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11月30日(金曜日)の夜9時から10時まで、NHKのBSプレミアムで、新日本風土記は「奈良」が特集されるということです。
再放送は翌週12月5日(水曜日)の朝8時から9時。
東大寺お水取り、興福寺の阿修羅像、春日大社の舞、法隆寺の塔・・・・。
「今回の舞台は古都・奈良。6世紀に大陸から仏教がもたらされて以来、神と仏が共存する濃厚な宗教空間を築き上げてきた。
奈良の大寺院は、仏教を広める学問寺として創建された歴史を持つ。そのため、薬師寺の僧侶は自らの使命として修学旅行生たちに熱く法を説く。一方、春日大社の巫女(みこ)にとって大切なのが、神様に捧げる神楽。口伝の舞を体得すべく、巫女は人知れず稽古を重ねる。
祈りの文化を担ってきたのは、僧侶や巫女だけではない。奈良市大柳生町では、1年ごとに一軒の民家で神様をまつる「廻り明神」の習わしが伝えられてきた。また、山寺・室生寺の美しいたたずまいは、地域の人々によって守られてきた。
番組では、神事に用いられる漆器を丹念に作る職人や、東大寺の古い仏像に触発される若き仏師なども紹介。深い祈りの心を連綿と受け継いでいく、古都・奈良の姿を描く。」
番組のhpは、→http://www.nhk.or.jp/fudoki/
朝わりあい良い天気で、時間が取れましたので、思い立って明日香、吉野方面に出かけました。
上の写真は吉野水分神社からすこし下ったところ、「花矢倉の展望台」から蔵王堂を見た風景です。入江泰吉さんの吉野全山の桜の写真と同じ場所からのようです。全山紅葉して、入江さんの撮影スポットに出会えたのは、ラッキーなことでした。
下の写真は後醍醐天皇や足利正行の辞世の歌で有名な如意輪寺です。
平日の昼間、ハイキングで歩かれる方がおられました。またケーブルカーの駅から、小さなバスが上千本(金峯神社)まで1時間に1本くらい走っていました。このバスで上り、下りは歩くというのが良いようです。
わたしは春と違って通行可でしたので、車で奥千本の金峯神社まで初めて登りました。この時期気温も8度くらいと低めでしたので出かけるときは防寒と雨具と食料をお忘れなく。
11月25日に除幕された、会津八一の明日香・橘寺の新しい歌碑を拝見してきました。設置場所は本堂の左手前です。
歌は、「くろごま の あさ の あがき に ふませたる をか
の くさね と なづさひ ぞ こし」
ということです。素空氏の解説→http://surume81.web.fc2.com/hitorigoto/81/ka/ka.html#kurogoma
やいちさんの説明では、橘寺の歌碑は「集字」によるものです。これについては批判もあるようですが、“王羲之の字を集めた「集王聖教序」のような伝統ある手法”だとのことです。碑陰にも明記されています。とのことです。
実際拝見したところ、実にうまく集字されており、わたしには会津八一がこの歌のために書かれたように見えます。ぜひお出かけいただき、実際にご覧いただきたいと思います。
(画像をクリックしていただくと大きくなります)
画家であり、デザイナーであり、景観などまちづくりの実践家であった横井紘一さんが逝去されて一年が経ちました。
わたしも生前たいへんお世話になりました。
12月10日(月)から16日(日)まで、朝10時から夕方5時まで。奈良市もちいどのセンター街のきらっ都・奈良2階と奈良町の奈良町物語館の2ヶ所で一周忌の回顧展がひらかれます。
たいへんな数の横井紘一さんの作品が展示されます。
この機会に横井紘一さんの作品とともに、横井さんが伝えたかったことに触れたいと思います。どうぞお出かけください。(入場無料)
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株式会社まちづくり奈良&奈良デザイン協会 回顧展実行委員会からのご案内のメッセージが届きましたので紹介します。
皆様へ
来年奈良初のプロバスケbjリーグに参戦するチーム名が発表されました。
「バンビシャス奈良」
バンビとアンビシャス(大志を抱け)の造語です。
日本プロバスケットボールリーグ(bjリーグ)に来シーズン、県内から初めて参入するチームの運営会社「ナラプロ」(奈良市)は23日、「バンビシャス奈良」とのチーム名を発表した。バスケットボールと鹿の角をアレンジしたえんじ色のチームロゴも披露した。
