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春日奥山、右が高円山です。
そして入江泰吉記念奈良市写真美術館です。12月23日まで「写真集でたどる入江泰吉の軌跡、後期(昭和45年から平成4年)」展覧会がひらかれています。
入江泰吉記念奈良市写真美術館のhpです。→http://www1.kcn.ne.jp/~naracmp/
27日の新聞をみると、この夏閉館の猿沢荘のその後のことがのっていました。
どうやら毎日新聞、読売新聞、産経新聞それぞれ奈良版です。「どっぷり!奈良漬」のブログに産経新聞の記事の紹介をすでにアップされていましたので、そちらにお願いすることにします。
Tさんよろしく。
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/362678420e645004e87b25362a75c286
案内の下見のため、ひさしぶりに京都府相楽郡笠置町の笠置山にいきました。奈良から車で木津川市の加茂町をへて20分あまりでした。笠置町は奈良市と隣り合っています。歴史的に見ても奈良の圏内といえます。かつてに比べやや減っていますが買い物にも奈良市に来られます。
ちょうど紅葉の見ごろで、天気もとても良い日でした。
笠置寺に着きました。今回は車で。本番はJRで加茂で乗り換えて笠置駅から、歩きです。
東大寺の良弁僧正の弟子の実忠和尚の由来が書かれています。お水取りも行で感得したとのこと。1回目のお水取りはここで行われたということです。したがって、東大寺には正月堂はなく、笠置寺にあるそうです。
笠置寺全体が修行場になっています。1周800m、約30分~40分。
線刻の巨大な磨崖仏。そしていろいろな行場を通り抜けます。左下、胎内くぐりです。
遠く下のほうには木津川が見えます。
行場をめぐると紅葉が今盛りでした。
そして途中、もみじ公園が広がっていました。11月中夕方17時から21時までライトアップされているということでした。
後醍醐天皇の行在所です。ここが笠置山288mの頂上ということです。
弘法大師堂(かつてはここに正月堂があったとのこと)。
全山の様子です。そしていただいた朱印です。
23日もちいどのセンター街では、ワンコインとまちセリが行なわれました。いろいろな店で好評のうちに繰り広げられました。地域ラジオ放送局の奈良どっとFMの中継も行われました。
この日はたいへんな人通りでした。通行量調査をこんな日にしたら何人になるでしょうか。
まちセリも7つの店で行われました。そしてまちセリ最後は当店で。
最初に奈良ふきん、奈良の蚊帳生地でつくられた便利な品です。通常350円が150円でせり落とされました。
司会の方と当方スタッフ T くんの掛け合いで進められました。
そして、旨いめし!の2合炊き、ふだん3150円が500円からセリがはじまりました。Tくんの家では毎日この土鍋のご飯炊きの4合をつかっているそうですから、品物の良さをよく知っています。多くの方が手を上げて値段が引き上げられ、最後1550円で落札されました。ありがとうございました。
店頭で2合のご飯を実際に炊き、来られた方に試食もしていただきました。
そして人気のまんとくんも登場しました。写真は器まつもり店頭にて。たいへんにぎわっている様子です。皆様どうもありがとうございました。
お世話いただいた中小企業診断士のKさんによれば、
朝日新聞奈良版23日付けにも的確な記事でのっていたとのことです。
もちいどのセンター街ブログでは、商店街あちこちの様子をレポートしてくれています。どうぞご覧ください。→http://blogs.yahoo.co.jp/nara_mochiidono/MYBLOG/yblog.html
慶運寺へ。石棺の石の石仏。
そして本堂裏の横穴式の古墳の石室にも入ることが出来ました。中は案外高くて人が立てます。
そしていつもは通過する、国津神社もお参り。
ホケノ山古墳も見学。
そして箸墓古墳の南を歩き正面から参拝。
箸墓古墳の北の池は水が抜かれていました。池のほとりの歌碑です。
大坂に継ぎ登れる石群を手ごしに越さば越しのてむかも(崇神天皇、日本書記)
大坂山に人々が並んで登って、たくさんの石を手渡して行けばわたせるだろうかなあ(山の辺の道のパンフの訳)
