会津八一「山光集」より
鹿の耳の中には綿毛という細かい毛が生えていることをあまり気に留めたことはありませんでした。
最近、会津八一の「山光集」という「自註鹿鳴集」のあとの歌集に 、そういう歌があることを会津八一研究家の素空氏より聞きました。
さをしか の みみ の わたげ に きこえ こぬ かね を ひさしみ こひ つつ か あらむ
そこで奈良公園へ行き雄鹿の耳の綿毛を写真に撮りにいきました。警戒するのか鹿の耳は自在に動くので少し撮りにくいものでした。
この歌の作られたのは昭和18年3月、まさに戦争の最中で、お寺の鐘の音を鳴らすことも禁止されていたということです。
以下はいつもの素空氏のHPに最近解説が加わったとのことですので紹介します。
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鐘楼(第6首)
三月十四日二三子とともに東大寺に詣づ客殿の廊下より望めば燒きて日なほ浅き嫩草山の草の根わづかに青みそめ陽光やうやく熙々たらむとすれども梢をわたる野風なほ襟に冷かにしてかの洪鐘の声また聞くべからずことに寂寞の感ありよりて鐘楼に到り頭上にかかれる撞木を撫しつつこの歌を作る
さをしか の みみ の わたげ に きこえ こぬ かね を ひさしみ こひ つつ か あらむ
(さ牡鹿の耳の綿毛に聞えこむ鐘を久しみ恋ひつつかあらむ)
熙々 「きき。やわらぎ楽しむさま。ひろびろとしたさま。往来のはげしいさま(大辞林)」
洪鐘 「こうしょう。大きな釣鐘」
寂寞 「せきばく。ひっそりとして寂しいさま」
撞木 「しゅもく。釣り鐘を突く棒」
さおしか 「牡鹿。さは接頭語」
みみのわたげ 「耳の中のふさふさした綿毛」
ひさしみ 「久しいから」
歌意
奈良の鹿たちは久しく耳の綿毛に聞こえてこない鐘の音を恋しく思っていることであろう。
八一の鐘の響きへの思いは鹿たちに投影されて詠われる。鐘楼6首は鐘の音へのなつかしさ、恋しさを以て終わる。
東大寺の鐘楼と梵鐘の写真を撮ってきました。梵鐘は奈良時代の作の特徴を竜頭などに残しているということです。建物である鐘楼は鎌倉時代の作ということです。
今でも毎晩8時に鳴らされているそうです。また大晦日などにも除夜の鐘が鳴らされています。
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