チーム名は「be ambitious(大志を抱け)」と子鹿のバンビをかけた造語で、公募の約500件の中から選ばれた。
発表は、県立橿原公苑第1体育館(橿原市)で開かれたbjリーグの大阪エヴェッサ―島根スサノオマジック戦の前にあり、スタッフがチーム名の書かれたプレートを掲げると、会場の約2000人から大きな拍手が起きた。
ナラプロの加藤真治・代表取締役(41)は「奈良の皆さんに愛されるチームを目指します」と話した。
先日朝9時集合で、奈良市の中心市街地にある、椿井小学校で、椿井地区防災訓練がありました。消防署からそして自衛隊からも東日本大震災に出動した車両が多数きました。女性防災クラブの炊き出しもおこなわれました。
椿井(つばい)小学校のhpです。→http://www.naracity.ed.jp/ele01/index.cfm/6,html
入江泰吉記念、奈良市写真美術館ではいま古色大和路特別展が開かれています。ようやく時間をみつけて見てきました。仏像、東大寺、興福寺、唐招提寺、薬師寺などお寺別と共に斑鳩、山の辺の道、室生寺、明日香など地域別にまとめられて、展示されていました。
そして、入江さんの写真集や文筆集の中からテーマに沿った、文章が紹介されていました。
入江さんは写真は無論のこと、文も優れていることを感じました。
右上は、気配を撮る、という文の一部です。手持ちの『入江泰吉自伝ー「大和路」に魅せられて』、(佼成会出版)より。
写真美術館の外の風景です。高円山も秋色を深めています。
展覧会は12月24日までです。
奈良市写真美術館のhpです。→http://www1.kcn.ne.jp/~naracmp/
12月15日から18日までの春日若宮おんまつりのチラシです。夏頃から準備はすすめられています。
大宿所まつりは12月15日午後1時頃JR奈良駅をお渡り行列が出発します。三条通りを東へ、東向き通りを北へ鍋屋町でUターン、花芝、東向き北の各商店街を通り、小西通商店街を抜けて再び三条通へ、そして、もちいどのセンター街に入り、最後は、餅飯殿町の大宿所へ詣でるというものです。
大宿所では、2時半から御湯立ての神事が行われます。のっぺい汁やあめ湯の振る舞いがあります。
地元椿井小学校の生徒による、わらべうたの披露があります。
大宿所祭、これがおん祭のスタートの行事です。
今年のまほろばソムリエの試験では、この大宿所祭は4つのうちのいつの日かという問題がでていました。
春日大社のhpです→http://www.kasugataisha.or.jp/
(画像の上でクリックすると大きくなります)
12月9日(日曜日)奈良マラソンです。9時に鴻池陸上競技場をスタートして、平城宮跡でUターン、大仏前交差点から奈良女子大附属中等教育学校まえから天理街道へ、途中で白川池方向に道をとって、天理市内を走って折り返し、再び奈良へ、帰りはやや山道を走り、鴻池陸上競技場へというコースです。
先日天理への往復はできるだけコースに沿って自動車で走りましたが、坂道もあってなかなかたいへんに思いました。トップはよくも2時間20分から30分で走るものだと感心しました。また参加者1万名くらいのうち9000人以上が制限のたしか6時間以内で走るものだと感心しました。
また奈良公園を走る10キロコースもあります。地図で見るだけでも公園を走り抜ける良いコースだと思います。
最近、朝や夜、マラソンの練習をする人をよく見かけます。暗いときや急な飛び出しには、自動車を運転していてびっくりします。服装も光るグッズなどをつけて注意を喚起するようお願いしたいと思います。
リユース瓶というのは、かつての牛乳瓶やコーラの瓶のように、回収して再利用するガラス瓶です。今回、このガラス瓶のデザインも、『と、わ(To WA)』というネーミングもコンペで選ばれたということです。
そしてこの中味は、大和茶をいれています。ホテルやレストラン、そして会議などで飲んで回収できるところで、広めていただきたいということで11月19日からリリースされました。
株式会社まちづくり奈良も協力して、早速会議で飲みました。おすすめの新商品です。
「リユースびん入り大和茶『と、わ(To WA)』本日より正式にリリースを開始致します!
