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2011年6月30日 (木)

多武峰の談山神社へ

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飛鳥から多武峰の談山神社の道を車で登りました。 談山神社は秋の紅葉が有名ですが、実にひさしぶりに行きました。ちょうど秘仏・談峯如意輪観音像を拝観することができました。

重要文化財の木造十三重塔です。祭神は藤原鎌足。

「舒明・皇極二代の天皇の世、蘇我蝦夷と入鹿親子の勢力は極まって、国の政治をほしいままにしていました。この時、中臣鎌子(後の藤原鎌足公)は強い志を抱いて、国家の正しいあり方を考えていました。

たまたま飛鳥の法興寺(今の飛鳥寺)で蹴鞠会(けまりえ)があったとき、聡明な皇太子として知られていた中大兄皇子(後の天智天皇)にまみえることができ、西暦645年の5月、二人は多武峰(とうのみね)の山中に登って、「大化改新」の談合を行いました。
後にこの山を「談い山」「談所ヶ森」と呼び、談山神社の社号の起こりとなりました。

ここに鎌足公は真の日本国を発想し、日本国が世界に誇る国家となるため、一生涯を国政に尽くしました。天智天皇8年(669)10月、鎌足公の病が重いことを知った天智天皇は、みずから病床を見舞い、大織冠(たいしょくかん)を授けて内大臣に任じ、藤原の姓を賜りました。藤原の姓はここに始まります。

鎌足公の没後、長男の定慧和尚は、留学中の唐より帰国、父の由縁深い多武峰に墓を移し、十三重塔を建立しました。大宝元年(701)には神殿が創建され、御神像をお祭りして今日に至ります。 」(神社の略記より)

談山神社のhpです。http://www.tanzan.or.jp/

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神仏分離以前は、寺院であり、多武峯寺或いは多武峯妙楽寺という名称であった。」という説明もありました。

毎日新聞やまと歌壇(9月1日)より

北円堂また談山神社の霊域に防空壕が掘り出されたり   重博

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