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2011年7月31日 (日)

奈良国立博物館へ 特別展は8月28日までです。

Pict0001 Pict0003 奈良国立博物館では現在、2つのすばらしい展覧会が開かれていますので、暑い昼下がり出かけてきました。館内は涼しくて快適です。2つの特別展に加えて、なら仏像館もすばらしく思いました。なら仏像館も大幅展示換えのため「※9/13(火)~10/2(日)の間、なら仏像館と青銅器館は休館いたします」とのことです。

●「天竺へ~三蔵法師3万キロの旅」

平成23年7月16日(土)~平成23年8月28日(日)

すばらしい絵巻物を何巻も拝観できます。総延長何メートルでしょうか。

「初瀬にますは与喜の神垣
-與喜天満神社の秘宝と神像-」

平成23年7月16日(土)~平成23年8月28日(日)

與喜天満神社は、奈良県桜井市初瀬の与喜山(天神山)中腹にあり、天神(菅公)を祀る天満神社として、また山麓の初瀬川を挟んで対岸に位置する長谷寺の鎮守として、長く人々の信仰を集めてきました。本展は、この與喜天満神社の歴史と文化を、伝来の社宝とともに紹介するもので、特に、ふだん本殿に祀られている天神坐像(鎌倉時代)は、今回が初公開となります。

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また、秋の正倉院展のスケジュールが発表になりました。

特別展

第63回 正倉院展

平成23年10月29日(土)~平成23年11月14日(月)

天平の息吹を今に伝える正倉院宝物。千年の時を経て、なお色褪せぬ鮮やかな輝きを、錦秋の奈良でじっくりとご堪能ください。

2011年7月30日 (土)

震災から4ヶ月、被災地からのレポート

東日本大震災から4ヶ月あまりたちました。息長い支援が必要だと思います。私も機会があれば現地に行きたいのですがまだ行くことができていません。昨日は自衛隊京都大久保基地の施設隊の報告を聞きました。また、まちづくり協会の三橋先生のレポートが届きました。了解を得ましたので以下紹介します。

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7月 16 日( 土)・7月 17 日(日)SC経営士会の仲間と、東日本の被災地に赴きました。行程は、
  16日 夕  盛岡着・・事前ミーティング
  17日6:30盛岡発・・宮古・・山田町・・大槌町・・釜石・・盛岡着18:00でした。

■7月 16 日(土) 事前セミナー 17 :30 ~18 :30

1.  復興食堂活動報告を同事務局福井誠司さんにお聞きする。

・311震災からしばらくの間、支援物資の需給調整機能がなかった!
(行政に届けても、すぐ必要なところへ配れない)
--支援物の集荷・配分・ロジスティクス機能がなかった。

・ 行政と協調を考えずに、自分たちにできることで、出逢い・笑顔の場をつくり継続的な活動を開始した。  それが「復興食堂」↓
http://xn--cksx1ph84aidt.net/top.html

※ 支援物資の集荷・配分を、誰が行うのか曖昧だったことで多くの混乱を来たした。
※ 地元で自分たちでできることは、自己完結できる業務だった。普段からのネットワーク・連携が効果を発揮した。

2.三陸に仕事を!プロジェクト 「浜のミサン ガ・環(たまき)」について
・ 仕事を失ったお母さん達が 、触り慣れた「魚網」を使って
浜の ミサンガ ・環を作り 販売 するという企画。

・ 「環」の PV (120 秒)をモニターで流し、 制作の様子を観ていただくと共に、大槌町出身で テーマソング を 歌うRIA +ノリシゲの「歩きましょう」を紹介 ↓
      
http://www.sanriku-shigoto-project.com/
  ※ 浜のお母さんたちの笑顔が素敵です。

このプロジェクト、すばらしい被災地応援の仕方ですね。
雇用の大切さを実感、私が購入した「浜のミサン ガ・環」の製造番号はいわて・釜石 007646番目でした。

■7月 17 日(日)三陸沿岸被災地視察  6:30 盛岡 発~ 17 :30 盛岡着

3.宮古市→駅周辺、末広町商店街・中央通り商店街等

開店時間前に商店街を歩く。外見はほぼ片付いている。
商店街当面は復旧だが、形状は車優先路線型そのものであり、復興・永続性のためには、今一歩思い切った決断がせまられよう。

4. 山田町→駅周辺 、なかよし公園商店街
・市街地津波被害広大、JR山田線駅舎・線路等流出
・WFP 国連世界食糧計画が大型仮設テントで
「なかよし公園商店街」設置

5. 大槌町→「三陸夢会議」参加、復興食堂視察
(会場:旧パーラールート 45 )

「三陸夢会議」傍聴記!!!!!!!
三陸夢会議。みんなで夢を語りましょう!

・ 夢会議が開催された大槌町は まだ瓦礫の撤去も終わっておらず、建物躯体がやっと残ったパチンコ店跡で「三陸夢会議」が開催されました。
     
※ 「三陸夢会議」に参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
■ 大槌町は、死者・不明者計1,700人以上を出している。
■ 友人の棺に、花1本も手向けられない悲しい体験談等も多く聞く
■ 三陸夢会議参加者の不撓不屈の精神に本当に敬意を抱く。
■ 私自身の非力に悲嘆一入。

広田 純一 氏 (岩手大学 農学部教授)司会 のもと下記各氏の話を聞く。
過酷な経験の中で、夢に向かって進む人間の力強さを強く感じる。

■大槌町パネリスト 3名
◇臼沢 良一 さん (大槌町本町)
◇柏崎 浩美 さん (大槌町安渡)
◇佐藤 剛 さん (大槌町本町)

■三陸パネリスト 4名
◇八木 健一郎 さん (大船渡市)
インターネットの魚屋『三陸とれたて市場』代表。

http://www.sanrikutoretate.com/local/
◇駒木 文恵 さん (釜石市)
◇齊藤 秀喜 さん (山田町)
◇松本 哲也 さん (奥州市)

6. 釜石市「中村屋」↓中村勝泰社長(66)・工場訪問
http://www.iwate-nakamuraya.co.jp/
・中村屋は「三陸海宝漬」で有名。(従業員63名)
津波で海岸の倉庫・在庫など全滅(施設・在庫等で7億円の被害)
・ 中村社長は3月11日11:00 両石湾内で地元の漁師さんとテレビ取材に応じていた。

その内容:
・三陸の海は宝です。
・海を幸を扱う苦労は、自然との闘いでもある。
風雨・地震・津波・・そう語っていた4時間後に大津波!
・大津波のあと、閉店も考えたが、漁師の仲間に励まされ、
復興のスタートを切る。
・漁師の仲間・・・これが現実と、笑って受け止める強さ。

東日本大震災被災地の一部にお伺いして、現実の厳しさに私自身は打ちひしがれました。こんなにショックを受けたのは初めてです。

被災地でお会いした多くの方々、また被災者全員の一日でも早い復興を祈念し、また私自身ができることは微小であることを自覚しましたができることをしっかり行って参りたいと思っています。

                2011年7月28日

特定非営利活動法人まちづくり協会
商業・まちづくり研究所
三橋重昭

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三橋先生、臨場感あふれるレポートありがとうございました。

♪かわいい魚屋さん

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すこし前に、いつもの野村さんご夫妻からひさびさに届きました。かわいい魚屋さん、です。切り絵などでうまく表現されています。

2011年7月29日 (金)

話題のお店、樹樹(じゅじゅ)へ

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もちいどのセンター街から元林院町に抜ける、狭い「四ノ室の辻子」という路地にあるお店です。このほど早や開店14周年を迎えたお店です。夕方5時から夜は11時まで。もとモデルのゆきこさんと若いアルバイトの女の子で切り盛りされています。電話0742-27-6121

hpのコピー文は

「樹樹は創作料理レストランです。奈良のもちいどの商店街

ら、歴史を感じさせる細い路地へ入っていくと樹樹がありま

す。樹樹は美味しくヘルシーなベジタリアンメニューをご用

意。リラックスした時間をお過ごしください。 Jyu Jyu is a

Japanese style ...」と。

お酒は、ビール、ワイン、ウィスキー、ジン、焼酎、日本酒の地酒、などいろいろと豊富。

食べ物は肉はありません。ヘルシーな創作料理ばかり。

写真は毎日変わる手作りお通しです。

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以前、「あをによし鹿男」の撮影の頃、女優さんらスタッフの皆さんに遭遇しました。日頃は地元の人に、旅の人、時には外国の人、そして若い女性の方も気楽に来られています。奈良国立博物館の先生に新聞記者氏に、お坊さんやいろんな人々そして近くの店主らも顔をだされ、お客さん同士の会話も楽しみです。奈良の情報や出来事が飛び交っています。

素敵なhpもありますので、くわしくはそちらをご覧ください。そして「鳥」をクリックしてください。

http://www.jyujyunara.com/jyujyu/

2011年7月28日 (木)

藤ノ木古墳へ

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国道25号線の斑鳩町役場の北、法隆寺の西へ500mのところに藤ノ木古墳がありました。内部のきれいな装飾品は以前から見ていますが、古墳ははじめてでした。きれいに整備されていて円墳のまわりをゆっくりと歩くことができます。また石室内部ものぞきこむと電気がついて奥の方に見ることができました。近くには資料センターもあるそうです。

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2011年7月27日 (水)

