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2011年7月21日 (木)

在ドイツの友人からの「女子サッカー」のレポート

まだ興奮冷めやらぬ、日本女子サッカーのW杯優勝です。

わたしのつたないブログに、ドイツのベルリン在住の同級生の女性Yさんからのレポートの 転載OKもらいましたので、紹介します。

毎日新聞やまと歌壇(8月4日)より

アメリカにドイツに我の友ありて女子サッカーでメールとびかう   重博

----- Original Message -----

すっかりご無沙汰しています。「ご指名」により、ベルリンからの報告いたします。

6月27日以降、「なでしこジャパン漬け」になっていました。まず27日、ボーフムで行われたニュージーランド戦。ベルリンから列車で約4時間の小さな大学町ですが、かつてはルール地方の一都市として重要な役割を果たしたところです。ここではかつて小野信二がプレイしました。昨シーズンはチョン・テセがプレイしていたところです。この日は、ドイツが最も暑かった日で、気温は36度!明るい日差しの中、きっと冬のニュージーランドから来た選手には辛いかも、などと思っていました。見事な宮間選手のゴールで得点を上げた日本が、1点を入れられたものの最後まで圧倒していました。それにしてもニュージーランドの選手は、縦も横も日本人選手の1,5倍はありそうな感じ。

7月1日にはレーバークーゼンでメキシコとのゲームを観戦。

ベルリンからデュッセルドルフ、そこから乗り換えて約20分。ボーフムよりも大きなスタジアム、スポンサーはバイエル社です。それはともかく、この試合はひたすら澤さまさま、ハットトリック!その次の新聞に、ドイツチームの監督のコメントが載っていたのが、今になると印象的に思いだされます。「日本チームは、1対1のボールの奪い合いで今までは負けていたが、今回はそれを見事に克服していた。日本と当たるチームは、このチームには十分警戒しなければならない!」とこの時点で言っていたのです。

7月5日までデュッセルドルフにいたため、5日に対戦の行われたアウグスブルクまで行は行けませんでした。しかも5日の夜は用事があって、テレビ観戦もできず、翌日の新聞のニュースで敗戦を知りました。イングランドが、「準々決勝では絶対にドイツと当たりたくない!」ということでした。というわけで、唯一の敗戦だったイングランド戦は全く見ていません。

さて問題のドイツとの準々決勝。

当日のベルリンの大衆紙には「日本をマキズシにしてやる!」という見出し。テレビでも、新聞でも、どこを見てもドイツが勝って当たり前という前評判。こういう大事な試合のときは、ほとんどのレストランが店の前や中でテレビ中継を映すため、早くからレストランの席取り合戦が始まるのですが、ドイツが勝つのが当たり前という思いがあったのか、午後7時を過ぎてもレストランではのんびりとした雰囲気。もし日本が勝ったら、叩きだされそうな気がしたため、自宅で静かにテレビを見ることにしました。ゲームが始まってからずっと、ドイツの攻勢が続きますが、ずっとしのぐ日本。ときどきドイツの度肝を抜くような鋭い切り込みでゴールを脅かし、何となくドイツにとって嫌な雰囲気になってきました。しかも、開始直後に膝を負傷した選手の退場が大きな影を落としています。監督の顔がだんだん厳しくなっていくようです。

後半も日本がしのいで、延長戦に突入。ここでドイツのテレビの解説者は、海堀選手がすごいと言い始めました。さらに、日本はひょっとしたらとてつもなく強いのではないか、みたいなコメントが混じり始めます。延長戦の後半、はっとしたスキをついて出た澤選手のスーパー・パスに見事に角度もないのにゴールを決めた丸山選 手。思わず近所迷惑を顧みず大声を上げてしまいました。それから試合が終わる間際までのドイツの怒涛の攻撃。ゲームが終わってから、ずっと2,3日、ドイツはお通 夜のようでした。でも、すぐに日本に対する賞賛の声が上がり、ドイツチームの監督は更迭を逃れ、フランスとアメリカでもしアメリカが勝っても、日 本にはドイツと同じように苦戦するだろうという声が強くなりました。

さて、7月17日は自宅でテレビ観戦するつもりでいましたが、金曜日に今回のワールドカップのドイツ国内スポンサーであるドイツ鉄道の広報担当の知人が、「ひょっとしたらフランクフルトに見に来る?」という信じられない誘いをかけてくれました。こういうとき、仕事がないのは良いですね。日曜日、電車に飛び乗って、いざフランクフルトと思いきや、乗り換え駅のライプツィヒを出た途端、機関車の故障でいつ動くかわからないという車内放送。倒れそうになりました。約1時間停車後、電車が動き出し、フランクフルトに19時半に到着。何とかスタジアムに到着したときには、両国の国歌が流れています。スポンサー席の入口を必死に探し、えっちらおっちら階段を駆け上がっている最中も、スタジアムから轟々という歓声。多分アメリカが攻撃しているのだろうと思いつつ、やっと10分遅れで着席。もうこれだけで十分心臓に悪いのですが、フィールドを見ると白いユニフォームが圧倒的に攻めています。心臓パクパクで見ていると、どうやらドイツ戦のときと同じで、アメリカが勝利の確信というプレッシャーを感じているとしか思えません。すべてのチャンスをつぶしていくうちに、日本チームがだんだんと攻撃を組み立てていきます。前半戦をクリア。

後半戦も攻撃はアメリカですが、流れは日本という状態が続きますが、とうとうアメリカが最初の得点をしました。このとき、なぜか日本は負けないと思いました。確かにスタジアムの大歓声はアメリカの勝利を確信しているのですが、なぜか日本チームが冷静で、すごい闘志を感じさせます。すぐに日本が点を取り返し、1-1。延長戦に入ったあとも、同じ状況。アメリカが得点したときは、心臓が破けました。ところが、すごい!!日本の神業の1点!!倒れ落ちるアメリカのキーパー。すごいショックだったのでしょうね。

PK戦では、逆に日本の勝利を確信しました。遠く離れているため表情は見えませんが、リラックスしたムードが漂っていました。キーパーはゴールを狙わせないという自信を見せていました。それがあの結果になったのだと思います。

その後の授賞式、場内の雰囲気は忘れられません。結局、午前1時半ごろまでスタジアムにいました。日本選手が乗り込むバスがスタンバイしていましたが、どれくらい時間がかかるのかわからないので、 残念ながらホテルに戻りました。ドイツ・チームも日本が勝って満足したようです。アメリカチームがオバマ大統領に応援を要請したとかいうニュースも見かけましたが、彼は来ませんでした。

以上、長くなりましたがドイツでの女子ワールドカップなでしこジャパン体験記でした。いまだに興奮冷めやらずです。最後まで読んで下さった方、ありがとうございました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

以上です。Yさんありがとうございました。

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コメント

VIVA Nadesiko!

tettejijiさん。コメントありがとうございます。残暑お見舞い。乞うご自愛。

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