芸術を紹介するプログラム、書や古典演劇、古美術蒐集など、日本文化の研究に励む。86年から93年まで米トラメル・クロー社(当時アメリカ最大の不動産開発会社)の日本代表を務める。90年代半ばからバンコクと京都を 拠点に、東洋文化に関する講演、通訳、執筆活動を行う。美術展示、伝統舞踊、 茶の湯、華道、書などの文化イベントの総合プロデュースも多数。2000年代に京都の町家が壊されていることを懸念して、9軒を修復して宿泊施設として開業。 2010年から景観と古民家再生のコンサルティングを地方に広げ、祖谷、長崎県小値賀(おぢか)町、奈良県十津川村などで十数軒を改修して、滞在型観光事業を営む。著書『美しき日本の残像』(93年、新潮社/2000年朝日文庫)で94年の新潮学芸賞を受賞。英訳は『LOST JAPAN』として刊行され、99年にはイタリア語とポーランド語でも翻訳出版された。02年には『犬と鬼』(講談社)を刊行。同書のオリジナル『DOGS AND DEMONS』は、01年にアメリカで初版が発行され、韓国と中国でも翻訳された。
(追記)
まちづくり団体の知り合いも以下のように読後感想を述べられています。
「アレックス・カーさんの『ニッポン景観論』(集英社新書)を読んだ。景観を含むまちづくりNPOに関わっているわが身にとっても手痛い苦言だ。日本が好きだからこそ、各地の景観を写真にして批判されている。それは“ゾーニングと景観配慮のなさ、町へのプライドの低さ、無秩序な開発、奇抜なハコモノの増加、硬直した建築規制のおかげで、日本はどの町も混沌とした状態で発展しまった”、”住民が自分の町にプライドをもっていないからだ”と指摘しています。
勿論、批判するだけでなく、自ら祖谷や小値賀などで古民家再生の事例も詳しく紹介し、外国からの観光客が日本の何を求めて来日しているか、〝日本の競争相手は国内の観光地ではなく世界なのです”と指摘している。やっぱり手厳しい!」
この夏の奈良国立博物館での醍醐寺展はとても良い展覧会でした。東京から内覧会に駆けつけた専門家の友人Kさんの「上醍醐へ登りませんか」との呼びかけに同級生男女14名が参加して実現しました。
わたしもこの6月の下醍醐の醍醐寺を拝見して、いつか行きたいものですといっていたのがわりあい早く現実のものとなりました。その時の当方ブログ記事→鹿鳴人のつぶやき
10月11日、朝9時30分地下鉄の醍醐駅に東京、大阪、京都、奈良からそれぞれ集合。上醍醐の登り口は、下醍醐の境内の外側を右手に道をとり拝観料600円を支払い、一路登りです。
右上、醍醐の花見。
最初は階段でしたがやがて急になり不動の滝で小休憩。
(写真をOくん、Aくんからいただきました)
延々つづく登り道。身が軽くなりわりあい第2集団で歩く。時々、上から早く登った方が下りて来られます。当初1時間くらいと聞いていましたがなかなかたどり着けません。同級生同士話をしながら登っていましたが、やがて無口になりました。何度か小休止をとって、やや平らになり下り坂があって最後は登り、やがて寺務所へ。
そして頂上の開山堂へ。全員の記念撮影です。
小春日和でやや霞んでいますが、京都盆地風景。
海抜450mです。実質400 mくらいの登りだそうですが、なかなかしんどい登りでした。案内には60分から70分と書いてありましたが、休憩いれて100分ほどかけて登りました。そして12時頃ここでお弁当を食べました。
帰り道は、上醍醐のあちこちを拝見しながら降りました。奈良まほろばソムリエの会の名ガイド、稲田英二さんがここでも大活躍。
五大堂。前には理源大師を真ん中に右、役行者像。
降りてから受付で聞いたのですが、五大堂から五大不動は人力でかついで下まで降りられたけれど、もう五大堂には戻られず、下醍醐の霊宝館のそばの仏像館に安置され拝観できるということでした。
すっかり降りて、下醍醐は再び門まで戻り、入場料を支払い、下醍醐の境内を五重塔そして観音堂まで拝観しました。
ご朱印、この日は薬師如来と五大力。スキャナーで朱色がうまく出ませんが。
左上、太閤の桜です。右上、翌日同級生の I さんが2013年春の満開の太閤の桜の写真を送ってきてくれました。