沖縄の戦後と女性のくらしー古都奈良の記憶から祈りをこめてーという展覧会

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7月23日から8月7日まで(9時半から夕方4時半まで)奈良女子大学記念館(重要文化財)の2階では、沖縄の戦後と女性のくらしー古都奈良の記憶から祈りをこめてーという展覧会が開かれているという案内いただきましたので紹介します。

7月30日(土曜日)午後2時から5時までシンポジウムもひらかれるそうです。

いずれも入場無料。

チラシは以下できれいに見ることができます。http://www.nara-wu.ac.jp/news/H23news/110723.pdf

龍田神社と金剛流の石碑へ

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平群町から法隆寺方向へ行き、竜田川を東へ渡ると、聞いたことがある龍田神社がありました。

また境内には能の金剛流の発祥の地の石碑がありました。猿楽の坂戸座からはじまったそうです。

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(写真はクリックすると大きくなります)

2011年7月26日 (火)

「遷都1301年今こそ奈良へ」

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先日会合で、三笠温泉にいきました。夕方の景色です。すばらしい景色です。

しかしことしは震災の影響やら自粛やら、奈良の宿泊が少なく、来る人も少なくとのこと、どうぞ奈良へきて、楽しんでください。ことしはいろいろなところが混んでいなくて、かえってチャンスです。

「遷都1301年今こそ奈良へ」

hp「遊景の宿、平城」はhttp://heijo.co.jp/

2011年7月25日 (月)

24日テレビは地デジ化へ

Scimg5768 7月24日正午をはさんでScimg5769

地上デジタル化になりました。翌25日から、アナログ画面は、停止になったとのこと。

Scimg5781 砂嵐画面になりました。(画面はNHK)

でも、これだけ大量のテレビが使わなくなり、おまけにDVDなどのアナログはほぼ使えなくなったのは膨大な損失のようにも思えます。アナログ→デジタル→その後また何かになるのでしょうか?

映像も8ミリ→ビデオ(しかもベータとVHSがあった)→DVD→ブルーレイと変遷も激しいものがあります。

8月2日から7日まで、写真展「奈良の町・奈良の人」〜町の記憶・残したい風景〜

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8月2日(火曜)から8月7日(日曜)まで、写真展「奈良の町・奈良の人」〜町の記憶・残したい風景〜という写真展が3ヶ所であるそうです。

01、名勝大乗院庭園文化館では、遷都1250年およそ50年前の奈良市内の風景。9時から17時。

02、奈良町物語館 17年前に「好きな奈良・残したい風景」で募集された写真展 10時から18時。

03、ボリクコーヒーでは、桂修平さんの奈良の日常風景の写真展。  12時から20時。

であるそうです。これは楽しみです。

奈良市写真美術館http://www1.kcn.ne.jp/~naracmp/とともに見に行くのがおすすめです。

また、8/2(火曜日)は18:00~奈良町物語館でオープニングイベント、麻生優作LIVE(ピアノ弾き語り)も実施しますのでぜひお越しください!とスタッフのTさんからメールが入りました。

別にマニアックプランとして
8月15日、奈良大文字火床見学と送り火鑑賞ツアーも企画しました

http://narashikanko.jp/news/tour/index.html
ぜひこちらもよろしくお願いします!とのことです。

どちらもお問い合わせは、奈良市市民連携企画実行委員会(奈良市観光振興課)TEL0742-34-5135へ。

2011年7月24日 (日)

花芝商店街地蔵盆・マイケルジャクソン・まんとくんと蓮花ちゃん

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月23日午後4時ころから奈良市花芝商店街では地蔵盆が行なわれました。

昨年に続いてマイケル・ジャクソン ダンス=トリビュートin奈良がおこなわれました。

金色のマントというスペシャルマントでまんとくんが登場、ことしは蓮花ちゃんもつれてきました。まんとくん、たいへんな人気でこどもたちにかこまれたりしていました。

商店の皆さんによる屋台もたくさんでていて、奈良女子大の先生も焼き鳥を焼く手伝いなどされていました。

またサンバチームも参加もりあがっていました。

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様子を伝えるニュースがありました。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110724-00000000-minkei-l29

纒向遺跡の謎「邪馬台国を語る」

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先日友人からお誘いを受けて、講演会にいきました。桜井で、纒向遺跡の謎「邪馬台国を語る」という講演会です。

最初1時間、NHKスペシャルなどで見た、纒向遺跡の発掘を指揮しておられる、桜井市教育委員会文化財係長の橋本輝彦さんのお話。

「纏向遺跡からは農機具の比率は5%とほとんど出てきません、15%~30%の確率で奈良盆地以外の海外や国内の土器が出ています(他から纒向にきていること)、アフリカ原産の技術のいる染物のベニハナの花粉が出ていることや、東西南北の軸線をそろえた大型建物があることが重要です」といわれました。そして、纏向は「倭の中心、邪馬台国(やまとこく)である」といわれ、九州説は場所が具体的にどこというのが言う人によってまちまちである、といわれました。

そしてあとの1時間は、橋本さんと、橿原考古学研究所の前調査部長の寺澤薫(桜井市纒向学研究センター設立準備顧問)さんの対談でした。

寺澤さんのお話の中で「最近、大和王権の最初の中心が纒向であった、ということに反対する人はいなくなってきた。」と語っておられました。寺沢さんは「倭国は東海から九州に至る」とし、「その首都は邪馬台国で纏向にあり、それは大和王権に直結する」といわれました。

「2世紀末までは北部九州(伊都国、那国)が優位だが、後漢末期の混乱のなかで倭の王権の再編成が始まり、北部九州、吉備、畿内などの「共立」により卑弥呼が立てられた」といわれました。

まとめは奈良ソムリエの方のブログを参考にさせていただきました。すばらしいブログですhttp://geocities.yahoo.co.jp/gl/koza5555/view/20110717

この講演会の冒頭、主催された、奈良風景街道まほろば、が紹介されていました。hpは以下のとおりです。http://www.fukei-mahoroba.jp/

2011年7月23日 (土)

手打ちそば処、雄町

Scimg5701 (写真はクリックすると大きくなります)

JR奈良駅前(東口)の正木ビル1階奥にあるのが、そば処、「雄町」です。電話0742-26-1228、火曜日定休日。営業時間11時から15時。17時から22時(日祝は21時まで)

「雄町」とは岡山の酒米から名前は来ているそうです。二八そばでとてもおいしい手打ちそばです。

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上の写真の二品。お昼のセットはつめたいもりそばと温かいその日の小さなそば、の「夢」セットで1000円とお値打ちです。よく手打ちそばはおいしいけれど、少ないので2枚食べないと足りないということはありません。

また本日のおそばといなり3個で900円という「空」セットもあります。

メニューの一例は、もりそば700円。かけそば700円。天ざる1500円。かしわそば1000円。なめこおろし1000円。他。ビール、日本酒、焼酎、コーヒー。お酒のつきだしはいろいろ。

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読売奈良ライフ発行の「奈良 麺通」第二弾にも 3ヶ所にわたって大きく取り上げられています。http://www.ynl.co.jp/book/mentsu2/

若い大将と和服姿の若奥さん、そして昨年10月生まれた看板娘の実咲ちゃんがお待ちです。

赤子背に働くおみな多かりき今日蕎麦屋にて久々に見る  重博

そして店の奧の坪庭です。Scimg5709

奈良の街頭テレビ

昭和30年代には、奈良には街頭テレビがありました。それでそれはどこにあったのか、というのが最近の話題です。

猿沢池の街頭テレビは
ひとつは、今の時計台と五十二段の間の芝生(猿沢池のそばの道のすこし上)にあったと二人から聞きました。80才超えの長老によれば、昔そこには街頭ラジオがあったとのことですがこれは初耳です。

それと前後して、たぶん後ではないかと思われますが、猿沢交番の西の通称三角公園といっていたところにあったとのこと。これはわたしも記憶あります。
友達の兄さんも「ボナンザ」などそこで見たといっておられます。
写真は、まんぎょくの絹谷真康君のお父さんの膨大な写真にあるのではないのだろうかと想像しますが、あの幼稚園で一緒であった絹谷君も亡くなりましたのは残念です。

国鉄奈良駅前広場にもありました。O君によれば、もとの交番あたりではなかったか、とのこと。当方も広場にあったように思います。

写真は奈良の写真集4冊見ましたがのっていませんでした。

くわしいことを覚えている方、コメントいただけたらありがたく思います。

昭和20-30年代がすでに50年から60年前になりました。戦争に負けた日本が復活して高度成長にいたるころです。私たち戦後の団塊の世代が成長する時代と重なります。

写真や動画などを見ながら、また話などを聞きながら、おたがい記憶を呼び覚ませ、現在から将来につなげたいものです。

2011年7月22日 (金)

「昭和の奈良大和路」展覧会と新しい本

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奈良市写真美術館でひらかれている、奈良の昭和20年〜30年代の入江泰吉さんの写真展を見に行きました。http://www1.kcn.ne.jp/~naracmp/

以前もよく似た企画がありましたが、そのときには展示されていなかった写真もあらたに展示されていました。

昭和32年10月のもちいどの商店街 「昭和30年、県内で初めてアーケードが設けられた。雨の日でも傘をささずに買い物ができると話題になった」

もちいどの商店街の北入口付近の夜の写真です。右手には弁天堂のおもちゃ屋があり、当方の丸十松森陶磁器店があり、ひまわりという呉服と服地の店があります。左手入口には、稲田さんの下駄屋さんがあり、神戸屋というパンと喫茶店が写っています。懐かしい光景です。計算すると54年前の写真です。(奈良市写真美術館提供)

