法隆寺に會津八一の新しい歌碑
奈良を多く詠んだ會津八一の歌碑が奈良県下にはあちこちにあります。また出身の新潟県にもあります。11月7日(金曜日)、奈良斑鳩の法隆寺にも新しい歌碑が多くの浄財を集めて建てられるということです。
ちとせ あまり みたび めぐれる ももとせ を ひとひ の ごとく たてる この たふ
歌意
千年を超えて千三百年という長い年月を、まるで一日であるかのようにこの五重塔は静かにたっている。
わたしの大学以来の友人の會津八一の研究家の素空氏がブログに書かれていますので、紹介させていただきます。
http://surume81.web.fc2.com/hitorigoto/81/81top.html
法隆寺の歌碑 2014・8・23(土)
會津八一の歌碑建立が2基計画されている。一つは今年の11月上旬に予定されている法隆寺境内の歌碑
五重塔をあふぎみて 解説
ちとせ あまり みたび めぐれる ももとせ を
ひとひ の ごとく たてる この たふ
この建立で奈良にある歌碑は20基になる。
法隆寺周辺に歌碑はあるが、今まで境内には無かった。
その理由は素空の想像だが、法隆寺再建・非再建論争で八一が唱えた再建説を法隆寺が歓迎しなかったこと、その調査の過程での八一の強引な手法が寺の不評を買ったことなどがある。
また、金堂壁画の落剝、荒廃を嘆く八一が早くから壁画を切り取って別の場所に保管し、金堂には現代作家の新しい壁画を掲げることを提唱していた。
それは法隆寺の内外より猛烈な反感を受けた。
このことも影響しているだろう。(その後、昭和24年金堂壁画は火災でほぼ全滅)
法隆寺の歌を19首詠んだ八一の歌碑が境内に無いことを早くから不思議に思っていたが、今回の建立で実現する。ファンにとって嬉しいことだ。
(追記)
やいちさんから、このことを伝える新潟日報の記事を教えていただきました。
http://www.niigata-nippo.co.jp/news/national/20140819129738.html
(追記)
もう一つは来年予定の新潟県胎内市の尼寺・柴橋庵の歌碑である。
山鳩(第2首) 解説
やまばと の とよもす やど の しづもり に
なれ は も ゆく か ねむる ごとく に
« 9月13日記紀・万葉フォーラム | トップページ | 静岡市へ 呉服町名店街、七間町名店街へ 1 »
法隆寺境内に秋艸道人の歌碑「ちとせあまり」が建立されるのは喜ばしいことだと思います。
http://www.niigata-nippo.co.jp/news/national/20140819129738.html
これまで建てられなかった理由は、素空さんが推定されているとおりかと思います。同じような説を読んだ記憶があり、書架で探してみたのですが見つけられませんでした。
故原玉泉さん宅の歌碑「あめつちに」が境内に移設されるのも喜ばしいことです。泉下の原さんも喜んでおられることでしょう。
一方、胎内市に建立される歌碑「やまばとの」はいかがなものかと思います。
《きい子が亡くなった際、胎内市柴橋の尼寺「柴橋庵」の庵主が枕経を読んだ縁から、碑は柴橋庵の境内に建立》されるそうですが、歌が詠まれた観音堂跡からは2キロメートル以上離れています。會津八一記念館が、歌の舞台と異なる場所に建立される歌碑を「公認」するのかどうか、興味を持っているところです。
http://www.niigata-nippo.co.jp/news/national/20140804127219.html
投稿: やいち | 2014年9月 4日 (木) 21時03分
やいちさん。コメントありがとうございます。
ほんとうに法隆寺境内に歌碑が立つことはうれしいことですね。
原さんの個人宅の歌碑がやはり移設されるということは初耳でした。現在地は、ふつうの人ではわかりませんし、これもうれしいことです。
投稿: 鹿鳴人 | 2014年9月 4日 (木) 23時45分