なおこの日の万歩計は2万2千歩でした。
いつも楽しみにしている、大阪芸術大学短期大学部教授の川嶌 一穂さんの美ビット見て歩きが奈良新聞に掲載されましたので紹介します。
京都国立博物館「平成知新館オープン記念 京(みやこ)へのいざない」展です。
わたしも先日京都国立博物館の平成知新館を拝見に行きました。建物も素晴らしく、あまりの名品の数々に圧倒されました。次回『国宝鳥獣戯画と高山寺』展に出かける時、再度ゆっくり拝見したいと思います。
美ビット見て歩き 私の美術ノート*23 川嶌 一穂
京都国立博物館「平成知新館オープン記念 京(みやこ)へのいざない」展
写真 右に旧館を臨む平成知新館へのアプローチ=著者撮影
今から125年前の明治22年、帝国憲法が公布された年に、東京にしかなかった博物館を、京都と奈良にも設立することが決定された。
その翌年、博物館美術部長の岡倉天心と、奇兵隊出身で、宮内省建築技師の片山東熊(とうくま)が、建設用地検分のために京都と奈良を訪れている。同じ設計者の手になる兄弟館だが、奈良が明治28年、京都が遅れて30年に開館した。
明治維新による変革で、美術品が市場に出て、寺院から仏像、仏画が流出していた。博物館の設立でかなりの名品が救われたが、寺院で拝んでいた仏像や、調度品だった屏風や襖絵を、美術品として、ガラスケースの中で鑑賞する時代になったのだ。
両館とも、その後手狭になって新館が建設されたが、京都では、その新館が建て替えられて、「平成知新館」として先月オープンした。展示品を湿気から守るために、建物の完成から1年間を乾燥にあてたという。内部に吹き抜けが設けられ、空間の広がりを感じることができる。
今回のオープン記念展は、優品揃いなので、的を絞らないと、かえって印象が薄れてしまいそうだ。私のお目当ては、茶人にして電力王だった松永耳庵(じあん)旧蔵の『釈迦金棺出現図』、神護寺蔵『釈迦如来像(赤釈迦)』(ともに平安時代)と、知恩院蔵の『阿弥陀二十五菩薩来迎図(早来迎)』(鎌倉時代)。いずれも仏画だが、色彩豊かで、日本らしい優美さに満ちている。
書にも優品が多い。『古今和歌集(本阿弥切)』を見終わって一歩下がると、紙面の地模様が浮かび上がって、たおやかな草花が現れた。電気のない平安貴族の暮らしに一瞬紛れ込んだ心地がした。鶴岡藩主・酒井家の旧蔵。
吉野金峯神社の『金銅藤原道長経筒』、金峯山寺の『金銅経箱(猫足台付)』、『金銅経箱(鷺足台付)』と『金銀鍍双鳥宝相華文経箱』(いずれも平安時代)は、土中に埋めるのに、何故こんなにも贅美を尽くしたのだろう。いかにお経が大切にされたかということだろう。
同時に、片山東熊設計の旧館で、京都栂尾(とがのお)高山寺に伝わる『鳥獣戯画』が、全巻展示されている。いつ見ても、身につまされる達者な筆使いだ。小鳥が群れ飛び、リスの遊ぶ、明るい赤松林の樹上で座禅する「明恵上人(みょうえしょうにん)像」(鎌倉時代)もお見逃しなく。東大寺とも縁の深い、高山寺中興の高僧。
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かわしま・かずほ 大阪芸術大学短期大学部教授。
メモ 京都国立博物館 京都市東山区茶屋町527、075(525)2473 http://www.kyohaku.go.jp/
▼会期は、11月16日まで。本文中に挙げた優品は、経筒、経箱以外すべて、10月13日までの展示なのでご注意を。旧館での『国宝鳥獣戯画と高山寺』展は、11月24日まで。
最近、落慶法要が行なわれたとニュースで知りましたので、宇治の平等院を訪ねました。団体バスや小学生の遠足などでたいへんな人の賑わいでした。すぐ近くまでよく来るのですが、わたしも小学校の遠足以来のお参りではないかと思います。
鳳凰堂。新しい塗装ながらやや赤茶色という感じで落ち着いた色合いです。
対の鳳凰は金色で新しく造られたそうです。本尊阿弥陀如来坐像を望遠で撮らせていただきました。
鳳翔館では、かつての鳳凰や雲中供養菩薩像などが展示されていました。
鳳凰堂の内部も別に300円払うと拝見できるようでしたが、待ち時間1時間あまりとのことでしたので今回は見送りました。