本も出版されています。

「入江泰吉の原風景 昭和20〜30年代 昭和の奈良大和路」光村推古書院株式会社発行、2000円(税別)

展覧会と共に本もおすすめです。

2011年7月21日 (木)

在ドイツの友人からの「女子サッカー」のレポート

まだ興奮冷めやらぬ、日本女子サッカーのW杯優勝です。

わたしのつたないブログに、ドイツのベルリン在住の同級生の女性Yさんからのレポートの 転載OKもらいましたので、紹介します。

毎日新聞やまと歌壇(8月4日)より

アメリカにドイツに我の友ありて女子サッカーでメールとびかう   重博

----- Original Message -----

すっかりご無沙汰しています。「ご指名」により、ベルリンからの報告いたします。

6月27日以降、「なでしこジャパン漬け」になっていました。まず27日、ボーフムで行われたニュージーランド戦。ベルリンから列車で約4時間の小さな大学町ですが、かつてはルール地方の一都市として重要な役割を果たしたところです。ここではかつて小野信二がプレイしました。昨シーズンはチョン・テセがプレイしていたところです。この日は、ドイツが最も暑かった日で、気温は36度!明るい日差しの中、きっと冬のニュージーランドから来た選手には辛いかも、などと思っていました。見事な宮間選手のゴールで得点を上げた日本が、1点を入れられたものの最後まで圧倒していました。それにしてもニュージーランドの選手は、縦も横も日本人選手の1,5倍はありそうな感じ。

7月1日にはレーバークーゼンでメキシコとのゲームを観戦。

ベルリンからデュッセルドルフ、そこから乗り換えて約20分。ボーフムよりも大きなスタジアム、スポンサーはバイエル社です。それはともかく、この試合はひたすら澤さまさま、ハットトリック!その次の新聞に、ドイツチームの監督のコメントが載っていたのが、今になると印象的に思いだされます。「日本チームは、1対1のボールの奪い合いで今までは負けていたが、今回はそれを見事に克服していた。日本と当たるチームは、このチームには十分警戒しなければならない!」とこの時点で言っていたのです。

7月5日までデュッセルドルフにいたため、5日に対戦の行われたアウグスブルクまで行は行けませんでした。しかも5日の夜は用事があって、テレビ観戦もできず、翌日の新聞のニュースで敗戦を知りました。イングランドが、「準々決勝では絶対にドイツと当たりたくない!」ということでした。というわけで、唯一の敗戦だったイングランド戦は全く見ていません。

さて問題のドイツとの準々決勝。

当日のベルリンの大衆紙には「日本をマキズシにしてやる!」という見出し。テレビでも、新聞でも、どこを見てもドイツが勝って当たり前という前評判。こういう大事な試合のときは、ほとんどのレストランが店の前や中でテレビ中継を映すため、早くからレストランの席取り合戦が始まるのですが、ドイツが勝つのが当たり前という思いがあったのか、午後7時を過ぎてもレストランではのんびりとした雰囲気。もし日本が勝ったら、叩きだされそうな気がしたため、自宅で静かにテレビを見ることにしました。ゲームが始まってからずっと、ドイツの攻勢が続きますが、ずっとしのぐ日本。ときどきドイツの度肝を抜くような鋭い切り込みでゴールを脅かし、何となくドイツにとって嫌な雰囲気になってきました。しかも、開始直後に膝を負傷した選手の退場が大きな影を落としています。監督の顔がだんだん厳しくなっていくようです。

後半も日本がしのいで、延長戦に突入。ここでドイツのテレビの解説者は、海堀選手がすごいと言い始めました。さらに、日本はひょっとしたらとてつもなく強いのではないか、みたいなコメントが混じり始めます。延長戦の後半、はっとしたスキをついて出た澤選手のスーパー・パスに見事に角度もないのにゴールを決めた丸山選 手。思わず近所迷惑を顧みず大声を上げてしまいました。それから試合が終わる間際までのドイツの怒涛の攻撃。ゲームが終わってから、ずっと2,3日、ドイツはお通 夜のようでした。でも、すぐに日本に対する賞賛の声が上がり、ドイツチームの監督は更迭を逃れ、フランスとアメリカでもしアメリカが勝っても、日 本にはドイツと同じように苦戦するだろうという声が強くなりました。

さて、7月17日は自宅でテレビ観戦するつもりでいましたが、金曜日に今回のワールドカップのドイツ国内スポンサーであるドイツ鉄道の広報担当の知人が、「ひょっとしたらフランクフルトに見に来る?」という信じられない誘いをかけてくれました。こういうとき、仕事がないのは良いですね。日曜日、電車に飛び乗って、いざフランクフルトと思いきや、乗り換え駅のライプツィヒを出た途端、機関車の故障でいつ動くかわからないという車内放送。倒れそうになりました。約1時間停車後、電車が動き出し、フランクフルトに19時半に到着。何とかスタジアムに到着したときには、両国の国歌が流れています。スポンサー席の入口を必死に探し、えっちらおっちら階段を駆け上がっている最中も、スタジアムから轟々という歓声。多分アメリカが攻撃しているのだろうと思いつつ、やっと10分遅れで着席。もうこれだけで十分心臓に悪いのですが、フィールドを見ると白いユニフォームが圧倒的に攻めています。心臓パクパクで見ていると、どうやらドイツ戦のときと同じで、アメリカが勝利の確信というプレッシャーを感じているとしか思えません。すべてのチャンスをつぶしていくうちに、日本チームがだんだんと攻撃を組み立てていきます。前半戦をクリア。

後半戦も攻撃はアメリカですが、流れは日本という状態が続きますが、とうとうアメリカが最初の得点をしました。このとき、なぜか日本は負けないと思いました。確かにスタジアムの大歓声はアメリカの勝利を確信しているのですが、なぜか日本チームが冷静で、すごい闘志を感じさせます。すぐに日本が点を取り返し、1-1。延長戦に入ったあとも、同じ状況。アメリカが得点したときは、心臓が破けました。ところが、すごい!!日本の神業の1点!!倒れ落ちるアメリカのキーパー。すごいショックだったのでしょうね。

PK戦では、逆に日本の勝利を確信しました。遠く離れているため表情は見えませんが、リラックスしたムードが漂っていました。キーパーはゴールを狙わせないという自信を見せていました。それがあの結果になったのだと思います。

その後の授賞式、場内の雰囲気は忘れられません。結局、午前1時半ごろまでスタジアムにいました。日本選手が乗り込むバスがスタンバイしていましたが、どれくらい時間がかかるのかわからないので、 残念ながらホテルに戻りました。ドイツ・チームも日本が勝って満足したようです。アメリカチームがオバマ大統領に応援を要請したとかいうニュースも見かけましたが、彼は来ませんでした。

以上、長くなりましたがドイツでの女子ワールドカップなでしこジャパン体験記でした。いまだに興奮冷めやらずです。最後まで読んで下さった方、ありがとうございました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

以上です。Yさんありがとうございました。

音声版つきスピーチ(下)

スピーチの後半、続きです。音声(13分)は下記をクリックしてください。

http://player.video.search.yahoo.co.jp/video/11a290df195e2f9c12d6352b555969e6

村上春樹さん:カタルーニャ国際賞スピーチ原稿全文(下)


 日本人はなぜか、もともとあまり腹を立てない民族です。我慢することには長けているけれど、感情を爆発させるのはそれほど得意ではない。そういうところはあるいは、バルセロナ市民とは少し違っているかもしれません。でも今回は、さすがの日本国民も真剣に腹を立てることでしょう。

 しかしそれと同時に我々は、そのような歪んだ構造の存在をこれまで許してきた、あるいは黙認してきた我々自身をも、糾弾しなくてはならないでしょう。今回の事態は、我々の倫理や規範に深くかかわる問題であるからです。

 ご存じのように、我々日本人は歴史上唯一、核爆弾を投下された経験を持つ国民です。1945年8月、広島と長崎という二つの都市に、米軍の爆撃機によって原子爆弾が投下され、合わせて20万を超す人命が失われました。死者のほとんどが非武装の一般市民でした。しかしここでは、その是非を問うことはしません。

 僕がここで言いたいのは、爆撃直後の20万の死者だけではなく、生き残った人の多くがその後、放射能被曝の症状に苦しみながら、時間をかけて亡くなっていったということです。核爆弾がどれほど破壊的なものであり、放射能がこの世界に、人間の身に、どれほど深い傷跡を残すものかを、我々はそれらの人々の犠牲の上に学んだのです。

 戦後の日本の歩みには二つの大きな根幹がありました。ひとつは経済の復興であり、もうひとつは戦争行為の放棄です。どのようなことがあっても二度と武力を行使することはしない、経済的に豊かになること、そして平和を希求すること、その二つが日本という国家の新しい指針となりました。

 広島にある原爆死没者慰霊碑にはこのような言葉が刻まれています。

 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」

 素晴らしい言葉です。我々は被害者であると同時に、加害者でもある。そこにはそういう意味がこめられています。核という圧倒的な力の前では、我々は誰しも被害者であり、また加害者でもあるのです。その力の脅威にさらされているという点においては、我々はすべて被害者でありますし、その力を引き出したという点においては、またその力の行使を防げなかったという点においては、我々はすべて加害者でもあります。

 そして原爆投下から66年が経過した今、福島第一発電所は、三カ月にわたって放射能をまき散らし、周辺の土壌や海や空気を汚染し続けています。それをいつどのようにして止められるのか、まだ誰にもわかっていません。これは我々日本人が歴史上体験する、二度目の大きな核の被害ですが、今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。我々日本人自身がそのお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、我々自身の国土を損ない、我々自身の生活を破壊しているのです。

 何故そんなことになったのか?戦後長いあいだ我々が抱き続けてきた核に対する拒否感は、いったいどこに消えてしまったのでしょう?我々が一貫して求めていた平和で豊かな社会は、何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう?