そしてこの日のゴール、JR巻向駅へ。
ホームの北端から巻向遺跡の発掘の準備でしょうか。テントが見えました。
さてこの日は友人の万歩計によれば14300歩ということでした。この日もらった行程表です。いろいろなポイントで説明を聞きながら全員無事ゴールしました。
NPO法人まほろばソムリエの会のYリーダーはじめ皆様お世話になりました。
追記
高さ3mから4mくらいあったでしょうか。群れを成して花が咲いていました。畑の人によれば「皇帝ダリアであり、近頃このあたりで流行っています」とのことでした。
いと高く皇帝ダリアも咲き誇る小春日和の山の辺の道(毎日やまと歌壇)
狭井川近くの以前にも訪れた神武天皇聖跡の碑です。
あし原のしけしき小屋にすがだヽみいやさや敷きてわが二人寝し(古事記)
そして現代語訳
葦のいっぱい生えた原の粗末な小屋で、管で編んだ敷物をすがすがしく幾枚も敷いて、私たち二人は寝たことだったね(山の辺の道のパンフより)
そして近くの笹ゆりの栽培地に囲まれた広場で楽しいお弁当タイムをすごしました。のこりの班の人々も一緒です。いつもお世話になっているKさんは新米と栗で作ったおいしいおにぎりを今年も皆に配ってくれました。
そして山の辺の道をさらに北へ歩きました。三輪山のふもとの森を歩いて玄賓庵へ。平安時代の初めのころの興福寺の僧、玄賓の庵です。(現在は真言宗)
そして桧原神社へ。
井寺池へ。
三輪山を背にした井寺池は紅葉がとても美しく、池面にも映っていました。
川端康成の書による有名なヤマトタケルの歌です。
大和は国のまほろばたたなづく青垣山ごもれる大和し美し
山の辺の道筋の金屋の石仏では、会津八一は歌をのこしています。石仏二体をお参りしました。いつもの素空氏の解説です。 写真も。
注 三輪の金屋 (自註鹿鳴集より)
三輪山の南なる弥勒谷(みろくだに)といふところに、高さ六七尺、幅三尺ばかりの板状の
石に仏像を刻したるもの二枚あり。・・・・路傍の木立に立てかけ、その前に燭台、花瓶、供物、
および耳を疾(や)める里人の納めものと見ゆる形ばかりなる錐など置きてありき。・・・
(引用終わり)
そして志貴御県坐神社にいきました。蜂がたくさん飛んでいてすこし不安でしたが無事参拝できました。
崇神天皇磯城瑞籬宮跡(しきみずがきのみやあと)の碑がありました。
わたしの班のリーダーは中学高校同級生の I 君、私といっしょにまほろばソムリエに合格して彼はガイドグループで活躍しています。この日もいろいろなガイドポイントで熱心に説明をしてくれました。
そして平等寺へ。聖徳太子ゆかりのお寺ということです。
本尊の観音様は、有名な聖林寺の国宝の観音様によく似ておられました。
わが衣色に染めなむうまさけ三室の山はもみぢしにけり(巻7-1094、柿本人麿)
伊藤博先生の現代語訳は、私の着物が美しく染まってしまうほどに、三輪の山は見事にもみじしている。
そしてほどなく大神神社へ参拝。ちょうど七五三のお参りの人がたくさん来られていてにぎわっていました。
11月17日日曜日9時40分桜井駅集合。「奈良まほろばソムリエと巡る 山の辺の道のコース」の、観て、聴いて、ロマンに触れる、再発見のウォークがありました。
うまく時間が取れましたので参加してきました。この日はまほろばソムリエが10人あまりで10グループをつくっての合同のウォークでした。合計75名も参加されました。
駅前で簡単なスタートの注意を2点、国道を横切るので車に注意しましょう、ひとりで参加の方もたくさんおられます、できるだけ多くの人とお話しましょう、とリーダーのYさんからご挨拶があり、1班から少し間隔をあけて順番にスタートしました。
桜井駅から巻向駅までのコースです。昨年柳本から桜井まで歩いたり、柳本からソムリエのNさんのご案内で巻向まで歩いたりしましたが、今回はじめてのところもありますので楽しみです。
桜井の市街地を歩いて、
(画像をクリックすると拡大します)
大和川(初瀬川)に出ました。ここは、かつては船で大阪湾まで上り下りして、盛んであった海柘榴市(つばいち)のあとです。そして仏教伝来之地碑。
そして海柘榴市観音をお参りしました。
ここで万葉集から2首。問答歌ということです。
紫は灰さすものぞ海柘榴市の八十のちまたに逢へる子や誰れ(巻12-3101)