平等院のhpです。→http://www.byodoin.or.jp/
7月末、「あることを期待して」スタートして2ヶ月あまりが経ちました。そのころ、秋田在住のN先輩からいただいた日本酒を冷蔵庫に保管していて、ようやく封を切りました。
その日本酒「よ~いとナ 生」です。
おいしい日本酒を冷蔵庫で冷やしておいて久しぶりに1合ほど頂きました。
「あることを期待して」というのは、服が窮屈になったので何とかスマートにならないかと思っていたときに、秋田大学医学部もと教授N氏から88キロから4ヶ月で73キロ(75kg)までスマートになられた「糖分制限減量法」を伝授いただいた次第です。
わたしもそれに倣って2ヶ月、お陰様で7キロから8キロダウンという成果が上がりました。かつて着ていていつか再び着ることがあるだろうと残してあった衣服が着られるようになったというのは実にうれしいことです。
そして近頃、「痩せたの?」と多くの人に尋ねられるようになりました。
その一端を開陳することにします。
具体的な方法は、
最初の2週間は「ごはん、うどん、そば、スパゲティなど炭水化物はゼロにする。酒類もビール、日本酒、ワインを飲まない(焼酎、ウィスキーは飲んで良い)、イモやカボチャなども食べない。しかしたんぱく質と脂質はしっかり食べる」というものです。
そしてスポーツも取り入れました。
朝晩、体重を量って記録し始めました。
これで2週間あまりで5キロから6キロダウンしました。
2週間後は、1食はご飯など炭水化物も摂って良いとのことです。(朝か昼の1食、夜は炭水化物をあいかわらず食べない。)
ただ、いろいろな先生により評価が良い悪いあるそうですから原理を良く理解して行う必要があります。
Nもと教授の指南は以下の通りです。
【食事】
食物のなかの糖質量に関しては,以下の「エクセルファイル」を参考にしてください。「_0.xlsx」をダウンロード
節食減量法ではない! 3食必ず摂るのが原則である
・はじめの2週間は
朝食
昼食
夕食
において,糖質を「完全に」「断つ」
・決して脂質と「良質の蛋白質」を摂取することを忘れてはいけない
【糖質制限10ヶ条】
1.魚貝,肉,豆腐,納豆,チーズなどタンパク質や脂質が主成分の食品はしっかり食べてよい。
2.糖質,特に白パン,白米,麺類及び菓子・白砂糖など精製糖質の摂取は極力控える。
3.やむをえず主食を摂る時は未精製の穀物を少量(玄米,全粒粉のパンなど)摂る。
4.飲料は水・番茶・麦茶・ほうじ茶などのカロリーのないものを摂る。牛乳・果汁は飲まず,成分未調整豆乳はOK。
5.糖質含有量の少ない野菜・海藻・きのこ類は適量OK。果物は少量にとどめる。
6.オリーブオイルや魚油(E PA,DHA)は積極的に摂り,リノール酸は減らす。
7.マヨネーズ(砂糖なしのもの)やバターもOK。
8.お酒は蒸留酒(焼酎,ウィスキーなど)はOK。醸造酒(ビール,日本酒など)は控える。「糖質ゼロの発泡酒の市場投入の意味がやっと判った.」
9.間食やおつまみはチーズ類やナッツ類を中心に適量摂る。菓子類,ドライフルーツは『絶対』不可。
10.出来る限り化学合成添加物の入っていない安全な食品を選ぶ。
【最後に】
50を過ぎると,タンパク質と脂質を摂取することの重要性が公衆衛生学から指摘されている。
それと,糖質制限減量法は,同じ論拠である。
10月4日から1月12日まで、奈良市写真美術館と奈良市杉岡華邨書道美術館では、入江泰吉と杉岡華邨、写真と書で綴る万葉の世界
という初めての合同展を開いておられます。
本展は、入江泰吉記念奈良市写真美術館と奈良市杉岡華邨書道美術館の初の合同展です。奈良大和路の風物を対象に日本の美と心を撮り続けた写真家・入江泰吉(1905-1992)の作品と、 かな書の第一人者で「散らし」と「余白の美」を追求した書家・杉岡華邨(1913-2012)の作品をそれぞれの展覧会テーマに合わせて紹介します。
当写真美術館では「万葉の世界」をテーマに、 『万葉集』の歌のイメージを表現した両氏の作品を並べて展示します。また、入江泰吉の「万葉の風景」の代表作と杉岡華邨の「万葉の歌」の代表作を展示し、二人の巨匠の美と芸術の世界観に 迫ります。