 理由は簡単です。「効率」です。

 原子炉は効率が良い発電システムであると、電力会社は主張します。つまり利益が上がるシステムであるわけです。また日本政府は、とくにオイルショック以降、原油供給の安定性に疑問を持ち、原子力発電を国策として推し進めるようになりました。電力会社は膨大な金を宣伝費としてばらまき、メディアを買収し、原子力発電はどこまでも安全だという幻想を国民に植え付けてきました。

 そして気がついたときには、日本の発電量の約30パーセントが原子力発電によってまかなわれるようになっていました。国民がよく知らないうちに、地震の多い狭い島国の日本が、世界で三番目に原発の多い国になっていたのです。

 そうなるともうあと戻りはできません。既成事実がつくられてしまったわけです。原子力発電に危惧を抱く人々に対しては「じゃああなたは電気が足りなくてもいいんですね」という脅しのような質問が向けられます。国民の間にも「原発に頼るのも、まあ仕方ないか」という気分が広がります。高温多湿の日本で、夏場にエアコンが使えなくなるのは、ほとんど拷問に等しいからです。原発に疑問を呈する人々には、「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られていきます。

 そのようにして我々はここにいます。効率的であったはずの原子炉は、今や地獄の蓋を開けてしまったかのような、無惨な状態に陥っています。それが現実です。

 原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」という現実とは、実は現実でもなんでもなく、ただの表面的な「便宜」に過ぎなかった。それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。

 それは日本が長年にわたって誇ってきた「技術力」神話の崩壊であると同時に、そのような「すり替え」を許してきた、我々日本人の倫理と規範の敗北でもありました。我々は電力会社を非難し、政府を非難します。それは当然のことであり、必要なことです。しかし同時に、我々は自らをも告発しなくてはなりません。我々は被害者であると同時に、加害者でもあるのです。そのことを厳しく見つめなおさなくてはなりません。そうしないことには、またどこかで同じ失敗が繰り返されるでしょう。

 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」

 我々はもう一度その言葉を心に刻まなくてはなりません。

 ロバート・オッペンハイマー博士は第二次世界大戦中、原爆開発の中心になった人ですが、彼は原子爆弾が広島と長崎に与えた惨状を知り、大きなショックを受けました。そしてトルーマン大統領に向かってこう言ったそうです。

 「大統領、私の両手は血にまみれています」

 トルーマン大統領はきれいに折り畳まれた白いハンカチをポケットから取り出し、言いました。「これで拭きたまえ」

 しかし言うまでもなく、それだけの血をぬぐえる清潔なハンカチなど、この世界のどこを探してもありません。

 我々日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です。

 我々は技術力を結集し、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求すべきだったのです。たとえ世界中が「原子力ほど効率の良いエネルギーはない。それを使わない日本人は馬鹿だ」とあざ笑ったとしても、我々は原爆体験によって植え付けられた、核に対するアレルギーを、妥協することなく持ち続けるべきだった。核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の歩みの、中心命題に据えるべきだったのです。

 それは広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する、我々の集合的責任の取り方となったはずです。日本にはそのような骨太の倫理と規範が、そして社会的メッセージが必要だった。それは我々日本人が世界に真に貢献できる、大きな機会となったはずです。しかし急速な経済発展の途上で、「効率」という安易な基準に流され、その大事な道筋を我々は見失ってしまったのです。

 前にも述べましたように、いかに悲惨で深刻なものであれ、我々は自然災害の被害を乗り越えていくことができます。またそれを克服することによって、人の精神がより強く、深いものになる場合もあります。我々はなんとかそれをなし遂げるでしょう。

 壊れた道路や建物を再建するのは、それを専門とする人々の仕事になります。しかし損なわれた倫理や規範の再生を試みるとき、それは我々全員の仕事になります。我々は死者を悼み、災害に苦しむ人々を思いやり、彼らが受けた痛みや、負った傷を無駄にするまいという自然な気持ちから、その作業に取りかかります。それは素朴で黙々とした、忍耐を必要とする手仕事になるはずです。晴れた春の朝、ひとつの村の人々が揃って畑に出て、土地を耕し、種を蒔くように、みんなで力を合わせてその作業を進めなくてはなりません。一人ひとりがそれぞれにできるかたちで、しかし心をひとつにして。

 その大がかりな集合作業には、言葉を専門とする我々=職業的作家たちが進んで関われる部分があるはずです。我々は新しい倫理や規範と、新しい言葉とを連結させなくてはなりません。そして生き生きとした新しい物語を、そこに芽生えさせ、立ち上げてなくてはなりません。それは我々が共有できる物語であるはずです。それは畑の種蒔き歌のように、人々を励ます律動を持つ物語であるはずです。我々はかつて、まさにそのようにして、戦争によって焦土と化した日本を再建してきました。その原点に、我々は再び立ち戻らなくてはならないでしょう。

 最初にも述べましたように、我々は「無常(mujo)」という移ろいゆく儚い世界に生きています。生まれた生命はただ移ろい、やがて例外なく滅びていきます。大きな自然の力の前では、人は無力です。そのような儚さの認識は、日本文化の基本的イデアのひとつになっています。しかしそれと同時に、滅びたものに対する敬意と、そのような危機に満ちた脆い世界にありながら、それでもなお生き生きと生き続けることへの静かな決意、そういった前向きの精神性も我々には具わっているはずです。

 僕の作品がカタルーニャの人々に評価され、このような立派な賞をいただけたことを、誇りに思います。我々は住んでいる場所も遠く離れていますし、話す言葉も違います。依って立つ文化も異なっています。しかしなおかつそれと同時に、我々は同じような問題を背負い、同じような悲しみと喜びを抱えた、世界市民同士でもあります。だからこそ、日本人の作家が書いた物語が何冊もカタルーニャ語に翻訳され、人々の手に取られることにもなるのです。僕はそのように、同じひとつの物語を皆さんと分かち合えることを嬉しく思います。夢を見ることは小説家の仕事です。しかし我々にとってより大事な仕事は、人々とその夢を分かち合うことです。その分かち合いの感覚なしに、小説家であることはできません。

 カタルーニャの人々がこれまでの歴史の中で、多くの苦難を乗り越え、ある時期には苛酷な目に遭いながらも、力強く生き続け、豊かな文化を護ってきたことを僕は知っています。我々のあいだには、分かち合えることがきっと数多くあるはずです。

 日本で、このカタルーニャで、あなた方や私たちが等しく「非現実的な夢想家」になることができたら、そのような国境や文化を超えて開かれた「精神のコミュニティー」を形作ることができたら、どんなに素敵だろうと思います。それこそがこの近年、様々な深刻な災害や、悲惨きわまりないテロルを通過してきた我々の、再生への出発点になるのではないかと、僕は考えます。我々は夢を見ることを恐れてはなりません。そして我々の足取りを、「効率」や「便宜」という名前を持つ災厄の犬たちに追いつかせてはなりません。我々は力強い足取りで前に進んでいく「非現実的な夢想家」でなくてはならないのです。人はいつか死んで、消えていきます。しかしhumanityは残ります。それはいつまでも受け継がれていくものです。我々はまず、その力を信じるものでなくてはなりません。

 最後になりますが、今回の賞金は、地震の被害と、原子力発電所事故の被害にあった人々に、義援金として寄付させていただきたいと思います。そのような機会を与えてくださったカタルーニャの人々と、ジャナラリター・デ・カタルーニャのみなさんに深く感謝します。そして先日のロルカの地震の犠牲になられたみなさんにも、深い哀悼の意を表したいと思います。(バルセロナ共同)

2011年7月20日 (水)

音声版つきスピーチ(上)

友人から作家村上春樹さんのカタルーニャ国際賞受賞スピーチが届きましたので再録します。

映像は見えなくなったそうですが、音声はまだ利用できます。下記をクリックして音声版を聞きながら読むとわかりやすいと思います。(10分)

http://player.video.search.yahoo.co.jp/video/a5ed727e1adb82b808f98c4f94d4598e

カタルーニャ国際賞スピーチ原稿全文(上)

カタルーニャ国際賞の授賞式で、スピーチする作家の村上春樹さん=スペインのバルセロナで2011年6月9日、ロイター 9日のスペインのカタルーニャ国際賞授賞式で配布された作家村上春樹さんの受賞スピーチの原稿全文は次の通り。(原文のまま)

 「非現実的な夢想家として」

 僕がこの前バルセロナを訪れたのは二年前の春のことです。サイン会を開いたとき、驚くほどたくさんの読者が集まってくれました。長い列ができて、一時間半かけてもサインしきれないくらいでした。どうしてそんなに時間がかかったかというと、たくさんの女性の読者たちが僕にキスを求めたからです。それで手間取ってしまった。

 僕はこれまで世界のいろんな都市でサイン会を開きましたが、女性読者にキスを求められたのは、世界でこのバルセロナだけです。それひとつをとっても、バルセロナがどれほど素晴らしい都市であるかがわかります。この長い歴史と高い文化を持つ美しい街に、もう一度戻ってくることができて、とても幸福に思います。

