会津八一の歌「奈良の理髪店」
「会津八一は三十数回奈良を訪れている。今のように東海道新幹線などのように便利に東京から来られず、十数時間、蒸気機関車の煙の汽車に揺られてきている。たいへんなことであった」と会津八一の講座で奈良大学名誉教授の浅田隆先生はいっておられました。
会津八一は最初の対山楼やその後常宿とした登大路町の日吉館から社寺や国立博物館や奈良のいろいろなところにも出かけています。
そして奈良の町もよく散策したのでしょう。「わがもこが・・・」の猿沢池や南市の恵比寿神社などの歌も残しています。
以下は理髪店の歌です。いまの奈良のどこになるのでしょうか。想像が膨らみます。
以下は、いつもの会津八一研究家の素空氏の研究から引用させてもらいます。
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奈良の町をあるきて
まち ゆけば しな の りはつ の ともしび は ふるき みやこ の つち に ながるる
(町行けば支那の理髪の灯火は古き都の土に流るる)
しな 「中国または中国人。語源は秦王朝の秦(チン)。ただ支那事変1937年(昭和12年)以降は差別的な含みを持つと言われる。この歌は1925年(大正14年)作である」
りはつ 「理髪、床屋」
歌意
奈良の町を夜行くと中国人の床屋の灯火がこの古都の土を流れるように照らしていることよ。
千年の歴史を持つ奈良の土とひっそりとした中国人の床屋の灯火、夜の町の一風景だが心に深くしみ込んでくる情感があり、好きな歌である。この南京余唱(大正14年)では平淡な歌が多くなるが、そのことにより「上手い」と思える歌より奥深いところでの味わいが出ていると言える。
鹿鳴集・南京余唱(なんきょうよしょう)奈良の町をあるきて
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そこで私がお世話になっている理髪店の写真です。興福寺五重塔が見えるこの風景は入江泰吉さんも写真を残しています。(近年、電線が地下埋設されてとても景観が良くなっています。また道路拡張が予定されています)
興福寺五重塔の見える鶴福商店街の会長の理容オカモトさんです。散髪しながら奈良のことをいろいろ語ってくれます。
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