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2012年7月22日 (日)

多賀城市へ          1

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奈良市の中心市街地のまほろば会の一行9名で多賀城市、松島をたずね、仙台市に宿泊し2日目は世界遺産の平泉町をたずねました。

宮城県の仙台市のお隣、多賀城市は奈良市と友好都市です。古く奈良時代からのつながりです。

昨年3.11の大震災ではたいへんな被害を受けられました。もちいどのセンター街では昨年夏のイベントで募金を集めたり活動を行い、まんとくんと奈良女子大生とともに多賀城市を訪問しました。

その後菊地多賀城市長さんがもちいどのセンター街にお礼にこられ、また多賀城市へもおいでくださいといわれておりました。また、「遠の朝廷」(とおのみかど)というお酒をつくられたり、奈良市ともいろいろなつながりが多い多賀城市です。

公務多用の中、菊地市長さんから市役所内で現状や多賀城市のことをお話いただきました。

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その後、藤原市議会副議長さんのご案内で、多賀城市の南部の津波被害のあった工場や住宅が多いところをご案内いただきました。ちょうど砂押川の堤防あと少しのところで、北部への津波はせき止められたということです。

当時ガスの基地など数日間は燃え続けたり、多くの住宅や商業施設や工場に大きな被害があったそうです。

とても良い響きで有名な文化ホールも被害があったということです。復旧工事が急ピッチですすめられ、残がいもかなり処理が進められていました。決壊したという砂押川の堤防の復旧工事が進められていました。東日本大震災の多賀城市の記録のDVD(35分)をいただきましたので、バスの中で参加の皆さんと手を握り締めて拝見した次第です。

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多賀城市は奈良時代の神亀元年(724)に陸奥の国府及び鎮守府として置かれ、約200年もの間、東北地方の政治・軍事の中心地でした。

大伴家持も晩年、多賀城へ高官として赴任しています。

大伴の遠つ神祖の奥津城はしるく標立て人の知るべく

という歌を万葉集に残し、多賀城で亡くなったと伝えられています。

発掘作業も進められていました。副議長さんには多賀城碑の説明など熱心にご案内していただきました。

多賀城府登りて広く見はるかす大地震のあと立ち直る町(毎日やまと歌壇)

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多賀城市のhpです→http://www.city.tagajo.miyagi.jp/

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