 でも残念なことではありますが、今日はキスの話ではなく、もう少し深刻な話をしなくてはなりません。

 ご存じのように、去る3月11日午後2時46分に日本の東北地方を巨大な地震が襲いました。地球の自転が僅かに速まり、一日が百万分の1.8秒短くなるほどの規模の地震でした。

 地震そのものの被害も甚大でしたが、その後襲ってきた津波はすさまじい爪痕を残しました。場所によっては津波は39メートルの高さにまで達しました。39メートルといえば、普通のビルの10階まで駆け上っても助からないことになります。海岸近くにいた人々は逃げ切れず、二万四千人近くが犠牲になり、そのうちの九千人近くが行方不明のままです。堤防を乗り越えて襲ってきた大波にさらわれ、未だに遺体も見つかっていません。おそらく多くの方々は冷たい海の底に沈んでいるのでしょう。そのことを思うと、もし自分がその立場になっていたらと想像すると、胸が締めつけられます。生き残った人々も、その多くが家族や友人を失い、家や財産を失い、コミュニティーを失い、生活の基盤を失いました。根こそぎ消え失せた集落もあります。生きる希望そのものをむしり取られた人々も数多くおられたはずです。

 日本人であるということは、どうやら多くの自然災害とともに生きていくことを意味しているようです。日本の国土の大部分は、夏から秋にかけて、台風の通り道になっています。毎年必ず大きな被害が出て、多くの人命が失われます。各地で活発な火山活動があります。そしてもちろん地震があります。日本列島はアジア大陸の東の隅に、四つの巨大なプレートの上に乗っかるような、危なっかしいかっこうで位置しています。我々は言うなれば、地震の巣の上で生活を営んでいるようなものです。

 台風がやってくる日にちや道筋はある程度わかりますが、地震については予測がつきません。ただひとつわかっているのは、これで終りではなく、別の大地震が近い将来、間違いなくやってくるということです。おそらくこの20年か30年のあいだに、東京周辺の地域を、マグニチュード8クラスの大型地震が襲うだろうと、多くの学者が予測しています。それは十年後かもしれないし、あるいは明日の午後かもしれません。もし東京のような密集した巨大都市を、直下型の地震が襲ったら、それがどれほどの被害をもたらすことになるのか、正確なところは誰にもわかりません。

 にもかかわらず、東京都内だけで千三百万人の人々が今も「普通の」日々の生活を送っています。人々は相変わらず満員電車に乗って通勤し、高層ビルで働いています。今回の地震のあと、東京の人口が減ったという話は耳にしていません。

 なぜか?あなたはそう尋ねるかもしれません。どうしてそんな恐ろしい場所で、それほど多くの人が当たり前に生活していられるのか?恐怖で頭がおかしくなってしまわないのか、と。

 日本語には無常(mujo)という言葉があります。いつまでも続く状態=常なる状態はひとつとしてない、ということです。この世に生まれたあらゆるものはやがて消滅し、すべてはとどまることなく変移し続ける。永遠の安定とか、依って頼るべき不変不滅のものなどどこにもない。これは仏教から来ている世界観ですが、この「無常」という考え方は、宗教とは少し違った脈絡で、日本人の精神性に強く焼き付けられ、民族的メンタリティーとして、古代からほとんど変わることなく引き継がれてきました。

 「すべてはただ過ぎ去っていく」という視点は、いわばあきらめの世界観です。人が自然の流れに逆らっても所詮は無駄だ、という考え方です。しかし日本人はそのようなあきらめの中に、むしろ積極的に美のあり方を見出してきました。

 自然についていえば、我々は春になれば桜を、夏には蛍を、秋になれば紅葉を愛でます。それも集団的に、習慣的に、そうするのがほとんど自明のことであるかのように、熱心にそれらを観賞します。桜の名所、蛍の名所、紅葉の名所は、その季節になれば混み合い、ホテルの予約をとることもむずかしくなります。

 どうしてか?

 桜も蛍も紅葉も、ほんの僅かな時間のうちにその美しさを失ってしまうからです。我々はそのいっときの栄光を目撃するために、遠くまで足を運びます。そしてそれらがただ美しいばかりでなく、目の前で儚く散り、小さな灯りを失い、鮮やかな色を奪われていくことを確認し、むしろほっとするのです。美しさの盛りが通り過ぎ、消え失せていくことに、かえって安心を見出すのです。

 そのような精神性に、果たして自然災害が影響を及ぼしているかどうか、僕にはわかりません。しかし我々が次々に押し寄せる自然災害を乗り越え、ある意味では「仕方ないもの」として受け入れ、被害を集団的に克服するかたちで生き続けてきたのは確かなところです。あるいはその体験は、我々の美意識にも影響を及ぼしたかもしれません。

 今回の大地震で、ほぼすべての日本人は激しいショックを受けましたし、普段から地震に馴れている我々でさえ、その被害の規模の大きさに、今なおたじろいでいます。無力感を抱き、国家の将来に不安さえ感じています。

 でも結局のところ、我々は精神を再編成し、復興に向けて立ち上がっていくでしょう。それについて、僕はあまり心配してはいません。我々はそうやって長い歴史を生き抜いてきた民族なのです。いつまでもショックにへたりこんでいるわけにはいかない。壊れた家屋は建て直せますし、崩れた道路は修復できます。

 結局のところ、我々はこの地球という惑星に勝手に間借りしているわけです。どうかここに住んで下さいと地球に頼まれたわけじゃない。少し揺れたからといって、文句を言うこともできません。ときどき揺れるということが地球の属性のひとつなのだから。好むと好まざるとにかかわらず、そのような自然と共存していくしかありません。

 ここで僕が語りたいのは、建物や道路とは違って、簡単には修復できないものごとについてです。それはたとえば倫理であり、たとえば規範です。それらはかたちを持つ物体ではありません。いったん損なわれてしまえば、簡単に元通りにはできません。機械が用意され、人手が集まり、資材さえ揃えばすぐに拵えられる、というものではないからです。

 僕が語っているのは、具体的に言えば、福島の原子力発電所のことです。

 みなさんもおそらくご存じのように、福島で地震と津波の被害にあった六基の原子炉のうち、少なくとも三基は、修復されないまま、いまだに周辺に放射能を撒き散らしています。メルトダウンがあり、まわりの土壌は汚染され、おそらくはかなりの濃度の放射能を含んだ排水が、近海に流されています。風がそれを広範囲に運びます。

 十万に及ぶ数の人々が、原子力発電所の周辺地域から立ち退きを余儀なくされました。畑や牧場や工場や商店街や港湾は、無人のまま放棄されています。そこに住んでいた人々はもう二度と、その地に戻れないかもしれません。その被害は日本ばかりではなく、まことに申し訳ないのですが、近隣諸国に及ぶことにもなりそうです。

 なぜこのような悲惨な事態がもたらされたのか、その原因はほぼ明らかです。原子力発電所を建設した人々が、これほど大きな津波の到来を想定していなかったためです。何人かの専門家は、かつて同じ規模の大津波がこの地方を襲ったことを指摘し、安全基準の見直しを求めていたのですが、電力会社はそれを真剣には取り上げなかった。なぜなら、何百年かに一度あるかないかという大津波のために、大金を投資するのは、営利企業の歓迎するところではなかったからです。

 また原子力発電所の安全対策を厳しく管理するべき政府も、原子力政策を推し進めるために、その安全基準のレベルを下げていた節が見受けられます。

 我々はそのような事情を調査し、もし過ちがあったなら、明らかにしなくてはなりません。その過ちのために、少なくとも十万を超える数の人々が、土地を捨て、生活を変えることを余儀なくされたのです。我々は腹を立てなくてはならない。当然のことです。(バルセロナ共同)

2011年7月19日 (火)

23日奈良町寄席、法徳寺にて

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奈良市十輪院町の法徳寺は、十輪院の西隣であり、陶芸の万葉窯の東隣にあるお寺です。

融通念仏宗のお寺であり、いろいろなことに理解あり、コンサートや寄席などいろいろな企画をされています。

23日土曜日、午後6時開演で添付のように奈良町寄席を行われるそうです。

先日は「毎年恒例の毘沙門天のお祭りが、14日宵祭り、15日本祭りがあり、子供らでにぎわっておりました。」というメールを知人からもらいました。下の写真4枚です。

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女子サッカー W杯優勝!!

