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2012年3月13日 (火)

光仁天皇陵へ、北浦定政翁の墓へ(奈良市内の奈良時代の天皇陵参拝へ4)

つぎに中心市街地から車で20分あまり、奈良市田原町の光仁天皇陵へ行きました。GOOGLEの地図

大安寺の河野貫主が導師を務められ、読経と焼香が行われました。市街地に比べ、数百メートル高いところにありますので、風がひときわ冷たく感じます。

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宮内庁の職員の皆さんは、軽トラックでご案内していただいています。

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そして光仁天皇陵と向かい合うように、江戸時代、平城宮跡を保存した北浦定政翁のお墓があり、同じく読経と焼香を行いました。ここにあることを初めて知りました。

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田原に来て思い出したこと。

田原は、お茶の名産地です。

そしてすぐ近くには、古事記の編纂者の太安万侶のお墓があります。茶畑で偶然30年ほど前に見つかりました。発見のニュースとともに、すぐ見学に行ったことを思い出します。いまはきれいに整備されているそうです。

また車ではよく通りかかるのですが、春日天皇とあとで名づけられた、志貴皇子のお墓もあります。志貴皇子は、万葉集にも秀歌を残していることでも有名ですし、光仁天皇のお父さんであり天智天皇の息子ということです

釆女(うねめ)の 袖吹きかへす 明日香風 都を遠(とほ)み いたづらに吹く  志貴皇子 万葉集 巻第1-51
ちょうど今の季節の歌ではないでしょうか。
石(いは)走る垂水(たるみ)の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも

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コメント

3月10日は平城京遷都の日ですね。(旧暦では2月10日)毎年この日に開催の「奈良朝時代天皇陵参拝行事」お忙しい中ご参列いただき、ありがたく感謝しお礼申し上げます。さっそく記事にもいただき拝読いたしました。
仁正(にんせい)皇后名は私も知りませんでした。聖武帝のご崩御後2年してから「仁正皇太后」をお名乗りになったので、明治時代の御陵整備からこのように表記されたようです。(奈良国博の西山先生に伺いました)

長岡光彦さま。コメントありがとうございます。また先日はお世話になりました。
わたしも時々地図で、仁正皇后と書いてあるのでなぜかなあと思っていました。現地の石碑にもはっきり書いてあるので、ご参加のお坊さんのひとりが、検索でその場でしらべていただき、知った次第です。
ではまた、よろしくお願いします。

わたしの東京時代の友人は、北浦定政翁の直系で、平城宮跡資料館がオープンした時には、来賓として呼ばれたそうです。東京時代は、気にもとめなかったけれど、たいへんなことなのだと、奈良に来てからやっと気づきました。

北浦定政翁の尽力があってこその、いまの平城宮跡の姿。みんなが守ってきた大切な草地です。2012年9月25日、国交省がいきなり、この草原と湿地を埋め立て、土セメント舗装をする工事をはじめて、びっくりしています。なんとか、草地を守りたいとがんばっています。

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