奈良まほろばソムリエの総会、講演会へ
NPO法人の奈良まほろばソムリエの会の総会がありました。会場の奈良商工会議所5階大ホール満席の盛況でした。議長は小北博孝理事長。
1時間ほどの審議で、事業報告や会計報告、事業方針、予算など原案通り可決され、再任および新任の理事の皆さんも原案通り承認されました。
そのあと、元興寺研究所所長の水野正好先生(もと奈良大学学長など歴任)の「聖武天皇と光明皇后ーご夫妻の温い愛と陰陽の剣」という演題で講演を聞きました。
平城京、平城宮、東大寺、興福寺、春日大社、元興寺、法華寺、国分寺、総国分寺、国分尼寺、総国分尼寺、聖武天皇、光明皇后、孝謙天皇、藤原氏、長屋王、木簡、東大寺大仏様、正倉院、陰陽の剣、東大寺ミュージアムなどのお話をいつもの速射砲のごときテンポの良さでお元気に90分近くお話いただきました。
○平城京は実に都市計画に基づいたものであった、一条通、三条通ももとの姿のまま今も使われている。現代よりもっと計画的であった。
○東大寺大仏さまは、たいへんなものである。聖武天皇は自分ひとりでも作れるが国民ひとりひとりの草や木をもってみんなの力でつくることが大切だといわれた。
○聖武天皇も光明皇后も西暦700年生まれ、752年東大寺大仏さまが開眼した。左右5000人ずつの人々が菩提センナの開眼の筆からの長い紐に手をそえた。筆も紐も衣装も楽器もあらゆるものが正倉院におさめられ無事長年にわたり保存された。そういうものは世界的にもない。(何でも昨今は捨てることが美徳のようにいわれるが)
○756年聖武天皇が亡くなられ、身の回りの大切にされていた品々が光明皇后の手で東大寺・正倉院におさめられた。
○760年光明皇后は亡くなられる1ヶ月ほど前、正倉院から大事なものを7点ほど引き出された。「除物」として記録されている。
○1907(明治40)年ころ東大寺大仏さまの修理をおこなわれたところ、大仏さまの近くから剣などが発掘され、その後、奈良国立博物館で長らく腐食がすすむことなく大切に保管されていた。
○2012年新しくオープンする東大寺ミュージアムで展示するべく修理のため、その剣を元興寺研究所でエックス線をあてたところ、字が浮き出て、その結果光明皇后が正倉院から除物した「陰陽の剣」であることがわかった。朝日、読売の新聞など大きく報じている。
○そのあと樹脂による慎重な保存を施し無事現在も東大寺ミュージアムでその他の聖武天皇光明皇后の思い入れのある品と共に展示されている。
その他、お話の中にいろいろな興味深いお話をいただきました。
そのあとの懇親会でもお隣でご一緒しましたが、昔から大学生と一緒に飲み会をよくしたから大丈夫と立食パーティーでも立ったままとてもお元気でした。ますますのご活躍をご祈念申し上げます。
そして懇親会のあと、まほろばソムリエの会のガイドグループの皆さんの二次会に特別参加、多くの皆さんと交流することが出来ました。お世話になりました。
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