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2014年3月 9日 (日)

「ノボさん」 小説 正岡子規と夏目漱石

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以前に日経新聞の書評が出ていて気になっていた、伊集院  静著、「ノボさん」小説正岡子規と夏目漱石、を読みました。

 

本の帯には

 

静かに、熱く、必死に生きるーーー。子規と漱石。この出逢いがなければ「私たちの小説」は生まれなかった。

「ノボさん、ノボさん」「なんぞもし?」

躍動の時代に生まれた二人は、何を語り、何を求めたのか?

日本の文学の未来をひらいた奇跡の出逢い。

三十五年で世を去る「ノボさん」の目を通して伊集院静が描くのは、「私たちの時代」の始まりーー。

ノボさんは私のヒーローですーー伊集院静

とあります。 

一気に読みました。講談社発行、1600円(税別)。

ところで、正岡子規は奈良に明治二十八年に訪れています。東大寺転害門近くの旅館、対山楼に泊まり柿を食べ、有名な「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」という俳句をつくっています。いま対山楼あとは天平倶楽部というレストランになっていて「子規の庭」という庭が設けられています。

 

そして、書評は毎日新聞の今週の本棚という欄に歌人の小島ゆかりさんが実に適切に書かれていますので、引用させていただきます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

◇真っ直ぐに歩き続けた、青年文学者の生涯

 「ノボさん」とは、正岡子規(本名常規(つねのり)・幼名升(のぼる))の通称。森鴎外、夏目漱石とともに日本近代文学の峰を築いた人であるが、当時まだめずらしかった野球をこよなく愛し、「野球(ノボール)」という雅号までもつことも、この作家を大いに喜ばせたにちがいない。三十五年の短い生涯を驚異の情熱とスケールで生ききった、まことに魅力的な人物である。

 司馬遼太郎は、長篇歴史小説『坂の上の雲』の中で、近代日本を突き動かしてゆく青春群像の一人として子規を登場させたが、本書は夏目漱石との交流を軸に、青春小説の主人公として正岡子規を描いた一冊である。

子規は夢の中を走り続けた人である。これほど人々に愛され、これほど人々を愛した人は他に類をみない。彼のこころの空はまことに気高く澄んでいた。子規は、今も私たち日本人の青空を疾走している。

 はじめに掲げられたこの言葉は、著者がなぜ子規に魅了され、読者に何を伝えたかったかを明確に示している。そして小説は、そんな子規にいかにもふさわしい簡潔で清潔な文体と、ゆたかな波動をもって前進する構成によって描かれている。「ノボさんどちらへ? べーすぼーる、をするぞなもし」から「子規よ、白球を追った草原へ帰りたまえ」まで、野球と同じ九章。一章ごとにまぶしく切ない青春の場面があり、しかし決して後戻りはできない、人生の時間。

 正岡子規と夏目漱石は、明治二十一年(一八八八年)に、第一高等中学校本科(東京大学)の学生としてはじめて言葉を交わしたようだ。同じ慶応三年(一八六七年)生まれ。伊予・松山出身の好奇心旺盛にして社交的な子規と、江戸・牛込馬場下出身の神経過敏なエリート気質の漱石。一見正反対に見える二人が、意外にも文学や人に対してよく似た考えをもち、互いの尊敬と信頼を深めながら、かけがえのない友人となってゆくさまが、テンポよく、さわやかな情感をもって描かれている。

 地方の若者たちが志熱く上京し、学生たちがスペンサーを愛読し、演説がもてはやされ、圓朝(えんちょう)の自作落語「牡丹灯籠(ぼたんどうろう)」が人気を博す。そんな時代の活気を反映して、時事通信社創立や「東京朝日新聞」発刊など、日本のジャーナリズムが幕を開けたのが、二人の交流が始まった明治二十一年であった。のちに子規も漱石も新聞に活躍の場をもったことは言うまでもない。

 血を吐いて病を自覚してからの子規の姿は、健気(けなげ)であり哀れであるが、彼を全力で愛し献身的な介護をした母・八重、妹・律との暮らしや、松山での五十二日間の漱石との同居生活、また小宇宙のように人が集まる子規庵(あん)の日々などが、晴れやかな慎み深い筆で記されている。もう歩くことも叶(かな)わなくなった子規が人力車で思い出の場所をめぐり、ささやかな初恋を回想するシーンはとりわけ哀切である。そして、イギリス留学へ発(た)つ漱石との別れ。明治三十五年晩秋、ロンドンの漱石に子規の訃報が届いた。

 「子規は俳句、短歌を文学の領域に引き上げた文学者として、現在もなおその名を広くとどめている。それでもなお周囲の人々からノボさんと親しみをこめて呼ばれ、おう、と嬉(うれ)しそうに応えて、ただ自分の信じるものに真っ直(す)ぐと歩き続けていた正岡子規が何よりもまぶしい。漱石はそれを一番知っていた友であった」(「子規よ、白球を追った草原へ帰りたまえ」)

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コメント

四国、松山をおとづれた時、あちこちに子規の詩や足跡が溢れていて、今も地域で愛されている人だと。
 その生涯は一途さや純粋さがまぶしいがこの書評はそれをよく表している。

サトウさん。コメントありがとうございます。わたしもまたゆっくり松山を訪ねたいと思います。

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