「フェノロサと会津八一」
「フェノロサと会津八一」奈良の寺院・仏教・精神文化をこよなく愛した二人、というフェノロサ讃仰記念講演会が三条通りの浄教寺・本堂でありました。
講師は、日本フェノロサ学会会長であり新潟の会津八一記念館館長の神林恒道先生です。
フェノロサの講演が奈良の三条通の浄教寺で明治21年6月5日に、岡倉天心の通訳で行われたことを記念しての講演会でした。
フェノロサの講演の結びの言葉
「奈良ノ諸君ニ告グ」
「今日奈良ニ存在セル古物ハ 独リ奈良一地方ノ宝ノミナラズ
実ニ日本全国ノ宝ナリ
否、日本全国ノ宝ノミナラズ
世界ニ於テ復タ得ベカラザル至宝ナリ。
故ニ余ハ信ズ
此古物保存護持スルノ大任ハ
即チ奈良諸君ノ宜シク尽スベキ義務ニシテ
又奈良諸君ノ大ナル栄誉ナリ。」と。
平城京以後の仏都としての奈良
廃仏毀釈の破壊運動。
文明開化という近代化運動。
フェノロサと日本。
そして優れた美術品を生み出した日本人の心の発見者として、和辻哲郎「古寺巡礼」と会津八一「鹿鳴集」をあげられ、とくに会津八一のことを語られました。
交通不便な頃の35回の奈良訪問。
古典主義者としての会津八一。
ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)というギリシャ人との電撃的な出会い。
日本ギリシャ学会(本当は漢字です)と奈良美術研究会の設立
おほてらの まろきはしらの つきかげを つちにふみつつ ものをこそ おもへ
会津八一と「万葉集」 郷土の先人、良寛を通じて知った。また正岡子規との交流
会津八一は懐古趣味ではなく、自分自身が万葉びととなろうとした。
やまとぢの るりのみそらに たつくもは いづれのてらの うへにかもあらむ
「作者は北国の生まれ、幼時より、一年の大半を、常に灰色の曇天のみを眺めつつ育ちたらばにや、畿内、関西の天空の晴朗なるに感嘆する傾向あり。ことに大和河内の空は明澄にして常に美しく見ゆ」
会津八一の奈良の自詠自筆歌碑17基の歌。
最後に会津八一の「学規」が紹介され説明を加えられました。
「ふかくこの生を愛すべし
かへりみて己を知るべし
学芸を以て性を養ふべし
日々新面目あるべし」
美学に関する識見にあふれた2時間にわたるお話でした。
十分には伝えきれませんが素晴らしい講演会でした。
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