同時開催:入江泰吉と杉岡華邨―写真と書で綴る会津八一の世界― 展
奈良を愛した歌人・會津八一の詩歌を題材に、入江泰吉が撮影した写真と杉岡華邨が書いた書を一堂に紹介。
会場 奈良市杉岡華邨書道美術館
※2会場合わせてご覧いただく方は、お得な共通観覧券600円もございます。
入江泰吉記念奈良市写真美術館のhpです。→http://irietaikichi.jp/
奈良市杉岡華邨書道美術館 のhpです。→http://www3.kcn.ne.jp/~shodou/
早々にまずもちいどの通りを南へ下御門商店街の先の脇戸商店街にある、奈良市杉岡華邨書道美術館を訪ねてきました。
1階の展示室では、入江泰吉と杉岡華邨ーー写真と書で綴る会津八一の世界ーーが開かれていました。2階の展示室は館蔵優品展が展示されていました。
「祈りの回廊 巡る奈良 秋冬版」が発行されました。奈良県内の観光情報が豊富に載せられています。
巻頭の特集が、大古事記展にあわせて巡りたい、天武の願いを刻む社寺は監修をこの3月まで奈良国立博物館の学芸部長をされいま帝塚山大学教授としてますますご活躍の西山厚先生がされています。
個別の社寺を知っていても、このような関連づけで見るとまた面白いと思います。
そして八十八面観音巡礼として、室生寺、聖林寺、法華寺、西大寺、海龍王寺、大安寺、法輪寺、長谷寺、合計8ヵ寺でそれぞれ十一面ということで、八十八面観音と紹介されています。
そして特別講話として、東大寺、金峯山寺、大神神社、長谷寺、のそれぞれ僧侶や宮司さんが語っておられます。
以下のホームページでこの冊子をデジタル冊子で読むことが出来ます。なかなか読み応えのある冊子です。
→http://www.pref.nara.jp/miryoku/meguru/ebooks/inori2014autumn/book_swf.html
10月5日は転害会で、東大寺転害門を訪ねましたがあいにく台風の恐れありということで手向山八幡宮での神事は行なわれたそうですが、転害門では中止となっていました。
多くの人が訪れていてそのあとガイドの方のご案内で東大寺境内の方に向かわれていました。
転害門観光案内所にいくと、転害会の巻物などが展示されていました。
転害会の日には、公慶上人堂や阿弥陀堂などが特別に拝観できるとの案内をTWITTERで森本師からもらっていましたので、東大寺大仏殿の西側の東大寺勧進所を訪ねました。
左下、八幡殿と右下、国宝僧形八幡神坐像(パンフより)
左下、公慶堂と公慶上人像(パンフより)
東大寺の展覧会などで拝見したことがありますが、それぞれのお堂でお参りするのは初めてのことでした。
下は阿弥陀堂です。五劫院と同じような五劫思惟阿弥陀如来像が安置されていました。
以上3つを同時に拝観できるのはこの10月5日だけということでした。4月には一部を拝観できる日があるそうです。
東の方、大仏殿、若草山方向の写真です。
東大寺指図堂です。土日祝は公開されているということでしたが初めて拝観することが出来ました。法然上人が祀られていました。
境内の図です。
中学高校の同窓で大和郡山市の市長としてご活躍の上田清さんから、先日、大和郡山市を舞台にしたご当地漫画が出来たことをうかがいました。
「ところで、ご当地漫画ができたのをご存知でしょうか。
『すくってごらん』金魚すくいがテーマで、舞台はすべて郡山です。9月12日第1巻発売。講談社。
もし機会があればご一読ください。」
早速手に入れて読んでみました。463円。
大和郡山市のhpです。→http://www.city.yamatokoriyama.nara.jp/kouhou/tektek/003613.html
「すくってごらん」のページです
(画像をクリックすると拡大します)
10月18日(土曜日)から12月14日(日曜日)まで、奈良県庁の北隣の奈良県立美術館では「大古事記展」が行なわれます。
7月頃から案内いただいていましたので、相当力を入れておられることがわかります。大古事記展のHPです。
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