7月18日、朝早くから暑さの中、扇風機を回して、テレビの音消して全得点場面を見てました。

延長後半最後のコーナーキックで沢選手のみごとなシュートで追いつき 日本キーパーのすごいセーブでPKで勝利。
まさかの優勝にびっくりです。どちらもお疲れさんでした。粘り強かった。チーム全員の勝利です。


ドイツでの女子W杯在米の友とメールで応援交わし


やったぁー日本女子すごいねーW杯サッカー見事優勝


最近、女性に日本をひっぱってもらわないといけない、と言う人いますが、 ほんとだなーと思います。

2011年7月18日 (月)

5、奈良ソムリエのバスガイドUさんと薬師寺

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この日ガイドしていただいたのが奈良交通のUさん。最初に東大寺南大門、大仏殿でご案内をされたのを聞いて、ガイドさんに、「奈良検定もっておられるのではないですか?」とたずねました。何しろすばらしい説明であったからです。丸暗記というのではなく、整然とまとめられて説明されていたからです。

ガイドさんいわく、「はい、ことしソムリエ(奈良検定の最上級)をもらいました」、との謙虚なお言葉。さすがでした。

「奈良交通のバスガイドでも、ソムリエはふたりしかいません」、ということでしたが、この日ガイドをしていただきラッキーでした。宮崎県ご出身とのことでした。もともと歴史好きだったとのことでした。

あちこちでの説明をうかがい、なるほどここは知っているけれど、ここは知らないな、というところがあちこちでありました。勉強になりました。暑いので、説明はいつも日陰で、というご配慮もありました。(写真は、薬師寺にて。)

ガイドさんご紹介の修学旅行生の笑い話、「サイトウさんのそばのコンドウさんの家にはトウトウ(TOTO)=トイレがある。」とか。

「東塔をしっかり見てください。7,8年間、解体修理で見られなくなります」

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Pict0008 (この日は暑く、空も真夏のぽっかりとした雲がうかんでいました。玄奘三蔵院から見る東塔と西塔が並ぶ姿です。)

ところで薬師寺さんのお話。実は6月名古屋のホテルでの話。業界の総会の会場の前で、青年会議所のころからそして現在奈良ロータリークラブでご一緒の山田法胤薬師寺ご住職、兼喜光寺ご住職にばったりお会いしました。行基さんの会で毎月名古屋でお話をされているということでした。7月に薬師寺をたずねますと、言いましたら、お坊さんのお話を聞いてくれたら良いということでした。

バスガイドさんが薬師寺受付でお願いしてくれましたので、金堂の中で30分間、いすに座ってお坊さんの法話をうかがいました。(これなど個人で行くとなかなかお願いできないものです)締めくくりに2000円の般若心経のお写経の話を聞きました。

金堂の薬師三尊を拝観のあと、国宝三重塔(東塔)へ。先月解体法要がありましたので、いつ解体修理が始まるかわからない、始まると7,8年は拝見できないラストチャンスでした。

Yakusi3 会津八一は薬師寺でも歌を残しています。

すゐえん の あま つ をとめ が ころもで の 
ひま にも すめる あき の そら かな

ちょうど東塔の水煙を詠んでいます。くわしくは素空氏のhpをご覧下さい。

そして大講堂、東院堂を見学して、玄奘三蔵院へ。平山郁夫画伯の大壁画のある、大唐西域壁画殿を見て、西ノ京駅そばに回送してくれていたバスへ到着。見学時間90分、2時30分。全国からこられた皆さんを、バスは京都へお送りしました。西ノ京で別れて、わたしは電車で奈良に戻りました。(この日は、奈良の世界遺産4ヶ所を見学できました)、暑い中、充実した一日でした。

薬師寺のhpです。http://www.nara-yakushiji.com/

(1泊2日奈良のミドルのための修学旅行おわり)

4、暑さの中の平城宮跡へ

大仏殿のあと、昨年の平城遷都1300年には来られなかった方の強いリクエストで、予定通り平城宮跡にバスでいきました。

最初、ちょうど映像が始まる、歴史館に入場しました。うまいタイミングで12分の多面のスクリーンのVR映像、そして、遣唐使船の8分の映像の後、遣唐使船に乗り込みました。

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説明を受けて、つぎは朱雀門へ。涼しい所でガイドさんの説明を受けました。朱雀門のそばの自販機で水分を補給して、近鉄電車の踏切を超え、大極殿へ。ゴルフ場なら広くて良いなぁとか、畑をこしらえたら良いなぁとか、それぞれにいろいろな希望を言いながら、その広さに驚いておられました。

ようやく大極殿を見学、少し時間が足りないので、早めに平城宮跡資料館へ。涼しいところでようやく一息ついて、回送してくれたバスに乗り込みました。

平城宮跡の4ヶ所見学、1時間40分。11時30分。ガイドさん曰く、「修学旅行生でも、なかなかついてこれない距離であり内容です、すこし時間が足りないですね」、ということでしたが、無事ひとりの落伍者もなく、皆なんとか歩いて見学されました。暑さの中なかなかたいへんなスケジュールでした。

バスは昼からの薬師寺へ見学のため、おすすめの食事処、「たまゆら」に行き涼しいところで1時間、おいしい昼ご飯で皆さんには好評でした。

2011年7月17日 (日)

3、東大寺大仏殿へ参拝

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朝8時30分バスで奈良ホテルを出発、まずは、東大寺大仏様へ。南大門の説明を聞いて仁王様を見上げ、そして、大仏殿へ歩きました。ガイドさんから大仏殿や大仏様の大きな写真を見ながら説明をうかがいました。参拝した一同それぞれ修学旅行以来や久しぶりの参拝、初めての参拝などを喜んでおられました。(大仏様の写真はこの角度からがおすすめで、大仏様だけ写真は撮って良いそうです)

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大仏殿前には国宝の音声菩薩の灯籠がもどられていました。昨年の東京国立博物館の展示のあと、修理をされたとか、ひさしぶりに拝見することができました。音声菩薩8枚のうちの2枚はのちに作られたものとか。「東南の音声菩薩はトーナン盗難」にあわれたとか、というガイドさんの説明でした。

駐車場からの歩く時間を含めて見学時間は40分でした。

2011年7月16日 (土)

2、朝の散歩、早朝の春日大社へ

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(写真はクリックするとすべて大きくなります)

奈良ホテルの新館の朝は涼しく、鳥の声なども聞こえ快適でした。朝5時20分、このところ早朝の奈良公園散歩をしていませんし、「泊まって奈良の朝を感じる旅」、が大切だということで、散歩に出かけることにしました。

タオルとお茶をもって、奈良ホテルから荒池を通って、春日大社一の鳥居から参道を歩きはじめました。日頃見過ごしている、影向の松、馬出橋、おんまつりの御旅所、平等院をモチーフに作られたという  旧奈良県物産陳列所など、人の少ない中でめずらしく目に付きます。また、この春生まれた子鹿も母鹿と一緒に散歩しています。

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春日の森からの木もれ陽がきれいです。

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春日大社本殿はまだ扉が開いていませんでしたが、早朝からお参りの方がおみえでした。知り合いのご夫妻も仲睦まじく散歩されていて久しぶりにお会いできました。

春日大社ではいま、20年ぶりの式年造替をされていて、檜皮などの寄進の募集されていました。

下禰宜の道、ささやきのこみちを久しぶりに歩き、1時間あまりの散歩、無事奈良ホテルにもどりました。友人たちも思い思いに、奈良ホテルの近くの散歩を楽しまれたということでした。

春日大社のhpです。http://www.kasugataisha.or.jp/

2011年7月15日 (金)

1、サンルートホテル奈良、奈良ホテルそして奈良雅楽アンサンブル

Scimg5550 Sp7130008s (写真は奈良ホテル正面玄関です)

先日、二十数人の全国の業界の皆さんの会合を奈良で行ない、幹事をつとめました。様子を5回にわたりご紹介します。

1日目全国から集まられて昼集合。昼食をサンルートホテル奈良の地下のおいしい日本料理の「おばな」でいただきました。2000円の昼膳はおすすめです。

もちいどの夢CUBEや当方の店をご案内したあと、全国の業界役員の皆さんの会議を奈良ホテルで行いました。昼間熱心な会合の後、夜は懇親会、奈良ホテルの美味しい料理を皆でいただきました。すばらしいおもてなしでした。夜のふけるのも忘れておいしいお酒もいただきました。

さてこの懇親会には、奈良らしい芸能をということで、奈良町ナイトカルチャーなどでも好評の旧知の由利龍示くんたちの『奈良雅楽アンサンブル』を招きました。出演は、写真右から、笙(しょう)、清水由貴子さん。篳篥(ひちりき)由利龍示さん。笛、由利太啓路さん。

Dvc00090演奏曲目は、平調(ひょうじょう)、音取(ねとり)、越殿楽(えてんらく)、太食調(たいしきちょう)、合歓塩(がっかんえん)別称・太平楽急(たいへいらくのきゅう)、といった有名な曲やアンコールでは抜頭(ばとう)という曲が演奏されました。そのほか、「アメージング・グレース」や「ふるさと」などふだん雅楽では聴けない曲を演奏され、また合間のおしゃべりなども巧妙で、たいへん好評でした。

それにしても全国からの皆さん、奈良ホテルでの宿泊は喜んでいただけました。そういえば奈良ホテルは先月NHKの全国放送、ひるどき・・・という番組でも紹介されています。わたしは毎週奈良ホテルには訪れていますが、宿泊は実に数十年ぶり二度目のことでした。

奈良ホテルのhpです。http://www.narahotel.co.jp/

2011年7月14日 (木)

世界遺産の法隆寺へ

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5月に友人と出かけた法隆寺ですが、わたしは西院の方にはそのとき時間がなくていけませんでした。気になっていましたので、暑い日でしたが出かけてきました。

暑さゆえ、修学旅行生らがすこしいるくらいで、人出は少なくゆっくりと拝観できました。

世界遺産の石碑は平山郁夫さんが書かれていました。

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久しぶりに見る国宝の金堂の内陣は、LED照明になり、よく見えるようになっていました。また消失した壁画も模写がそれぞれのところに展示されているのがよく見えました。

涼しい百済観音堂などをゆっくり拝観したあと、はじめて国宝の西円堂などにも足を伸ばしてみました。(写真右)

法隆寺には、国宝134点、重要文化財2307点を含む膨大な文化財があるということです。

法隆寺のhpです。http://www.horyuji.or.jp/

2011年7月13日 (水)