この場をお借りまして、多くの関係者の皆様並びに企業団体様のご支援、ご協力に心より御礼申し上げます。奈良から始まる地域と環境の大和茶『と、わ(To WA)』今ここに。」とフェースブックでも、企画元のWORLD SEEDhttp://www.world-seed.com/は呼びかけられています。
12月1日(土)そして2日(日)奈良県庁前広場で、純情商店団というイベントがあります。
寒い時期ですが頑張っていただきたいと思います。そしてぜひ晴れを期待し、イベントの成功も願っています。
くわしくは以下のhpをご覧ください。
→http://www.pref.nara.jp/dd_aspx_itemid-90243.htm#itemid90243
特定非営利活動法人「奈良まほろばソムリエの会」の設立総会がありました。満場一致で申請することが決まりました。
総会に先立ち、奈良大学名誉教授の浅田隆先生の「奈良ー文学の小窓からの風景ー奈良町・奈良公園成立事情ー」という興味深い講演を聞くことができました。(図はいただいた資料から引用させていただきました)
1、奈良町の形成
元興寺が、飛鳥で創建され、奈良時代に奈良に移転したこと。スポンサーを持たない寺として。その後、平安時代の1030年頃から貴族が衰退し、浄土系の宗教(阿弥陀信仰)が隆盛し、庶民信仰が広がったこと。
元興寺も以前は南から北に向って伽藍も配置されていたが、極楽坊が東向きの独立坊に改造され東から西に向って拝むようになったこと。
当麻寺も以前は南から北方向に伽藍配置され、東西の三重塔も今も現存している。そして中将姫信仰は、曼荼羅を西方浄土として見て、東から西に拝むようになった。
(今まで当麻寺の伽藍配置はよくソムリエの試験に出てきました。このお話を聞いて、金堂と本堂の関係がよくわかりました)
2、奈良公園の成立
①奈良公園 ( 「奈良の最大の芸術品は奈良公園である」保田與重郎「奈良てびき」)
②興福寺の受難
幕末1845年の左の絵図にくらべて、23年後の1878(明治10)年、右の絵図のように、塀が失われたり、西金堂はなくなり、南大門は遥拝所となり、講堂もなくなり、一乗院あとの一部は区裁判所になっている。(のち奈良県庁も建てられる)
王政復古による、廃仏毀釈であり、興福寺は一時廃寺となった。
その後、明治13年、春日野の公園化を請願し、奈良公園の整備が始まった。
明治33年。春日奥山周遊道路開通。若草山山焼き夜間に実施。
明治41年、奈良公園鷺池が築かれ、浅茅が原・物産陳列所夜間照明(裸電球程度であったが)
明治42年、奈良ホテル開業 明治43年江戸三開業。
大正3年、鷺池の浮見堂着工。
廃仏毀釈の一面、西欧の公園を明治政府はとりいれ、奈良公園が作られることになった。
そして奈良は、かつての巡礼都市から観光都市になっていったといえる。
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物事を点でとらえるのではなく、流れの中でお話いただき、とてもよくわかる講演でした。
廃仏毀釈で興福寺の五重塔が安く売られそうになったとか、エピソードとして知っていましたが、塀などがとりはらわれるなどして、奈良公園が作られていったことが結びついていることがわかりました。
