新潟市へ 会津八一ゆかりの地訪問 3
高崎市から上越新幹線で約1時間、つぎは新潟市を訪れました。平成の大合併で市域はかなり広がり人口は約80万人ということでした。かつて日本海を走る北海道へ行く列車で通りかかったり、何度か冬に雪の降るなか仕事で来たことはあるのですが、町の中を歩くのは初めてでした。
駅前案内所で、パンフレットをもらいました。ふつうの観光MAPと共に、会津八一を訪ねたいと言ったら、「にいがた文学まち歩きマップ」をもらいました。これは会津八一、坂口安吾、市島三千雄、多くの歌人、俳人の歌碑や文学館などをくわしくわかりやすくつくられたものでした。マップのhp版がありました。
西大畑・古町・西海岸公園エリア
http://www.niigata-cityguide.com/course02.html
白山・旭町・上古町エリア
http://www.niigata-cityguide.com/course03.html
そして全国有名専門店の趣味の百撰会の会議でこの日宿泊する明治時代にできたイタリア軒というホテルに荷物を預け、「文学まち歩きマップ」や「会津八一記念館」のパンフなどをもって歩き始めました。
暑い日差しの中、閑静な住宅街を海方向に歩くと坂口安吾の記念館があり、そして目的の会津八一記念館に着きました。
常設展と特別展が展示されていました。会津八一は奈良県安堵町出身の有名な陶芸家の富本憲吉とも親交があり、その弟子である、上越の斎藤三郎という陶芸家とたいへん親交があったということでした。ビデオや、八一が愛用した晩年の書斎の机なども拝見しました。
記念館の前の歌碑です。
於りたては なつなほ あさき しほ可せの すそふき かへす ふるさとのはま 朔
みゆきつむ まつのはやしを つたひきて まどに さやけき やまがらのこゑ
そのあと八一が昭和20年東京空襲で新潟にもどり、晩年10年ほど過ごした終焉の地を訪ねました。大きな庭がある家の洋館の二階建てに住んでいたということで、歌や書や写真などがたくさん展示されていました。庭には、歌碑がありました。
かすみたつ はまのまさこを ふみさくみ かゆき かくゆき おもいそわかする
北方文化博物館新潟分館のhpです。
→http://hoppou-bunka.com/branch.html
歩いて古町商店街で昼食。そのあと明訓高校の野球の漫画の主人公の銅像などがある古町商店街をぶらぶら歩いていると、会津八一の生まれたあとに歌碑が建てられていました。偶然うまく見つけることが出来ました。
MAPをみると会津八一のお葬式をした瑞光寺も近くにありそうでしたので訪ねました。歌碑もありました。お墓もあるのかとたくさんお墓の中を歩いたのですが見つけられず、お寺に訪ねると本堂のすぐそばにあることがわかりました。
あまり下調べもせずMAPを片手に歩いたのですがうまく会津八一のゆかりのところや商店街などを歩くことが出来ました。
« 土屋文明記念文学館へ 2 | トップページ | 新潟市古町商店街と、会津八一の生誕地とお墓へ 4 »
コメント