大和郡山市の箱本館「紺屋」などへ

大和郡山市はすぐとなりの都市です。この春、町の中の幹線道路が開通し、6月には箱本十三町観光案内所ができたというニュースをききました。通りがかりに訪問して、観光パンフなどをいただきました。ボランティアガイドの皆さん3人に丁寧に教えていただきました。

http://www.city.yamatokoriyama.nara.jp/kankou/kanko/info/002442.html

箱本館「紺屋」をはじめてたずねました。入場料300円。箱本十三町の歴史、藍染のこと(体験工房もありました)、金魚のことなど、古い建物で拝見することができました。

前の道には、紺屋川という幅1mくらいの川が流れています。

箱本館「紺屋」のhpです。http://www.hakomoto.com/

2011年7月12日 (火)

雨の大安寺へ

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南都七大寺のひとつ、大安寺は、熊凝精舎(くまごりしょうじゃ)→百済大寺→大官大寺→大安寺と名前も場所も変遷したたいへん古いお寺です。716年に平城京左京六条四坊に移されたそうです。そして、唐から帰朝した道慈が天平元年(729年)から住して寺号を大安寺と改めたとあります。

現在住職は、河野良文師。以前は、笹酒をいただく光仁会を訪問しましたが、今回雨の日は、しっとりとした境内でした。

本堂を拝観し、収蔵庫の木造の観音像などを拝観することができました。

大安寺のhpです。http://www.daianji.or.jp/

また会津八一は大安寺あたりでも歌を残しています。

大安寺をいでて薬師寺をのぞむ

 しぐれ ふる のずゑ の むら の このま より 
 み いでて うれし やくしじ の たふ

(時雨降る野末の村の木の間より見出でてうれし薬師寺の塔)

会津八一の研究家、素空氏の解説です。

写真左は、奈良ロータリークラブのモーニングウォーク奈良の地図。唐招提寺への道。そして薬師寺への道がお勧めです。右は歴代のゆかりの僧侶の五輪塔です。(クリックすると大きくなります)

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そして昨年の4月の当ブログ、三条通を行く、天平の行道です。http://narabito.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/43.html

2011年7月11日 (月)

もちいどのセンター街・夢CUBE1区画募集中

もちいどのセンター街の夢CUBEのSANKAKUさんは、昨年の出店以来ご存知のとおり大活躍です。

で、手狭になったので夢CUBEを卒業して、この秋いよいよ近隣商店街で独立されるということです。

そのあとの場所をこのたびもちいどのセンター街では募集しています。つぎにチャレンジする人はどなたでしょうか。

くわしくは以下もちいどのセンター街のhpをご覧下さい。

http://www.mochiidono.com/CCP107.html

7月23日、花芝商店街で地蔵盆 「まんとくん来たる!!」

T02200165_0800060011281620656 (昨年の様子をhpから拝借)
「2011年7月23日(土)奈良市花芝町 花芝商店街で花芝地蔵盆を開催。十福地蔵さまへの感謝と子供達の笑顔が溢れる心温まる催しです。」とのことです。
昨年、拝見しましたがことしも「まんとくん」も登場するそうです。
「昨年の花芝地蔵盆では50名以上でゲリラダンスを繰り広げました。
今年も7月23日(土)16時から行われる花芝地蔵盆で行う予定です。
現在の予定では、16時30分、17時30分、18時30分
の合計3回行う予定です。昨年一緒に踊ってくれたまんとくんももちろん来てくれます!そして、今年はまんとくんのお友達も・・・?
現在、参加者大募集中です!
興味がある方は、花芝商店街 奥本 0742-31-2330(カシュガシュ内)cg@cache-gache.com
くわしくは特設サイトができたそうです。ttp://hanashiba.com/
はなしば日記はhttp://ameblo.jp/hanashiba/

2011年7月10日 (日)

7月8日お薬師さんのお参りに興福寺へ

Pict0001 Pict0002 Pict0003 (写真はクリックするとすべて大きくなります)

7月8日は、恒例のお薬師さんのお参りの日です。興福寺の五重塔の南東にある菩提院大御堂に、橋本町有文化財の数々を安置していただいています。

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始まる前に、多川俊映興福寺貫首とお話できました。

多川貫首いわく「大震災後、いろいろな展覧会などで人の入場が減っているが、興福寺はおかげですこしは減っているけれど、たくさんお参りにきていただいている。最近北円堂のかつての門や回廊あたりの発掘調査がはじまった。中金堂工事は少し遅れているけれど進んでいます。中金堂の完成のあと、北円堂の回廊や門を整備できればと思っています。ところでブログは続けてますか?」

わたし「はい。なんとか続けています。。興福寺さんのPRなどもさせていただいています。ところで、南大門の基壇整備されていますが、南大門もできるのですか?」

多川貫首「中金堂再建だけでたいへんです。南大門は基壇を整備するだけです。」

わたし「薪御能はまた南大門前でされるのですか?」

多川貫首「はい、来年からまた南大門前の広場で行ないます」

多川貫首のお姿をブログに載せますからと写真を1枚とらせていただきました。にこやかな表情です。ますますのご活躍をお願いしたいと思います。

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ほどなく多川貫首を導師に、橋本町の皆さんとご一緒にお薬師さんの回向と焼香のお参りをしました

24日はお薬師さんの右横に安置されているお地蔵様、千体地蔵様へのお参りです。

興福寺東金堂、国宝館へ

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暑い昼下がり、すこし時間がありましたので、思い立って興福寺の東金堂と国宝館を拝観してきました。(写真左は、再建すすむ中金堂、右は東金堂正面扉)

春や秋のような行列はなく、スムーズに入館できました。仏様の気配と空調で快適に拝観できました。

暑い夏こそ、おすすめです。

興福寺のhpです。http://www.kohfukuji.com/

2011年7月 9日 (土)

三橋先生から「丸の内商店会」のポスター紹介

三橋重昭先生のご了解いただきましたので、全文、三橋先生のメルマガを引用させていただきます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

皆様:

 私は、最近大学等で、躍進するショッピングセンター(SC)から商店会(街)は、何を学ばなければならないのかを講義する時があります。
 確かに、SCは、一つの単位として、計画、開発、所有、管理運営される、商業・サービス施設の集合体で、人工的につくられるすばらしいものがあります。
 しかし、私はSCの創世記から関わってきていますが、SCは多くのところで商店街に学んできたことも事実です。

 JR東京駅丸の内側で『丸の内商店会』のポスターが注目されています。 ↓
 
http://www.marunouchi.com/feature_jp/message2010/
  
 ポスターの文面は、下記の通りです。
     ここは『丸の内(ヒトをくすぐる)商店会』

『 丸の内の皆さま、こんにちわ さて、近頃はネット社会で ショッピングも大変ベンリになりました。
とはいえ、例えば服を買う時 まずは手にとって触れ お店の人のアドバイスにも耳を傾け
じっくり鏡の前で見たいと思ったことはありませんか。

また、グルメ情報など持ち合わせていたとしても 匂いにひかれてフラリと入った店の
おいしかったことありませんか?

見る、聞く、匂う、味わう、触れる 丸の内には、丸ビル等を中心に仲通り沿いのお店も含めて 人間の感覚器官のどこかをくすぐる 約500もの店舗が集まっています。

ビジネス街の真ん中で、商店会という ノスタルジックな名前がついています。

そこには私たちが忘れてはいけない 何かがあると思っています。 ようこそ、 私たちは丸の内(ヒトをくすぐる)商店会です。』


 上記のキャッチフレーズは、丸の内に自然にできあがった商店街、商店会のものはありません。 三菱地所をデベロッパーとする一大SCのものです。
 
 ただ、日本を代表する大企業が、商店会の原点を実現しようと訴えている様子はよく理解できます。 上記のキャッチフレーズは、日本の商店街が失った大事なことを訴えています。
 
平成23年7月7日

  メルマガ URL :
http://www.egroups.co.jp/group/machiz/
  (過去のメッセージも検索機能付きでご覧いただけます)

☆ 三橋重昭著 『よみがえる商店街』 ↓ 「学芸出版社」より刊行

http://www.gakugei-pub.jp/mokuroku/book/ISBN978-4-7615-1262-0.htm


NPO法人まちづくり協会 
http://news.tmaj.jp/
三橋重昭
〒112-0002
東京都文京区小石川2-3-26-403
Tel 03-3812-4158

ならポン、情報

近頃の奈良はいろいろな動きがあります。ならポン、情報です。

「こんばんわ。ならポンです☆ならポンはお手持ちの交通系ICカードやおサイフ携帯がポイントカードになり、奈良県のいろんな素敵なお店で使える奈良県の新しいサービスです!加盟店様も大募集しています☆導入から使用までのサポートもバッチリさせていただきます!どんどんご加入お待ちしています☆」

「ならポンは7/9(土)近鉄奈良駅横噴水広場で登録キャンペーンをします!お手持ちの交通系ICカードやおサイフ携帯が、いろーんなお店で使えるポイントカードに!当日ご登録の方にもれなく50ポイント差し上げます!」とのことです。

ならポンのhpです。
http://www.narapon.jp/

2011年7月 8日 (金)

歌垣・吉田智江さん「ならそら」のCD

ならそら実行委員会からの情報です。

「2011年7月7日リリース、歌垣・吉田智江「ならそら」収録曲「やさしい光」のPV。奈良市街地にあるお店など、58ヶ所の風景を繋ぎ合わせました。神社仏閣や大仏、鹿だけではない「今の奈良」がここにあります。 」とのこと。