11月16日の毎日新聞奈良版を見ていると、「会津八一の歌碑建立」上宮遺跡公園内に、「いかるがの さとのをとめは よもすがら きぬはたおれり あきちかみかも」などが刻まれているということです。
除幕式も行われたということです。歌は会津八一研究家の「素空氏」の解説→http://surume81.web.fc2.com/hitorigoto/81/a/a-gyou.html#ikaruga
そしてもうひとつ。
会津八一の研究家の「やいちさん」からの情報です。
11月25日(日)に、橘寺で秋艸道人歌碑除幕式が開催されます。
石工は、左野勝司さんです。費用は飛鳥古京を守る会の剰余金です。
私の大学時代の恩師である山崎方靖先生(網干先生の跡を継いだ最後の守る会会長、昭和2年生まれ)も講演されます。
なお、橘寺の歌碑は「集字」によるものです。
これについては批判もあるようですが、“王羲之の字を集めた「集王聖教序」のよう伝統ある手法”だとのことです。碑陰にも明記されています。
とのことです。
歌は、「くろごま の あさ の あがき に ふませたる をか
の くさね と なづさひ ぞ こし」
ということです。素空氏の解説→http://surume81.web.fc2.com/hitorigoto/81/ka/ka.html#kurogoma
また、時間を見つけて新しい2つの、会津八一の歌碑を見に行きたいものだと思っています。
追記
やいちさんからコメントをいただきましたので紹介します。
「秋草道人の歌碑を紹介いただき、ありがとうございます。
最近、飛鳥園の小川光三さんが、お父さんの晴暘さんと秋草道人とのことに関して書かれた文章を二つ読みました。
また、品切れだった『自註鹿鳴集』(岩波文庫)が増刷されたようで、入手しやすくなりました。解説は、素空さんの恩師だった植田重雄先生です。
これを機会に、秋草道人の歌を愛好する人が増えることを期待します。」
仕事で長野県松本市へいってきました。会合などであまり自由時間はなかったのですが、朝7時頃JR松本駅から松本城方向へ散歩しました。この日は朝かなり冷え込み、歩いたときは7度くらいで、コートもなしに歩きましたが、寒さゆえお城までは行けず、また、帰りは運よくバスに乗ってホテルに戻りました。
この日は、市内から山は紅葉が広がっていましたが、山の上の方は雪を冠っていました。どうやら初冠雪だったようです。
町並みは、なかなかきれいで古いところも残されていてなかなか良い雰囲気でした。
川のそばには、花いっぱい運動発祥の地という石碑がありました。
松本市はロケが多いそうです。映画だけでなくテレビドラマのロケも多いそうです。ロケのマップもありました。
昨年亡くなられた、画家でデザイナーでまちづくり実践家であった、横井紘一さんは信州大学で教授も勤められていましたが、もうすこし松本市のお話も聞いておきたかったところです。
そして、帰りの名古屋までの特急で途中駅で、D51の蒸気機関車も展示されていました。思い起こせばほぼ50年前、中学の修学旅行であの蒸気機関車で名古屋から松本市へ来たのでした。
奈良まちなか市場が17日(土)18日(日)午前11時から午後4時まで上三条町交差点角の奈良市観光センターで開かれます。
奈良の新鮮とれたて旬の野菜や果物などの産直マーケットも開催。月ヶ瀬温泉ふれあい市場管理組合、奈良市4Hクラブさんが自慢の農産物を持って登場!
そして奈良の旬食材を活かしたお菓子や料理が観光センターに大集合します!
