明日香万葉歌碑めぐり 9 甘樫丘
いよいよ最後に甘樫丘です。なだらかな坂道を歩いて登りました。昭和天皇が自動車で登られるためにつくられた道だそうです。
しばらく登ると標高148メートル、北の見晴らしの良いところに着きました。各方向の写真です。
歩いてきた明日香の村が見えます。
右上の写真は畝傍山、遠くに二上山が見えます。
右上の写真、正面に耳成山、藤原京あとがひろがります、右手に天の香具山です。手前に雷丘(いかづちのおか)。
山内英正先生のお話。
・この展望の良いところで、犬養先生は、昭和天皇に説明された際、江戸っ子弁でしゃべられたフレーズで、昭和天皇がつい微笑まれて、その笑顔が翌日の新聞に掲載されたこと。
・昭和40年ころまで、甘樫丘は3人の地主さんのもので、当時あちこちから買いにきた。この展望の良いところに、ホテルを建てるというプランまでもってきた業者があった。
・飛鳥を守るということで、法律が出来て、この甘樫丘も国が買い上げ、国有となっている。
・かつて飛鳥村とあと2つの村が合併したが、その際、名前が問題になり、犬養先生のアイデアで、明日香村になった。これで無事3つの村が合併した。
・この甘樫丘は蘇我氏の旧館があったところであり、石舞台あたりが南の拠点であり、ここが北の拠点といえる。そうすることで飛鳥を守る拠点であった。
展望台から階段状を中腹まで降りたところに、下の写真の有名な志貴皇子の歌碑がありました。
この歌碑が犬養先生の明日香の万葉歌碑の第1号だそうです。
飛鳥に開発が及びそうになったとき、村の人たちと、そして犬養先生の教え子たちの合同でこの志貴皇子の歌が歌碑になったということでした。
犬養先生の横浜の教え子に、作曲家の黛敏郎氏がいて、この歌に作曲され除幕式で披露されたそうです。
当時大阪大学の合唱部のテナーであった山内先生はその披露の時、その歌を歌われたということでした。この日も一部を歌われました。(全曲聞きたかったところです)
それから、この日の見学の要所要所の歌碑の前で、犬養節を披露され、参加者もいっしょに歌いました。犬養節には陰と陽があるそうです。
さて、志貴皇子の万葉歌碑です。
明日香宮より藤原宮に遷居りし後に、志貴皇子の作らす歌
采女の 袖吹き返す 明日香風 京を遠み いたづらに吹く 志貴皇子 (巻1-51)
旧知でいつもお世話になっている奈良大学の万葉学者、上野誠先生は、「はじめて楽しむ万葉集」(角川ソフィア文庫)の中で、はしだのりひことシューベルツの『風』の歌詞に「そこにはただ風が吹いているだけ」とあるが、まさに志貴皇子も「そこにはただ風が吹いているだけ、昔は都だったのですが・・・・・」と歌っているのである、といわれます。
上野誠先生の現代語訳→采女たちの袖を吹き返していた明日香風は、都が遠のいてしまったので・・・・今はむなしく吹いている。
甘樫丘から降りてきて、橿原神宮駅にいく「かめバス」のバス停留所から、正面、雷丘、そして飛鳥川。3時過ぎでした。
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