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2013年6月26日 (水)

「TOHO見聞録」

1970年、桐朋学園オーケストラは、斉藤秀雄さんというすごい指揮の先生を先頭に、66日間にわたるヨーロッパ演奏旅行を行っています。秋山和慶先生、尾高忠明先生、井上道義先生らすばらしい指揮者が参加されています。そして、弦の桐朋のすばらしい演奏家たち。ソ連から東欧、中欧、イタリア、スイス、ドイツ、イギリス、フランスなど各国のあちこちで演奏されたいへんな反響を得ています。いまから40数年前、各国通貨も違い、通関や交通、ホテルなどにも苦労され、演奏会の様子とともに、その国、その町を写真と文で見事につづられています。

その様子を「TOHO見聞録」として、随行でいろいろお世話された、桐朋学園の先生が振りかえって書かれ、公開されていますので紹介します。

TOHO見聞録→http://tohotour1970.nomaki.jp/index.html

冒頭の一節を引用させていただきます。

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「斎藤秀雄」という名前は、今どれだけの人に知られているのだろうか。

 多くの人にとって、彼の名前は「今や師匠よりもずっとずっと有名になってしまった教え子の小澤征爾氏」を通して、また「毎夏松本でおこなわれるサイトウ・キネンオーケストラに残る名前」として、目に触れるにすぎない。

 たしかに彼は「クラシック音楽界における偉大な教育者」だ。
 創立メンバーとして桐朋学園の礎を築き、当時はまだ珍しかった幼少時からの早期教育を浸透させ、世界に誇れる才能の演奏家を数多く送り出してきた。

 しかし、斎藤秀雄には「教育者」という以上に「開拓者」という称号がふさわしいと思う。
 なぜなら今から42年も前に、こんなにも無謀きわまりない冒険をおこなったからだ。
 

 

1970年秋。
 当時35歳だった若造の私は、嵐のような66日間にまきこまれた。
 トーサイのとてつもない情熱によって。

 トーサイとは、当時学生の間で呼ばれていた彼のあだ名である。

 なんのことはない。サイトウを逆さまに読んだだけなのだが。


 その冒険は1970年9月26日に幕を開けた。
 海外旅行もまだ普及していなかったその時期に、学生オーケストラを率いて東西ヨーロッパ各地で演奏会をおこなうという壮大な計画だった。

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TOHO見聞録→http://tohotour1970.nomaki.jp/index.html

著者紹介

村上 綜 先生
Osamu Murakami

1935年生まれ。桐朋学園の第一期生。東京芸術大学声楽科を卒業後、桐朋学園に勤務。
1981年より桐朋学園大学教授として声楽・合唱・教育法を担当。その他、校務として学生部長、「子供のための音楽教室」室長を歴任。

また、1970年の欧州演奏旅行への参加を機に、1974年のアメリカ演奏旅行(国連デーコンサートを中心にアメリカ各地を巡回)、1991年のアメリカ演奏旅行(カーネギー・ホール100周年記念演奏会を中心にアメリカ各地を巡回)、1991年のフランス演奏旅行(南フランスとパリを巡回)など、桐朋学園オーケストラの引率として国内外の演奏旅行に同行する。

1984年には、斎藤秀雄氏の10周忌にあたり、小澤征爾氏・秋山和慶氏・江戸英雄氏と共に発起人となって「斎藤秀雄メモリアルコンサート」を企画。東京と大阪で演奏会を開催した(これが契機となって後の「サイトウ・キネン・オーケストラ」が生まれた)。

定年退職後は、男声コーラスや女声コーラスなど、アマチュアの合唱指導もおこなっている。二期会会員。

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