ということです。
出展者には、大和肉鶏と旬の野菜をすき焼きに!は、「やたがらす」から。
大和牛、結崎ねぶか、宇陀金ごぼうを使ったすき焼きテイストのキッシュ!は、「ならまち菓子工房 プティ・マルシェ」から。
古代米おはぎは、「うまいもん鬼太郎」から。
甘いかぼちゃを使った創作バームクーヘンは、「鹿野ろくや」から。
おすすめのお店として、若草カレー本舗、和食屋 八寶、大和路 近鉄奈良駅前店、がそれぞれのお店で準備されています。
どうぞお出かけください。
お招きでみんなで拝観に行く機会の日にはあいにく所用で行けませんでしたので、先日訪ねてきました。常設展はカメラOKでした。
そもそもこのあたりは、布留遺跡など複合的な遺跡だったということです。
1階2階は常設展で世界やアジアや日本の古い時代(縄文時代から近代まで)、天理教が海外に広がった南アメリカなどの貴重なものがならべられています。
3階には、いま蹴鞠の特別展がひらかれています。(12月3日まで)桜井の談山神社の蹴鞠については、kozaさんのブログを参照ください。http://koza5555.exblog.jp/16747113/
そして、3階の別の広い部屋の常設展には重要文化財などを含むいろいろな日本、中国、韓国、エジプトや西アジアの品が並んでいました。
特に眼についたのは正倉院展でも拝見した7、8世紀のガラス、陶器などです。素晴らしい収蔵の品です。
せっかくのところですからぜひ多くの方に訪ねていただきたいと思います。入場料大人400円。
天理大学附属参考館のhpです。→http://www.sankokan.jp/
奈良豆比古神社でも祀られている志貴皇子のことを以前に書いていましたのでアップします。
奈良市高畑町から東へ田原の里は車でよく通ります。志貴皇子のご陵があることは知っていましたが、この夏はじめて立寄りました。
宮内庁の看板でも、「春日宮天皇 田原西陵」とあります。
Wikipediaによれば、
壬申の乱により、皇統が天武天皇の系統に移ったために、天智天皇系皇族であった彼は皇位継承とは全く無縁だった。
政治よりも和歌等文化の道に生きた人生だったが、薨去から50年以上後の宝亀元年(770年)に、聖武天皇の娘井上内親王を后とし、母系では天武系となる他戸王を儲けていた六男の白壁王が、皇嗣に擁立され即位した(光仁天皇)ため、春日宮御宇天皇の追尊を受けた。
かくして皇位に一切執着せず清らかな人生を終えた彼の系統が現在まで長く続く事となった。
御陵所の「田原西陵」(奈良市矢田原町)にちなんで田原天皇とも称される。
清澄で自然鑑賞に優れた歌い手として万葉集に6首の歌を残している。
代表的な歌として、「石(いは)ばしる垂水(たるみ)の上のさ蕨(わらび)の 萌え出づる春になりにけるかも」
(岩の上を流れる滝の上に蕨が芽を出し、春を感じることよ)が有名。
その歌碑もすぐ入口に立てられていました。
奈良坂の旧道を南へ、鹿せんべいの作られているお店の5つのうちの1つである武田商店を外から見学、植村牧場で休息。そして有名な般若寺の国宝の楼門を外から見学して、奈良少年刑務所へ。明治41年に建てられたレンガ造りの現役の刑務所です。ジャズピアニストでこのほど叙勲された山下洋輔氏のおじいさんの設計ということでも近頃有名です。
そして、北山十八間戸にいきました。鎌倉時代につくられたハンセン病患者のための施設です。ちょうどこの日はいつもは閉まっている扉を開けてもらい、南からも見ることができました。
会津八一の歌で有名な夕日地蔵も見ました。
ならざか の いし の ほとけ の おとがひ に こさめ ながるる はる は き に けり
そこからはじめて通る階段状の小さな道を通って、若草中学校のグランドへ。このあたりが、1560年ごろできた多聞城跡です。東大寺大仏殿など奈良の町が良く見える高台で、なるほど城にはふさわしい場所です。はじめての瓦屋根のお城だということでした。とてもきれいな城であり、織田信長もこれを真似て安土桃山城をつくったということでした。
そのあとは、多門町を通って昼過ぎ、聖武天皇陵、光明皇后陵へ。
きたまちの一条通より北を歩きましたが、見どころの多い道でした。また、柿の実がなっていたり秋を感じることでした。ことしの奈良まほろばソムリエの試験では、般若寺を中心として一日を案内するコースを400字で書け、という問題がでましたがその具体例といえるようなコースでした。(おしまい)