たらちねの母が呼ぶ名を申さめど道行く人を誰れと知りてか(巻12-3102)
伊藤博先生の現代訳。
3101紫染めには椿の灰を加えるもの。その海柘榴市の八十のちまたで出逢った子、あなたはいったいどこの誰ですか。
3102母さんの呼ぶたいせつな私の名を申してもよいのだけれど、道の行きずりに出逢ったお方を、どこのどなたと知って申し上げたらよいのでしょうか。
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この初瀬川のあたり、桜並木が紅葉して三輪山に映えてとても美しく感じました。
旧知の洋画家、今中和義さんが当方のギャラリーまつもりで企画展として作品展を11月22日から30日まで開かれます。
どうぞお越しください。
ふと思えば、当方のギャラリーまつもりがオープンしたのは、奈良シルクロード博覧会の年、1988年でした。そして早や25年、いろいろな作家やグループの方の作品展を開いていただいています。おかげさまでこの今中さんの展覧会が470回目の展覧会になります。25年前、奈良にギャラリーが少なかったころを思い出します。
今中さんにはもう50年くらいお世話になっているのではないでしょうか。毎回意欲的な作品を披露いただいています。どうぞ22日から30日、ギャラリーまつもりにお越しいただければ幸いです。
18日の朝日新聞奈良版に大きくAFSのことが載っています。YSファンクラブそして最近始まったCDファンクラブでもご一緒の、もと奈良県公会堂館長のYさんから教えていただきました。
わたしの高校の先輩や同級生もこのAFSによって当時アメリカへ1年間留学をしてその後の進路に大きな影響をうけていました。
奈良県でも一時休止していたそうですが、最近再び活発になってきたそうです。
「支部のスタッフが一番気を使うのは(留学生の奈良で滞在する)ホストファミリーさがしとその後のケアだという。」と書かれています。
支援に力が欲しいといっておられます。
AFS奈良県支部のページです。→http://www.afs.or.jp/contact/chapters/nara/
あれはテレビの衛星中継が始まるという日でした。たしか4時か5時頃頃眼を覚ましてテレビのスィッチをいれたのでした。1963年11月22日だったそうです。
その日朝から地球の裏側からテレビの生中継があるというのですからたいへんな楽しみでした。なにしろ当時はじめて人工衛星が打ち上げられたり、犬やつぎは人間が乗った人工衛星が打ち上げられ、こんどはテレビの衛星中継が始まるのですから、当時中学生であったわたしは期待と興奮でテレビを見守りました。
するとたしかアメリカからアナウンサーが、最初に、日本の皆さんに悲しいニュースをお知らせしなくてはいけません、といった第一声が流れてきました。アメリカのテキサス州のダラスという町で、ケネディ米大統領がパレード中に暗殺されたというニュースでした。
それから数日間追悼番組が流れました。現場の暗殺場面は何度も画面に流れ、ワシントンDCのアーリントン墓地に埋葬されるまで中継されたことを覚えています。そのときに可愛いお嬢さんと息子さんが写っていました。そしてそのお嬢さんがこのたびアメリカの駐日大使として赴任されるそうです。55才とか。
今2013年11月。引き算をしてもたしかに50年。
過ぎてしまえば50年は早い気がします。来年10月は東京オリンピック1964からまる50年ということです。つぎからつぎへとあれから50年ということを感じる出来事を思い出します。
思い出プレイバックのhpです→http://www.maitown.com/soft/nannohi/calindex.html
追記
はじめての衛星中継にケネディの暗殺知りてはや五十年 (毎日やまと歌壇)
先日久しぶりの会がありました。NPO法人奈良まほろばソムリエの会専務理事で奈良の有名なブログのひとつ「どっぷり!奈良漬」を書かれているTさんの呼びかけの会です。以前もちいどのセンター街の山口水産で行われていたYSファンクラブが都合で場所を変えて、東向き商店街のチャイナダイニング飛天(中山社長)でおこなわれました。名前も改名してCDファンクラブパート1という会です。
