会津八一の東京練馬、上石神井の法融寺へ
東京へ出かけたとき時間がとれたら、練馬の会津八一のお墓のある西武新宿線上石神井の法融寺にお参りしたいと思っていたのですが、うまい具合に時間がとれました。
西武新宿線上石神井駅から中央通りという商店街をすぎると大きなお寺がありました。法融寺です。
(画像をクリックすると拡大します)
会津八一の歌碑と会津八一の書による法融寺の扁額です。
会津八一研究家の服部素空氏がかつて訪ねて解説をしてくれていますので紹介します。
村荘雑事
むさしの の くさ に とばしる むらさめ の
いや しくしく に くるる あき かな
(武蔵野の草にとばしる村雨のいやしくしくに暮るる秋かな)
歌意
武蔵野に村雨がしきりに降って、我が庭の草に飛び散っている。そうして武蔵野の秋はますます深まっていく。
八一は大正13年に移り住んだ下落合の「落合秋艸堂」(市島春城別邸)で村荘雑事17首を詠む。3000坪に及ぶ春城別邸(宅地は500坪)は、武蔵野そのものと言っていいほどの風情があった。
秋雨が激しくなっていく様子を急速に深まっていく秋に重ねながら、武蔵野の晩秋を詠う。選ばれた言葉のリズムが流れるような調べをつくり、暮れゆく秋へと誘う。
先月、この歌の碑と墓碑がある東京練馬の法融寺を訪れた。歌碑は珍しい絵入りである。生前、自ら揮毫して全ての歌碑を彫らせた八一だが、この碑は幾分見難くなっている。東京近郊の住宅街と化したこのあたりに、もう武蔵野の風景はなさそうだが、静かな寺内には八一ゆかりの人たちの墓碑もあり、今では本でしか触れることのできない一時代前を偲んできた。
村荘雑事目次
注 下落合秋艸堂
大正13年から14年間住んだ市島春城別邸(八一の遠縁)を八一は下落合秋艸堂と名づけ、ここを拠点にいろいろの学術活動を展開する。友人、学生等が出入りし、ここで薫陶を受けた門下生から傑出した人物が出る。学者、歌人、画家、映画監督と多岐にわたる。
素空氏の歌の解説のhp
→http://www.cty-net.ne.jp/~masahiro/soku/81.html
お寺の方にお墓の場所を尋ねると、「一番奥の塀の右から5つ目の自然石のお墓です。毎年11月23日に皆さんお参りに来られます」と教えていただきました。
そういえば、会津八一の命日は11月21日でした。お墓にはどなたかがきれいなお花を供えられていました。
墓碑銘は、秋艸道人。1956年(昭和31年)76才で逝去。
ことしは、新潟、唐招提寺、練馬と会津八一さんのゆかりの地を訪ねることができました。
« 東京池上本門寺へ | トップページ | 早稲田大学へ »
コメント
« 東京池上本門寺へ | トップページ | 早稲田大学へ »
「渾齋同人の会」が毎年11月23日、「秋艸道人會津八一墓参と懇話会」を開催されています。世話人は、早稲田大学出身で秋艸道人に関する本を数冊出されている喜多上さんです。
私も二度ほど参加したことがあります。その時は、早稲田大学の大橋一章先生や星山晋也先生が来られていました。
余計なことを書きますと、植田重雄先生は、法融寺の近くにお住まいでしたが、この会とは距離を置いておられました。
投稿: やいち | 2013年11月 8日 (金) 20時50分
やいちさん。いろいろ知らないことを教えていただきありがとうございます。またよろしくお願いします。
投稿: 鹿鳴人 | 2013年11月 8日 (金) 22時12分