奈良市平城東中学校区の地域教育協議会というところの主催で、奈良きたまち歴史ウォークがありました。家族は事前に申し込んでいましたが、私も良い天気に誘われて参加してきました。参加140名あまりというたくさんの参加で、ボランティアガイドの朱雀の会のガイドさん6名による、6グループに分かれて歩きました。
9時20分頃、佐保台小学校を出発、奈良県と京都府の府県境の小川沿いの田園地帯を歩き、元正天皇(奈良時代の2人目の天皇)の陵、そしてそのお母さんであり、奈良に遷都された元明天皇の陵を参拝しました。このようなところに、ふたりの女性の天皇の陵があることを始めて知った地域の住民の方は驚かれていました。
山城と国境いなる田園を歩きて元明元正陵へ(毎日やまと歌壇)
そして奈良阪町の奈良豆比古神社(ならずひこ)へ。ことし20年ぶりに式年遷宮されて、りっぱに整備されていました。
そして、神社の裏の、大きな樟(クス)の木を拝見しました。見事な大木で皆一様に驚かれていました。私も知識としては知っていましたがはじめて拝見しました。以前は大樟の木への行き方を表示されていなかったように思うのですが、今回はわかりやすく、矢印で表示されていました。
右上は、珍しい葉っぱが金魚の形をした、椿です。
そして今回、奈良阪町にも、高札場が再建されていました。
奈良にはかつて江戸時代、橋本町を中心として何ヶ所か高札場があり、奈良阪にもありましたのでこのたび復元されたそうです。(参考までに左下、三条通橋本町に1984年に再建された御高札場です。)奈良阪町の高札場は木の香りも新しいものでした。新しい見どころができました。土地の歴史を復元されるのは素晴らしいことだと思います。
「天平グレート・ジャーニー遣唐使・平群広成の数奇な冒険」という本が出ました。著者は、奈良大学・文学部国文学科教授の万葉学者、上野誠先生です。
奈良時代の「遣唐使」のオペラのあと、話が飛び込み年月をかけて小説にしたものだそうです。
早速読み始めると、グイグイと引き込まれ、2晩で読み終えました。史実をもとに、遣唐使のこと、奈良時代のこと、唐をはじめとする国々のこと、皇帝や天皇のこと、役人のこと、あちこちの人々のこと。正倉院に伝わる香木「全浅香ぜんせんこう」のこと。縦横に余すことなく、描かれています。
巻頭の著者の言葉、「期せずして運命の人となり、世界史上稀有の旅行者となった遣唐使判官・平群朝臣広成(生年不明~753)-本書はその広成と正倉院宝物、全浅香との奇縁を語る物語である。物語を通じ、万葉びとの思惟の一班を、かすかながらにでも、感じ取ってもらえたならばー浅学の筆者これを無上の喜びとする。」
講談社。定価本体2500円(税別)
天神橋筋商店街は、日本一長い商店街ということで売り出されています。もう30年くらい前になるでしょうか、天三カルチャーセンター(空き店舗を利用した商店街の中のカルチャーセンター)を見学に行き、同業の陶器店の土居年樹さんにお話を伺いました。
その後土居年樹さんは商店街の理事長さんであり、日本有数のまちづくりの実践家であり、大阪の商店街の指導者であり、観光カリスマとして活躍されています。そして、落語協会と天満宮と商店街などが一体となって、6年前、落語の定席である、天満天神繁昌亭を造られました。
今まで何度か繁昌亭の前までは行ったのですが、事前予約が必要なほど一杯で、オープンして6年経った今まで行ったことがありませんでした。
このほど大学時代からの友人の素空氏とその友人のメルヘンの皆さんのお誘いではじめて聞きにいくことができました。
始まると撮影お断りですから、開演前の様子です。聞いていたとおり天井には寄付をされた方の名前入りの提灯がたくさん下がっていました。
昼席は1時から4時過ぎまで上記10名の落語家や講談師の話でした。それぞれに芸達者な話し家さんでした。そして何より、生の寄席の素晴らしさを感じました。
その後、繁昌亭に土地を提供されているという、すぐそばのテンテン天満の天神さま、をお参りしました。
ひさびさに笑い、ゆっくりした一日となりました。
繁昌亭のhpです。→http://www.hanjotei.jp/