12名くらい、NPO法人まほろばソムリエの会の重鎮もメンバーの中には多く、そしてイラストが上手なM新聞の奈良支局長さん、N交通の部長さん、など多くの著名なメンバーが参加です。いろいろな話題豊富な中、おいしい料理をいただきました。
当日のメニューです。メニューを見て皆さん色めきたちました。
最初に前菜の盛り合わせ そしてシマアジのお刺身飛天風
大海老とイカ、奈良産野菜の塩味炒め
このあたりまで写真も撮っていたのですが、おいしい料理と活発な会話と紹興酒により写真は不足気味。おとなりの席の方はじめ皆さんお酒も強い。
さて倭鴨のロースト 北京ダック風はとてもおいしいものでした。わたしには皮だけでなく肉もおいしいこの奈良の鴨のほうがおいしいくらいに思いました。(写真は残念ながらありません)
そして「いいにおいに惹かれて、僧侶が垣根を飛び越えて、やってくるという意味で「仏跳ぶつちょうしょう」と名付けられたお料理、魚介類がふんだんに入った濃厚なスープでした。中山社長様、おいしい料理とお酒本当にありがとうございました」と奈良観光協会N事務局長のお言葉と写真も拝借します。
ほんとうにいろいろな材料が入っていてとてもおいしいスープでした。
料理良し、お酒良し、人良しのとても良い会でした。ごちそうさまでした。
チャイナダイニング飛天では日頃ランチにパーティにいろいろなおいしい料理を提供されています。以下hpです。→http://hiten-co.jp/honten.html
追記
tetsudaさんのどっぷり!奈良漬のブログにくわしくレポートされました。→http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/5bec8df98f38b53e21baabaf1df7e7bf
木津川 計さんが発行人の--芸術文化の広がる都市に--「上方芸能」という上質の季刊誌があります。数年前から、友人のNさんのおすすめで定期購読しています。
上記は、この11月10日に発行された「上方芸能」です。
とある日、「私の芸能肩入れ談」という欄に書きませんかと連絡をいただきました。投稿することがあっても寄稿を求められることはめったにありません。で、わたしの拙文が、この190号に載りました。
奈良は芸能の発祥地
松森重博
奈良県内あちこちを訪ねると、奈良には上方芸能の発祥地を感じるところが多い。また若いときから桂米朝さんらの落語などを良く聞いた。亡くなった桂小米(のちの桂枝雀)や春蝶もテレビやラジオで良く聞いたしなつかしい。桂文枝(三枝)、桂文珍、仁鶴は今も活躍中で楽しみにしている。「鹿政談」は、奈良の鹿を誤ってやってしまった落語であるが、その三作小僧の塚はいまも興福寺の一角に静かにたたずんでいる。
また奈良は能の発祥の地でもある。同じく興福寺には能の金春流発祥の石碑があるし、5月には全国の薪能の始まりである興福寺薪御能が演じられる。毎年12月の春日若宮おんまつりでは、春日参道の影向の松の前で、能が奉納される。東大寺の鏡池でも能は演じられるし、宇陀の阿紀神社では蛍能も演じられる。金春流、観世流、宝生流、金剛流はいずれも大和四座である。大蔵流などの狂言も盛んだ。吉野郡大淀町では子供能楽も毎年盛んに演じられている。
雅楽も南都楽所が盛んに社寺やお祭りで演奏される。子供たちも毎週土曜日夜、奈良もちいどの商店街の一角で指導を受けて練習をしている。
文楽も壷坂寺や吉野山など奈良を題材にされた作品も多いことを奈良朱雀高校の生徒さんの研究で最近知った。この12月にはNPO法人奈良まほろばソムリエの会や奈良交通の協力で文楽ゆかりの地を訪ねるバスツァーも行なわれる。
一方、民俗芸能はその後継者難で中止に至った大柳生の太鼓祭りの例もあるが、いまそういう伝統芸能の継続を応援しようという動きもある。
やはり芸能は文化であり、生きた歴史であると思う。われわれの先人がはじめた芸能をさらに深く長く伝えて、楽しみたいと思う。
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190号という区切りのこの本も164ページにわたり、いろいろなジャンルの記事を豊富に掲載されています。定価1600円。どうぞ読んでいただきたい季刊誌です。
上方芸能のHPは→http://www.kamigatageinou.gr.jp/
