会津八一の歌碑 東大寺
1881年8月1日、会津八一の誕生日である。どこか八一の歌碑を訪ねられないものだろうか、とふと思っていたらちょうど東大寺大仏殿の中門前での醍醐寺による「柴燈大護摩供」の始まるのを待っているときに、うまく訪ねることができました。
上は歌碑の表面と右は裏面です。いつもの会津八一研究家の素空氏のお世話になります。→http://surume81.web.fc2.com/hitorigoto/81/81top.html
東大寺にて(第1首)
おほらかに もろて の ゆび を ひらかせて おほき ほとけ は あまたらしたり
(おほらかに両手の指を開かせて大き仏はあまたらしたり)
東大寺 おほらかに もろてのゆび ひらかせて おほきほとけ あまたらしたり |
「聖武天皇により作られた大仏=廬舎那仏を本尊とする華厳宗総本山」 「ゆったりとして」 「両手の指」 「お開きになって」 「大仏」 「天地の空間に広く満ち広がっておられる」 注 自註鹿鳴集で八一は以下のように解説する。 『大仏は、宇宙に遍満(へんまん)すとも、或いは宇宙と大さを 同うすともいふべし。これを「あまたらす」といへり。「たらす」とは 「充足す」「充実す」の意なり』 |
歌意
大きくゆったりと両手の指をお開きになって、大仏様はこの宇宙に広く満ち広がっておられる。まるで宇宙そのもののように。
明治41年八一が訪れた時は大修理中で、正面の高い足場から参拝したと言う。そうした視点が「あまたらしたり」に関連したのかもしれない。南京新唱最初に出てくる東大寺の歌は、大仏を簡潔にとらえ、かつ仏教の宇宙観も詠みこんでいる。歌碑が南大門と大仏殿の間にある。2000年9月23日、友人達と訪れた時、その大きさと見事さに感銘した。
(以上、素空氏より)
2014年8月1日、会津八一の誕生日に、大仏様を観相窓から拝見することが出来ました。
そしてこの日から、日本経済新聞の朝刊に東大寺長老の森本公誠師の「私の履歴書」がはじまりました。
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