講演、 奈良ー文学の小窓からの風景ー奈良町・奈良公園成立事情ー
特定非営利活動法人「奈良まほろばソムリエの会」の設立総会がありました。満場一致で申請することが決まりました。
総会に先立ち、奈良大学名誉教授の浅田隆先生の「奈良ー文学の小窓からの風景ー奈良町・奈良公園成立事情ー」という興味深い講演を聞くことができました。(図はいただいた資料から引用させていただきました)
1、奈良町の形成
元興寺が、飛鳥で創建され、奈良時代に奈良に移転したこと。スポンサーを持たない寺として。その後、平安時代の1030年頃から貴族が衰退し、浄土系の宗教(阿弥陀信仰)が隆盛し、庶民信仰が広がったこと。
元興寺も以前は南から北に向って伽藍も配置されていたが、極楽坊が東向きの独立坊に改造され東から西に向って拝むようになったこと。
当麻寺も以前は南から北方向に伽藍配置され、東西の三重塔も今も現存している。そして中将姫信仰は、曼荼羅を西方浄土として見て、東から西に拝むようになった。
(今まで当麻寺の伽藍配置はよくソムリエの試験に出てきました。このお話を聞いて、金堂と本堂の関係がよくわかりました)
2、奈良公園の成立
①奈良公園 ( 「奈良の最大の芸術品は奈良公園である」保田與重郎「奈良てびき」)
②興福寺の受難
幕末1845年の左の絵図にくらべて、23年後の1878(明治10)年、右の絵図のように、塀が失われたり、西金堂はなくなり、南大門は遥拝所となり、講堂もなくなり、一乗院あとの一部は区裁判所になっている。(のち奈良県庁も建てられる)
王政復古による、廃仏毀釈であり、興福寺は一時廃寺となった。
その後、明治13年、春日野の公園化を請願し、奈良公園の整備が始まった。
明治33年。春日奥山周遊道路開通。若草山山焼き夜間に実施。
明治41年、奈良公園鷺池が築かれ、浅茅が原・物産陳列所夜間照明(裸電球程度であったが)
明治42年、奈良ホテル開業 明治43年江戸三開業。
大正3年、鷺池の浮見堂着工。
廃仏毀釈の一面、西欧の公園を明治政府はとりいれ、奈良公園が作られることになった。
そして奈良は、かつての巡礼都市から観光都市になっていったといえる。
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物事を点でとらえるのではなく、流れの中でお話いただき、とてもよくわかる講演でした。
廃仏毀釈で興福寺の五重塔が安く売られそうになったとか、エピソードとして知っていましたが、塀などがとりはらわれるなどして、奈良公園が作られていったことが結びついていることがわかりました。
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