先日、今年の日本酒コンテスト吟醸部門で「良い」の評価を桜井の「談山」(たんざん)が受けたと奈良新聞に報道されていました。桜井の西内酒造場の名酒です。
奈良まほろばソムリエの会の名ガイドのkozaさんご夫妻から正倉院展にご一緒できたということで思いがけずいただきました。 製造はこの11月とのこと、出来立てです。
kozaさん自身は、下戸ということですが、あちこちの社寺にもお供えされているそうです。
で、「談山」のしおりです。
(画像をクリックすると拡大します)
奈良新聞の記事です。
夕方になり早速、栓を開けると良い香りです。一口ふくむとさわやかな味、酒米の山田錦を削りこんだ大吟醸のややフルーティーな新鮮な味がしました。おだやかな大人の味という気がします。気がつくとすでに四合瓶の半分くらいまですすんでしまいましたので急ブレーキをかけて次回のお楽しみにしました。
kozaさんどうもありがとうございました。
ならら11月号は、郷愁の大仏鉄道、南山城から奈良へ、の特集です。
文明開化の靴音のやかましい時代から21年後の、明治31年(1898)4月19日。京都府南部の加茂から奈良の大仏駅へ煙を吐いて走る赤い蒸気機関車の姿があった。イギリスから輸入された機関車は、電光(いなづま)号と名付けられ、貨車と客車を引いて加茂と奈良を往復した。わずか9年で幕を閉じたにもかかわらず、沿線に暮らす人々に強烈な印象を与え、長く記憶に刻み込まれた。それが”大仏鉄道”である。
(画像をクリックすると拡大します)
トンネルは昭和39年ごろまで現存した奈良市黒髪山トンネルです。わたしもかつて自動車に乗せてもらって通ったことを覚えています。
とてもおもしろい大仏鉄道特集です。大仏鉄道の遺構を訪ねるハイキングコースは加茂から奈良まで12キロとのこと、一度歩いたみたいものです。
大仏鉄道研究会のhpです。→http://www.eonet.ne.jp/~daibutu/
月刊「大和路ならら」は税込み400円。当店でも扱っています。
先日、奈良市で奈良県下の商工会議所など経済団体の、中小企業活力強化の会合がありましたので出席してきました。
いろいろな要望が原案通り、国と奈良県に決議として渡されました。
とくに中心市街地の活性化のこと、商店街のこと、観光のことなどの要望のページです。
それにしても、昨今報道される、ホテルやデパート地下などの原材料と異なる表示などの問題は、以前も高級料亭などでもありましたが、気をつけたいものです。
信用を築くのには時間とエネルギーがかかりますが、信用を落とすのは一瞬であり一挙です。
しかも、一ホテルの問題ではなく、奈良県の・・・と話が広がり、信用を落とすことにもなるのです。
心したいと思います。
旧知の大阪芸術大学短期大学部教授の川嶌一穂さんの美ビット見て歩き、今月は奈良県宇陀市の、奈良カエデの郷「ひらら」、世界の1200種、3000本ずらりです。
(画像をクリックすると拡大します)
今はとても紅葉が良い時期でしょうね。どうぞお出かけください。
文中でてくる矢野正善さんの「カエデ見聞録」ブログです。→http://ganshuku.sblo.jp/
わたしが訪れたのは8月の暑さの盛りでした。→http://narabito.cocolog-nifty.com/blog/2013/08/post-ee52.html
ひららの郷のhpです。
先日、早稲田大学を訪ねました。ちょうど早稲田祭という大学祭の初日でした。盛り場のような賑やかなキャンパスの傍ら、会津八一記念博物館へ。行きました。
そして、坪内逍遥記念演劇博物館に行きました。
演劇博物館の前には坪内逍遥の胸像があり、その台座に会津八一の歌が刻まれていると聞いていたからです。
ここは以下、いつもの会津八一研究家、服部素空氏のお世話になることにします。
早稲田にて (四月二十七日ふたたび早稲田の校庭に立ちて)
むかしびと こゑ も ほがら に たく うち て
とかしし おもわ みえ きたる かも
(昔人声もほがらに卓打ちて説かしし面輪見えきたるかも)
歌意
恩師坪内先生が、声も朗々と教卓をたたきながら講義されたそのお顔が今もありありと浮かんでくる。
この歌は早稲田大学坪内博士記念演劇博物館前の逍遥の胸像の下に彫られている。ただ、早稲田には若山牧水、北原白秋、窪田空穂など有名な歌人・文人がいるのでと言う理由やその他で随分反対があったようだ。
