彼岸の猿沢池点描
2月ごろ水抜きをされて外来種のカメを捕獲し、池のまわりの柳の植え替え準備をされていた猿沢池に、再び水が入れられています。
よく気分転換に散歩に出かける猿沢池のいまの様子です。
3月21日、22日の2回の写真です。
残っている斜めに池に伸びている柳と新しく植えられた柳です。以前は木の周りの直径1mくらいしか 土がありませんでしたが、池にそって幅1mくらい土の部分があります。
カメも在来種だけになったそうですが、すこし顔をのぞかせています。
五十二段のそばの会津八一の歌碑です。
いつもの素空氏の解説です。
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猿沢池にて
わぎもこ が きぬかけ やなぎ みまく ほり いけ を めぐり ぬ かさ さし ながら
(吾妹子が衣掛け柳みまくほり池をめぐりぬ傘さしながら)
猿沢池 「興福寺境内の南にある奈良八景の一つ、池畔に衣掛柳がある」
わぎもこ 「吾が妹(いも)のつまった語で、妻や恋人をさす」
きぬかけやなぎ 「天皇の寵を失い池に身を投げた采女が上衣を掛けた柳」
歌意
采女が愛を失って入水する前に掛けたと伝えられている衣掛柳を見たいと思って猿沢の池をめぐり歩いた。折からの雨に傘をさしながら。
28才の「若き八一の憂い」と古代に対する憧憬が甘味に詠われている。大和物語、枕草子などに記載される采女の悲話伝説から生まれた八一の名歌だ。
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