田尾秀寛さん「遍路の社会学」
(田尾秀寛さん)
ことしも早稲田大学校友会の奈良県支部の「青垣会」講演会がありましたので出かけてきました。今年の講師は、昭和44年第一商学部卒の田尾秀寛さん。
広告会社である電通の営業部長をされ、早期退職で、お遍路さんの公認の先達への道に進まれ、いまも月に5日から10日、四国88ヶ所、西国33ヶ所をバスなどに乗って案内されているという方でした。
頂いたお名刺には、「信貴山千手院 大阪分院院主そして四国八十八ヶ所霊場会、四国別格霊場会、西国三十三ヶ所札所会、公認先達」とのことです。
香川県善通寺育ちとのことでそういう歩みの運命であったということです。(現在は奈良県北葛城郡広陵町在住)1時間あまりお話を聞きました。頂いた資料などで紹介します。
「遍路とは、祈願などのために、四国の弘法大師の霊場八十八ヶ所などを巡り歩くこと。、またその人(お遍路さん)
お遍路は、季語は「春」。旧暦三月にお遍路した。
道のべに 阿波の遍路の 墓あわれ 虚子」(「大辞泉」小学館。)
ただしお遍路さんとは四国のみを言う。ほかは巡礼とか巡拝と言う。
「お遍路さんの巡拝の姿は白装束、死装束である。行き倒れたらそのまま葬ってもらいたい。
菅笠は、葬ったあとは土饅頭に載せてほしいと言う意味。
金剛杖は弘法大師の化身、ふだんかぶせてある一番上には五輪塔と梵字で書かれている。」ということです。
右上。四国八十八ヶ所と高野山奥の院、東寺の九十ヶ所のご朱印がおされた掛け軸。
ご集印帳は何度もお参りされているので同じところに印が押され真っ赤でした。
「よう、おまいり」という本もたる出版から出されています。
西国三十三ヶ所は観音様のお参りであり、西国三十三ヶ所も案内しているということでした。
講演のあとテーブルで和尚さんから直接お話を聞くと、「今は通しで四国八十八ヶ所を歩き通す人は少ない。
わたし(田尾さん)は最初一日30キロ目標に四十二日間で歩いた」ということでした。
わたしの友人のマラソンランナーはことし26日間くらいで歩き通したのですが、というと「それは早い、それは平地は走っていますよ」とのことでした。
ブログもされていると言うことをうかがいました。
早速拝読しました。→「秀寛和尚の遍路ばなし」 http://shukantao.blogspot.jp/
「世界一の広告会社電通の営業部長を早期退職制度で退社し、高野山大学大学院に入学、若い学生にまじって大学道場で四度加行も成満。 平成20年1月東寺にて灌頂、東寺真言宗大僧都補任。四国八十八ケ所霊場会、四国別格二十霊場会、西国三十三ヵ所札所会の公認先達として 「弘法大師の語り部」を目指す。その先達としての遍路の日々や有縁の方々との交流などを綴る。」
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校友会は中華料理のテーブルを囲み、最後に出席者全員による校歌「都の西北」を斉唱して楽しい会は終了しました。
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