そのため、この胸像・歌碑の存在に逍遥と八一の強い師弟関係及び八一と作った弟子達との深い絆をうかがう事が出来る。石碑を作る弟子達の計画に「・・・私自身が大いに感動して、これは是非完成して貰ひたいと、特に強く望をかけてゐる」(私の歌碑)と70歳の八一は書き残している。
山光集・校庭(第6首)
服部素空氏の会津八一研究のhpです。→http://www.cty-net.ne.jp/~masahiro/soku/81.html
東京へ出かけたとき時間がとれたら、練馬の会津八一のお墓のある西武新宿線上石神井の法融寺にお参りしたいと思っていたのですが、うまい具合に時間がとれました。
西武新宿線上石神井駅から中央通りという商店街をすぎると大きなお寺がありました。法融寺です。
(画像をクリックすると拡大します)
会津八一の歌碑と会津八一の書による法融寺の扁額です。
会津八一研究家の服部素空氏がかつて訪ねて解説をしてくれていますので紹介します。
村荘雑事
むさしの の くさ に とばしる むらさめ の
いや しくしく に くるる あき かな
(武蔵野の草にとばしる村雨のいやしくしくに暮るる秋かな)
歌意
武蔵野に村雨がしきりに降って、我が庭の草に飛び散っている。そうして武蔵野の秋はますます深まっていく。
八一は大正13年に移り住んだ下落合の「落合秋艸堂」(市島春城別邸)で村荘雑事17首を詠む。3000坪に及ぶ春城別邸(宅地は500坪)は、武蔵野そのものと言っていいほどの風情があった。
秋雨が激しくなっていく様子を急速に深まっていく秋に重ねながら、武蔵野の晩秋を詠う。選ばれた言葉のリズムが流れるような調べをつくり、暮れゆく秋へと誘う。
先月、この歌の碑と墓碑がある東京練馬の法融寺を訪れた。歌碑は珍しい絵入りである。生前、自ら揮毫して全ての歌碑を彫らせた八一だが、この碑は幾分見難くなっている。東京近郊の住宅街と化したこのあたりに、もう武蔵野の風景はなさそうだが、静かな寺内には八一ゆかりの人たちの墓碑もあり、今では本でしか触れることのできない一時代前を偲んできた。
村荘雑事目次
注 下落合秋艸堂
大正13年から14年間住んだ市島春城別邸(八一の遠縁)を八一は下落合秋艸堂と名づけ、ここを拠点にいろいろの学術活動を展開する。友人、学生等が出入りし、ここで薫陶を受けた門下生から傑出した人物が出る。学者、歌人、画家、映画監督と多岐にわたる。
素空氏の歌の解説のhp
→http://www.cty-net.ne.jp/~masahiro/soku/81.html
お寺の方にお墓の場所を尋ねると、「一番奥の塀の右から5つ目の自然石のお墓です。毎年11月23日に皆さんお参りに来られます」と教えていただきました。
そういえば、会津八一の命日は11月21日でした。お墓にはどなたかがきれいなお花を供えられていました。
墓碑銘は、秋艸道人。1956年(昭和31年)76才で逝去。
ことしは、新潟、唐招提寺、練馬と会津八一さんのゆかりの地を訪ねることができました。
旧暦の10月13日は日蓮上人の亡くなられた日です。10月、11月にかけて各地のお寺ではお会式(おえしき)という法要が営まれます。
東京都大田区の池上は日蓮上人が亡くなられた地です。そこには大本山 本門寺があります。名前は何度も聞いていましたが、はじめてお参りにいきました。
ふたつの門がありました。江戸時代、徳川幕府などに信仰されりっぱな伽藍があったそうですが、1945年の空襲で大半が焼失したということです。そして戦後再びりっぱに再建されたということでした。
彫刻家北村西望による日蓮上人像。アルミ製重さ1トンとのことです。
日蓮宗大本山 池上本門寺のhpです。→http://honmonji.jp/
協同組合 趣味の百撰会の本部のある浅草のすぐ近くに浅草寺(せんそうじ)があります。朝のお参りでは朱印の受付はされていませんでしたので、午後再びお参りにいきました。
朝のお参りもさることながら、午後はいろいろな外国の言葉も聞こえてたいへんな人出でした。
本堂です。
下は朝のお参りの写真です。朝は東京スカイツリーが逆光気味に見えます。
浅草寺(せんそうじ)のhpです。→http://www.senso-ji.jp/