奈良市もちいどのセンター街、北入り口(三条通り)から入って50mの、新しい商業施設「きらっ都・奈良」入り口にある新しいカレー専門店「若草カレー本舗」です。
毎日おすすめのカレーがありますが、きょうは辛口の若草カレーをいただきました。700円。
奈良には若草山がありますから、名前はそこから来ているのかもしれません。ほうれん草で若草を表しているとか。このカレーはかなりおいしく常連の方も多いようです。無論はじめて来られる方にも好評です。
ご主人は、カレー専門店を開かれる前は、大阪の日調という料理学校の中華料理の先生であったそうですが、新しくカレーを開発されたそうです。
毎日ランチ営業 午前11時30分~14時30分。
喫茶営業 午後14時30分~17時30分
ディナー営業 17時30分~午後22時まで
(ラストオーダーは21時30分まで)
木曜日のディナーがお休みだそうです。
お店のhpです→http://www.wakakusacurry.jp/
10月9日から毎週火曜日夜20時から20時15分まで(再放送:毎週土曜日22:00~22:15)、ならどっとFMでは、「なら記紀万葉ファンタジア」という番組をされているそうです。ラジオの78.4MHzからだけでなく、インターネットで全国で聞くことができるということです。すこしおそくなりましたが全12話の話ですからまだまだ続きます。
そして、CMをはさんで、「kiki万葉の森」という番組があります。 毎週火曜日20:15~20:30(再放送:毎週土曜日22:15~22:30)です。ラジオドラマ放送後、ドラマのお話に登場する記紀の神々、ゆかりの人物や地域をご紹介しますとのこと。 羽原あき子さん担当。
ならどっとFMのhpです。→http://www.nara.fm/index.html
ならどっとFMのインターネット番組→http://www.jcbasimul.com/program/area06_a03.html
毎週火曜日20:00~20:15(再放送:毎週土曜日22:00~22:15)
奈良在住の脚本家、小野小町さん(日本劇作家協会会員)が、脚本・演出を手掛けるラジオドラマ。三輪山や葛城一言主神社など奈良が舞台となった記紀ゆかりの地や神々を盛り込み、「古事記」の世界を身近に感じてもらえる物語である。劇団小町座が演じる、女性ならではの新しい「口伝」の形に注目したい。オリジナルソングもどうぞお楽しみに!
昼のお弁当の後、井寺池の歌碑を訪ねました。
有名な川端康成さんの古事記のヤマトタケルの歌は、川端さんがこの場所にという指定の後亡くなられたので毛筆ではなく、川端さんがノーベル賞受賞の時の「美しい日本」の原稿のペン字で彫られているそうです。「大和は国のまほろばたたなづく青がき山ごもれる大和しうるわし」
下の左の写真は井寺池から三輪山を望む。右下の写真は井寺池から箸墓古墳から奈良盆地を望む(この日はやや遠方が霞んでいました)
そして茅原大墓古墳を 南に見て、慶運寺へ。ピンク色の凝灰岩のかつての石棺の蓋は仏様を彫って再活用されています。そして本堂裏の古墳です。蜂が飛んでいましたので近くまでは行きませんでした。
そしてホケノ山古墳に皆んなで登りました。少し高くなるだけでずいぶん遠望がよく見えました。3ヶ所に埋葬あとがあったとのことです。
環緒塚(おだまきづか)を見て、三輪の由来を聞き、
箸墓古墳へ。
ここで一首
まほろばのソムリエガイドと共に行く黄金田まぶしき山の辺の道
(毎日新聞奈良版 小谷稔先生選 やまと歌壇掲載歌)
最後にJR巻向駅構内では、纒向遺跡と大型建物跡の説明を受けました。今後の解明が楽しみです。そしてまほろばソムリエのNさんのガイドはくわしく、参加者にはいつものウォーキングとは一際違い、とても良かったと好評でした。私もそう思いました。I くんもお世話様でした。どうもありがとうございました。この日友人の万歩計は17000歩くらい。10キロ強のウォーキングだったでしょうか。本日のコースはtetsudaさんの以下の記事も参考になります。→http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/feb1e4fb16b7d8164e20e7e841072765(おしまい)
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