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2013年4月22日 (月)

会津八一と奈良

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(右上の会津八一の肖像スケッチはすぐ左の画家の渡辺文子さんが描いた絵ということです。)

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(クリックすると拡大します)

先日、NPO法人奈良まほろばソムリエの会で、奈良大学名誉教授の浅田隆先生の文学の小窓というシリーズの勉強会がありました。前回の正岡子規の勉強会は行くことができませんでしたが、今回「会津八一と奈良」という90分余りの勉強会を幸いにも聞きに行くことができました。

 

当日のレジメ5枚中、1ページから4ページを転載させていただきます。

 

会津八一の年譜にしたがい、いろいろな資料を交えながらお話いただきました。

 

中学卒業後、地元の新潟の新聞で俳句の選者をした早熟ぶり。

その後早稲田大学へすすみ坪内逍遥と英文学で師弟関係であったが、一方的な弟子ではなく、書道や短歌では八一が先生であった。

 

美人で画家であり才媛であった、渡辺文子への思いは八一の新潟の有恒学舎(中学校)への赴任などによって失恋した。そしてその後の奈良への初訪問(對山楼に投宿)。

猿沢池そばの歌碑にある、

わぎもこ が きぬかけ やなぎ みまく ほり  いけ を めぐり ぬ かさ さし ながら」などの歌をつくった。

 

それを機会に、八一は当時蒸気機関車で10時間以上かかった奈良へ生涯35回もきて、あちこちを歩き回って思索し歌をつくっていること。

 

小泉八雲の影響もあり、希臘(ギリシャ)学会をつくって活動していたが解消して、やがて奈良美術研究会を創立した。

「われ奈良の風光と美術を酷愛して、其間に徘徊することすでにいく度ぞ、遂に或いは骨をここに埋めんとさえおもえり」 

歌人で有名な人、書道で有名な人はいるけれども、会津八一は「人間は元来多能多才なものであった。分業」ではなく総合的な人間的な人であった。それはライフスタイルにもあらわれている。

 

書で、「独往」と書いているが、学会などにも属せず独自に進んだことをよくしめしている。

 

また学生によく書いて与えた「学規」

1、ふかくこの生を愛すべし

 

1、かへりみて己を知るべし

 

1、学藝を以って性を養ふべし

 

1、日々新面目あるべし  

によくその姿勢があらわれている。

あの奈良国立博物館の北側の日吉館はなくなって残念ですが、会津八一の揮毫した日吉館の看板はいま、早稲田大学の会津八一記念館にあるというこということでした。他の東洋史の美術品や会津八一の作品などがたくさん展示されておりぜひ行って下さいとのことでした。

90分間もあっという間で、とてもよくわかるお話でした。

 

 

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コメント

 私は、平成20年12月21日(日)、奈良県立図書情報館で行われた浅田先生のご講演「會津八一の奈良」を聞いていました。秋艸道人に関する企画展開催記念講演でし
た。特に新しい知見は示されませんでしたが、分かりやすい内容だったと記憶しています。
 現在、秋艸道人を研究される近代文学者が少ないのは残念です。私が知る限りでは、浅田先生の他には、天理大学の太田登先生がおられる程度です。
 故植田重雄先生は宗教哲学、私の恩師の山崎馨先生は上代文学、神林恒道先生は美学、大橋一章先生は美術史がご専門です。
 若手では、新潟大学准教授の岡村浩先生や角田勝久先生がおられますが、いずれも書道がご専門です。
 早稲田大学文学部で、秋艸道人を極めようとする若手学者はおられないのでしょうか。

やいちさん。コメントありがとうございます。
全般に、八一に対して温かく、わかりやすいお話でした。
会津八一研究の若い学者の登場が待たれますね。

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