開会前に会場文京シビックセンター25階展望室から東京スカイツリーなどを見ました。この建物は文京区役所でした。
「第8回全国タウンマネジメント会議」
テーマ
”中心市街地の未来を拓く”
-地域の自立と持続可能性を求めて-
に出席してきました。
今回は、テーマにあるように、「未来を拓く」として、行政主導で、民間の関係者も巻き込んで、事業を進めておられる富山市と、
地域の当事者が、壮大な再開発事業を実践し、エリアメネジメント等、行政を促して、協働している高松丸亀町の事例を通じて、何らかの、中心市街地活性化の契機となる方向性を提供できないかと言う、シンポジュームに仕立てました。
開催日時:平成25年10月31日(木)13:30~
開催場所:東京都
文京シビックセンター
■プログラム
主催者(NPO法人まちづくり協会)井上理事長から挨拶
基調講演1
中心市街地活性化施策の方向性
内閣官房・地域活性化統合本部事務局
参事官補佐 横田清泰氏(約30分)
中心市街地について、政府内部でいま論議が行われているということです。
基調講演2
富山市中心市街地活性化の実践と将来
富山市長 森雅志氏(約60分)
富山市の実践が熱っぽく語られました。以前富山市にも見学に行ったことがありますが、行政のトップの考え方でこうもやりうるものなのだということを感じました。もう一度行きたいと思ったことです。
基調講演3.高松丸亀町のタウンマネジメント
高松丸亀町商店街振興組合理事長
NPOまちづくり協会理事
古川康造氏(約60分)
かつて高松市の丸亀商店街も二度視察に行き、古川理事長からお話も聞きました。
平成のはじめ頃、まさにバブルの頂点のときから各地の良くないところを視察したこと、そしてつまるところ中心市街地の問題は土地問題であること、商店街がいろいろな法の規制などと対応して解決してきていること。それは高松丸亀商店街だけの奇跡ではない、コミュニティが存続していれば問題の解決はできる、という熱弁でした。
パネルディスカッション(約50分)
パネリスト 横田清泰氏
〃
古川康造氏
〃 長瀬光市氏(NPOまちづくり協会理事・慶大大学院特任教授)
〃 市原実氏
(NPOまちづくり協会理事)
〃 旧知の三橋重昭氏(NPOまちづくり協会顧問)
コーディネーター
井上正良氏(NPOまちづくり協会理事長)
そのあと 懇親会(文京シビックセンター内)へ。
懇親会にも参加して、講師の皆さんや参加者の皆さんとさらにお話をうかがう貴重な機会となりました。
NPO法人 まちづくり協会のhpです→http://npo-tma.org/
追記
古川理事長の参考になる講演レジュメです→レジュメ
(三橋顧問からいただきました)
11月3日文化の日の昼1時過ぎから100人近くの天平の衣装の人々による、JR奈良駅から三条通、春日大社一の鳥居、春日参道、大仏前、南大門をへて東大寺大仏殿まで、平城京天平行列 東大寺参詣お渡りがありました。 私はちょうど来客中で拝見できなかったのですが、もちいどのセンター街のブログにアップしてくれていますのでご覧ください。
奈良きたまち、やすらぎの道の中京銀行あたりを歩いていると、以前大宮町に事務所があったNPO法人、観光ガイド・添乗員育成研究所のお店ができていました(奈良市内侍原町8、電話0742-23-7777)。
バスガイドのOGの皆さんがされていると以前お会いしたときに聞きました。
天平衣装なりきり体験が12月8日までの土・日・祝、東向き商店街の事務所で体験・受付をしているそうです。
くわしくは、天平楽座のhpをみてください。→http://www.nara-tenpyorakuza.com/
奈良名作
奈良名作映画祭が11月21日22日に奈良県文化会館国際ホールでひらかれます。「忍ぶ川」はかつて小説で読みました。
名作の数々が上映されます。
案内のhpです。→http://yamatoji.nara-kankou.or.jp/contents/event.php?contents=0000011658&event=0000000001
11月になりました。
11月のならシネマテークは8,9,10日。場所は餅飯殿センター街の「もいち堂」。bagdad cafeという映画です。
料金は500円。
ならシネマテークのhpをご覧ください。
最近のコメント