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2013年3月27日 (水)

博士が取り戻したピアノ

Piano_2


博士が取り戻したピアノ

アインシュタインも演奏、奈良ホテルに復活

筆者は奈良ホテルの営業企画部長の辻利幸さんです。

27日付日経新聞の最終面、文化欄で大きく取り上げられています。

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 古都・奈良は宗教美術の宝庫。「神さびた文化財ばかり」と思われがちだが、モダンなものもある。相対性理論で知られるアインシュタイン博士も弾いたピアノだ。数奇な運命をたどり、64年ぶりに古巣に舞い戻った。 

 

 奈良市高畑町の閑静な一角にたたずむ奈良ホテル。博士が弾いたピアノはいま1階のロビーにある。米国の1902年製アップライト(縦型)で、ことし111歳だ。ホテル開業の1909年には備品としてあったようだ。あいにく製造元のハリントン社は、すでに廃業してない。 

 

 戦後の混乱の中、奈良ホテルは連合軍に接収された。その間際に、当時の従業員がピアノの行く末を案じて、ホテルから避難させた。その後長らく大阪の倉庫に眠っていたのを、私どもが探し出して“本籍”を証明、2009年、奈良ホテルに里帰りした。

 

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  写真が「本籍」証明 
 

 アインシュタイン博士が奈良ホテルに宿泊したのは1922年12月17日と18日。外出から戻り暖炉脇のピアノに向かって腰掛けると、博士はおもむろに試し弾きをしたという。あいにく、曲名はわからない。長旅に出るときは愛器のバイオリンを携行するほどの音楽好きだった博士。くつろいで弾くピアノは、旅先の疲れをほぐすのにちょうど良かったのだろう。 

 

 この時に撮られた写真が、ピアノの“本籍”を証明するのに役立った。というのも、ピアノ自体は92年には見つかっていたが、はたして奈良ホテルにあったものと同一であるかどうか、裏付ける証拠がなかったからだ。

 

 写真ではアインシュタインが弾くピアノの右手に、現在と同じ暖炉が写っている。さらにピアノの支脚に、特徴ある意匠のキャスター(車輪)がついている。動輪をデザインしたもので、当時ホテルを運営していた旧鉄道院の目印でもある。

 

 奈良ホテルは52年には接収が解除されたが、ピアノは戻ってこなかった。旧国鉄・大阪鉄道管理局庁舎の地下倉庫に眠っていた。その後、建物の解体に伴い、大阪・港区の交通科学博物館に移送されていた。 

 ♪ ♪ ♪ 

 通訳は西堀栄三郎 

 奈良ホテル開業100年となる2009年に、何か記念となるものを――。そんな任務を仰せつかっていた私たちは、従業員OB会の大先輩に聞き取りをし、このピアノの里帰りを何とか記念事業の目玉にしたいと考えていた。 

 まずアインシュタインにまつわる記録から攻めてみた。 

 博士が京都・奈良での滞在中に通訳を担当したのは、若き日の西堀栄三郎だった。後に第1次南極地域観測隊の越冬隊長も務めた型破りな京大教授で、登山好きには「雪山賛歌」の作詞者として通りがいい。 

 西堀栄三郎をたたえる記念施設が滋賀県東近江市にある。ここに電話をすると、奇遇にも栄三郎のご子息が居住先のドイツから来日しているという。ご子息は親切にも手がかりとなりそうな文献のコピーなど貴重な情報をくださった。 

 西堀栄三郎はいかに秀才とはいえ、この時はなお帝国大学に上がる前の十代の一学生にすぎない。それがノーベル物理学賞を受賞したばかりの大人物の通訳という大役を、なぜ務めることに? 

 実はアインシュタインの京都・奈良での滞在費を負担したのは、縮緬(ちりめん)などの織物工場を営む西堀家だった。招いたのは総合雑誌「改造」を出版していた改造社。栄三郎の兄、清一郎が改造社の京都支局長・浜本浩と親しかった関係で、アインシュタインの関西での滞在費と通訳を西堀家がまとめて面倒をみたという。 

 ♪ ♪ ♪ 

 自壊寸前、根気の修復 

 試し弾きする博士の写真は、この浜本が撮影していた。写真の保管先をつきとめ、照合の末、ピアノの“本籍”を立証できた。こうして古巣に戻ったピアノだが、なにせ百年を超すご老体。響きを取り戻すには根気の要る修復が必要だった。

 

 調律師によれば「本体で最大9センチの反りがあった。あと1年したら、自壊していたでしょう」とのこと。ピアノには約230本ものピアノ線の張力で、乗用車十数台がぶら下がるのと同じ負荷がかかっているという。大補強の末、見事昨年11月8日に響きを甦(よみがえ)らせた。

 

 古都・奈良にちなんでというわけではないが、標準のA音を440ヘルツでなく、やや低めの435ヘルツに落として調律してある。映画音楽や、ラウンジのにぎわいを演出するラグタイム風の演奏が似合うようだ。今は月に1、2度のペースでイベントの華としてレトロな音色を響かせている。(つじ・としゆき=奈良ホテル営業企画部長)

 

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