すばらしい歌声を聴くことが出来ます。http://www.youtube.com/watch?v=qZjL-5LEJL4&feature=youtu.be

またいろいろ知ったお店や人がでてきてびっくりです。もうひとつのバージョンでは奈良の空が映し出されます。 歌垣・吉田智江さんのCDが発売されました。奈良のあちこちで、また器まつもりでも販売開始しました(1000円)。

ホケノ山古墳へ

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(クリックすると大きくなります)

有名なホケノ山古墳をたずねました。箸墓古墳のすこし東にありました。

最近読んだ小説の内田 康夫著「箸墓幻想」を思い出して興味深い古墳でした。奈良検定のテキストには「前方後円墳である。後円部中央の埋葬施設は通有の竪穴式石室ではなく、『石囲い木槨』であった。コウヤマキ製の木棺が収められていた」とあります。

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大市墓へ

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奈良検定のテキストには、大市墓(おおいちぼ)と書かれています。「箸墓古墳は邪馬台国の女王卑弥呼の墓という説もありわが国において最も著名な古墳の一つである。」

「現在は宮内庁によって第七代孝霊天皇皇女、倭迹迹日百襲姫尊命(やまとととひももそひめのみこと)の大市墓として管理されている」

「墳丘長280mの前方後円墳でも古層を示すとされる。」

纒向の発掘が進み、邪馬台国であり、この大市墓が卑弥呼の墓ではないかという説が強くなっているようです。

崇峻天皇陵と書かれていました

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桜井市の聖林寺から櫻井駅方向に走っていると、崇峻天皇陵と書かれていましたので立寄りました。

奈良検定のテキストには、崇峻天皇陵のことは直接書かれていません。「天王山古墳は、桜井市倉橋、方墳、築造6世紀末、この古墳は江戸時代には崇峻天皇倉梯岡上陵とされていた」とあります。

地図で見ると、この崇峻天皇陵と天王山古墳はすぐ近くにあります。

2011年7月 7日 (木)

50cm下の桜井、展

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ひさしぶりに桜井市の大神神社の大鳥居前の、桜井市埋蔵文化財センターをたずねました。ここでは、10月2日まで、桜井市での平成22年度に調査された、50cm下の桜井、の企画展をされていました。

大きく報道された、茅原大墓古墳です。楯持人埴輪です。

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纒向遺跡も桃核が2765点と大量に発掘されたり、土器類、木製容器、木製品、ガラス粟玉、魚類・鳥類・哺乳類やイネ・モモなどの栽培植物の種実や花粉といった動植物遺存体などいろいろなものが出土したそうです。

また建物の模型が展示されていました。

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桜井埋蔵文化財センターhttp://www.city.sakurai.nara.jp/bunkazai/index.htmlは入場料200円、展示内容もすばらしく、写真も自由に撮って良いところがとても良いと思います。

休館日は要注意です。毎週月・火曜日(祝日の場合は開館)及び祝日の翌日(月曜が祝日の場合は水曜日も休館)

2011年7月 6日 (水)

桜井の聖林寺へ

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(上の右の2枚は聖林寺から三輪山をのぞむ景色です。クリックすると大きくなります)

談山神社から下ると、聖林寺のそばを通りましたので、ひさしぶりに拝観してきました。

本尊の石造の地蔵尊。

そして観音堂に行くと、国宝の十一面観音菩薩像を拝観することができました。

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会津八一も聖林寺で歌を残しています。

 あめ そそぐ やま の みてら に ゆくりなく
 あひ たてまつる やましな の みこ

 歌意
 雨のふりそそぐ山寺の聖林寺で、思いがけない山階宮の皇子にお会い申したことだ。

くわしくは素空氏のhpをごらんください。

手書きの説明が新鮮です。

2011年7月 5日 (火)

7月16日から奈良国立博物館では

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奈良国立博物館では、7月16日(土)から8月28日(日)まで、「天竺へ」特別展がひらかれるそうです。藤田美術館の国宝「玄奘三蔵絵」初の全巻大公開。三蔵法師3万キロの旅、ということです。

また同じ時、「初瀬にますは与喜の神垣」として、與喜天満神社の秘宝と神像も特別陳列されるそうです。奈良国立博物館のhpです。http://www.narahaku.go.jp/

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暑い時期の博物館はおすすめです。

2011年7月 4日 (月)

弁財天まつり、お薬師さん、大峰山お参り

Img_384008_16021540_1 (写真は昨年の様子です)

もちいどのセンター街の通り中央のオーケストビル1階にお祭りしてある、弁財天のお祭はことしは6日をメインに行なわれます。夕方から、お参りのあと、こどもみこしや大蛇がでます。しもみかどーもちいどのーひがしむきー近鉄奈良駅を往復します。オーケスト広場ではいろいろな屋台が出ます。もちいどのセンター街ブログに昨年の様子がのっています。http://blogs.yahoo.co.jp/nara_mochiidono/archive/2010/07/07

7日は朝10時から興福寺三重塔で弁才天供です。

また橋本町では8日夕方興福寺にお祭りしていただいている、お薬師さんを皆でおまいりします。

いろいろなお祭が中心市街地や興福寺でおこなわれます。

なお、ことしの餅飯殿大峰山講の大峰山まいりですが、7月30日早朝出発ー大峰山登山(日帰りの予定)です。くわしくはもちいどのセンター街の掲示板をご覧下さい。4年前に登った様子は以下のブログでごらんください。http://narabito.cocolog-nifty.com/blog/2007/07/post_44f6.html

2011年7月 3日 (日)

7月13日第1回「なら・デザインカフェ」を初!開催

Img130 (クリックすると大きくなります)

「奈良デザイン協会(NDA)は、総会にて中川佳英子新会長を選出し、新たなスタートを切りました。これまでの実績を踏まえ、今後もデザインを通して奈良に貢献できるようがんばります。」

ということで、7/13(水)19時より21時30分第1回「なら・デザインカフェ」を初!開催します。皆様のデザインに対する思いや考えを一緒に語り合いましょう! 詳細はこちら http://naradesign.org http://www.mahoroba.ne.jp/~nda/index.html」という紹介をいただきました。

奈良でデザインに関心ある人は、500円ですからぶらりきてくださいということです。場所はもちいどのセンター街のオーケストビル2階の、コミュニティスペース「コミュズギャレ」です。

ポスターのデザインがユニークです。ふたりの人がいろいろしゃべっています。

そして口元が「コーヒーカップ」。若手デザイナーの田中秀二氏の作。

奈良の中心市街地はあの有名な田中一光氏の出身地であり、洋画家の絹谷幸二氏を輩出したところ。奈良とデザインは密接だと言っておられます。

申し込みは、奈良デザイン協会へ。 nda@naradesign.org

2011年7月 2日 (土)

速報、冷酒まつり始まる

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7月2日朝11時、餅飯殿センター街のマーチャントシードセンターで、まちなか市場の第4弾冷酒まつりがオープンされました。

せんとくんにまんとくん、仲川げん奈良市長に、ミス奈良のみなさん。仲川げん奈良市長のごあいさつのあと、 鏡開きがおこなわれました。そのあと早速、1杯をいただきました。

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1階の奥の方では、日本酒のカクテルが人気でした。500円で冷たいカクテルを、かぎろひさんや酒仙堂さんたちと昼間から盛り上がって飲みました。ブログでよくコメントいただく、会津八一研究家のやいちさんも早朝、姫路からきていただき、お会いすることができました。朝から元興寺、伝香寺も行ってこられたとのことでした。遠来のお客様にお会いできるのはとてもうれしいことです。

ネットにて会いし会津八一の研究家奈良に来られて対面うれし 重博

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会場では東北民謡、花笠音頭などの尺八と三味線の演奏も行われていました。

東北のお酒を買い求め、奈良の伝統工芸の研修生の手作りのグイ飲み盃をいただきました。

冷酒まつりは、きょう2日とあす3日も開かれています。ぜひお越しください。

7月9日の午後、奈良女子大で

友人S君から以下のようなご案内が届きましたのでご紹介します。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

7月9日の午後、奈良女子大で、産学官民連携の下記のような催しが開催されるそうです。

KNS in 奈良女子大学
~ 平城遷都1300年祭後の新たな可能性を求めた異分野大交流会 〜

http://www.kns.gr.jp/schedule/751.html

「きたまち」鍋屋町交番活用など、関西でのさまざまな産学官民連携の事例報告が、盛りだくさんにあるようですが、あるくん奈良でおなじみの、奈良女子大のMさんも「トリ」で報告されるような。
参加資料費1000円、あとの交流会費3000円だそうです。
(上記サイトから、申込みフォームにより参加申込みください)

2011年7月 1日 (金)

入江泰吉 大和の暮らし―昭和20年~30年代― 展in奈良市写真美術館

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7月になりました。暑い夏は涼しい美術館で過ごすのは節電にもなり、快適でおすすめです。

入江泰吉 大和の暮らし―昭和20年~30年代― 展が7月2日から9月25日まで、奈良市写真美術館で開かれます。(バスの写真はhpから借用。)

ミュージアムショップで販売されている、入江泰吉 「古都の暮らし・人」昭和20年から昭和30年代の写真集は、なつかしく、かつ貴重です(たしか2000円くらい)

また美とこころ―入江泰吉 京の庭―  も同時開催されます。

奈良市写真美術館の展覧会案内のhpです。http://www1.kcn.ne.jp/~naracmp/tenran_new.html

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