東大寺大仏殿中門の毘沙門天像を支える女神像
東京在住の仏像に詳しい女性のお話を聞く機会がありました。そして冒頭、スライドを見せて、「上記の仏像はどこにあるかわかりますか?」と言われました。が残念ながら存じませんでした。
答えは、大仏殿の中門の東側にある毘沙門天像の足元の地天でした。
たしか大仏殿の中門は先日五劫院を訪ねたときに知った、公盛上人が再建された建物です。
南大門が有名ですし、普通大仏殿にお参りするときも中門は通らずに、回廊のもうすこし西から入りますから、気をつけて見たことがありませんでした。
先日の筒井寛昭師の東大寺別当・晋山式に参上した際に、はじめて拝見しました。くわしくは以下の説明をご覧ください。
もうひとつ、同じく中門の西側に立たれている、持国天像です。こちらの足元は二邪鬼ということです。
手元にある、「美の脇役」(産経新聞社編、井上博道写真)をみると、写真家の入江泰吉さんの文がありました。
「48 東大寺中門の女神像
無気味な麗人
奈良をたずねられた方なら、たいてい、この美貌の女神には、出あっていられるはずと思いますが、気づかれた方は、案外少ないのではないでしょうか。
大仏殿中門の、左右に立って、本尊の大仏さまを守護している二天のうちの、多聞天を両手で支える女神のお顔であります。
四天王といえば、普通、邪気をふんまえて、立っておられるものですが、この多聞天はたいへん珍しく、女神の手のひらに支えられています。兜跋毘沙門天の形式ではないかと思いますが、その甲冑に身をかためた五メートル近い武将形の偉丈夫を、両手でかるがると支える、というよりは、支えていて支えられているらしくない、実に平然とした女神の無表情な顔に、一見、無気味な感じをうけないこともありませんが、しかし、どうみても、そんな超能力的な怪力を秘めているとは思えない顔だちであります。
むしろ、神像の名にふさわしくない、ちまたに見かける妙齢の麗人とでもいいたい人間的な感じを強くうけます。この女神に、密教のどのような儀軌をあらわされているのか、私にはわかりませんが、いずれにしても、見た目には他の女性をあらわされている仏さまの顔にくらべてみてもけっして劣らないうつくしさをもっておられます。
例えば吉祥天とか伎芸天、あるいは鬼子母神などにしても、美しいには美しいですが、まっ香くさい感じがして俗人にはなんとなく近よりがたいものです。
仏教芸術のあり方というようなことからはなれて、とにかく、この女神の場合、見た目には、ぐっと人間的で、白粉のにおい、とまではいいませんが、若い女性の体臭がただようているようで、魅力を感じる顔です。
この作品のねらいは美の脇役ということですが、主役にくらべてみて、むしろ、脇役の美といえないこともなさそうです。幸か、不幸か、主役の武将、多聞天のお顔は写っていませんが、このような美貌の脇役を得て、のどかな至極、満足げな表情、におわします。」
と書かれています。
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