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飛鳥から多武峰の談山神社の道を車で登りました。 談山神社は秋の紅葉が有名ですが、実にひさしぶりに行きました。ちょうど秘仏・談峯如意輪観音像を拝観することができました。
重要文化財の木造十三重塔です。祭神は藤原鎌足。
「舒明・皇極二代の天皇の世、蘇我蝦夷と入鹿親子の勢力は極まって、国の政治をほしいままにしていました。この時、中臣鎌子(後の藤原鎌足公)は強い志を抱いて、国家の正しいあり方を考えていました。
たまたま飛鳥の法興寺(今の飛鳥寺)で蹴鞠会(けまりえ)があったとき、聡明な皇太子として知られていた中大兄皇子(後の天智天皇)にまみえることができ、西暦645年の5月、二人は多武峰(とうのみね)の山中に登って、「大化改新」の談合を行いました。
後にこの山を「談い山」「談所ヶ森」と呼び、談山神社の社号の起こりとなりました。
ここに鎌足公は真の日本国を発想し、日本国が世界に誇る国家となるため、一生涯を国政に尽くしました。天智天皇8年(669)10月、鎌足公の病が重いことを知った天智天皇は、みずから病床を見舞い、大織冠(たいしょくかん)を授けて内大臣に任じ、藤原の姓を賜りました。藤原の姓はここに始まります。
鎌足公の没後、長男の定慧和尚は、留学中の唐より帰国、父の由縁深い多武峰に墓を移し、十三重塔を建立しました。大宝元年(701)には神殿が創建され、御神像をお祭りして今日に至ります。 」(神社の略記より)
談山神社のhpです。http://www.tanzan.or.jp/
「神仏分離以前は、寺院であり、多武峯寺或いは多武峯妙楽寺という名称であった。」という説明もありました。
毎日新聞やまと歌壇(9月1日)より
北円堂また談山神社の霊域に防空壕が掘り出されたり 重博
29日朝シネマデプトイーストの跡地の塀がなくなり、広い更地がみえました。初めて見る光景です。(奥にもちいどのの駐車場が見えます)
このあと地に、7階建て80戸(駐車40台)の分譲マンションが予定されています。1階に小さな店舗(数坪)。
施主は京阪電車不動産、業者は長谷川工務店です。
三条通りのここにマンションは?という声もありますし、ホテルが建ったら良いのにとか、店が申し訳程度すぎる、車40台とは多過ぎる(日祝の歩行者天国が損なわれたり、渋滞が発生する)とか意見があります。
実際の様子をご覧いただくことをおすすめします。
(もう真夏のような空です。クリックすると大きくなります)
安野光雅さんの「日本のふるさと、奈良」の展覧会にいってきました。奈良や飛鳥の風景や奈良の仏像、そして平家物語の絵がたくさん飾られていました。
わざわざ安野さんの故郷の津和野まで展覧会を見に行った人の話も聞いていましたので、なんとか期間中にいけたのですが、残念ながら6月26日で終了しました。
絵はむろんのこと、解説がなかなか素敵でした。本の「奈良」は完売されていましたので残念ながら買うことはできませんでした。展覧会は早めに出かけることが良いとあらためて思いました。また暑い夏や雨の天気の日は、美術館や博物館は快適です。
会場の万葉文化館の庭の歌碑も拝見してきました。杉岡華邨さんの揮毫。
下は今井凌雪さんの揮毫です。
6月24日に奈良市議会本会議で、議長選挙が行なわれ、同数のため最後はくじ引きで、上原 雋(しゅん)市議が、選ばれました。
長年、建設や土建の方が議長に選ばれていましたが、今回実に久しぶりに非建設議員の議長が誕生し、注目されています。
また副議長には民主党の議員が選ばれたとのことです。
2年前の7月の選挙での上原しゅん議員の公約を掲げたhpがありました。http://www.geocities.jp/shun_nara/index.html
今後を期待したいと思います。
構想会議から、復興ビジョンが政府に提出されました。新聞で要旨を読みました。
26日朝刊の毎日新聞の見出しは「復興、財源増税で」と書かれています、また現在のデフレ下での増税は大問題だと思います。
前文はすばらしいと思います。「つなぐ」、「支える」、「希望」、「共生」、今ある「いのち」などがキーワードです。
全文は以下で読むことができます。
http://www.cas.go.jp/jp/fukkou/pdf/kousou12/teigen.pdf
「高齢者や弱者にも配慮したコンパクトなまちづくり、くらしや
すさや景観、環境、公共交通、省エネルギー、防犯の各方面に配慮したまちづくりを行う。とりわけ景観については、地域住民の徹底的話し合いと納得によって、統一感のある地域づくりが望まれる。」
「また、再生可能エネルギーと生態系の恵みを生かす地域づくりや、次世代技術等による産業振興、地域資源の活用と域内循環を進めることにより、地域の自給力と価値を生み出す地域づくりを行うべきである」
「住民間の合意形成とまちづくり会社等の活用、地域住民のニーズを尊重するため住民の意見を取りまとめ、行政に反映するシステム作りが不可欠」、と書かれています。
これらは復興のためだけでなく、今、奈良市にも求められていることだと思います。
今年の世界遺産の選考で、日本の小笠原諸島と東北の平泉が無事登録されたということです。平泉は3年前に落選して再度の挑戦、しかも東日本大震災の今、たいへん元気付けられることではないかと察します。
平泉からHIRAIZUMIへというhpがありました。http://www.pref.iwate.jp/~hp0907/index.html
小笠原諸島の紹介hpです。http://ogasawara-info.jp/
奈良にはすでに3件の世界遺産がありますが、「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」も新たに登録を目指しているそうです。
7月2日3日の土曜日、日曜日。奈良もちいどのセンター街のマーチャントシードセンターでは、奈良の清酒の醸造元の協力で、冷酒まつりが行なわれます。奈良市のまちなか市場の催しの一環です。
今回は姉妹都市の福島県の郡山市のお酒も特別に販売されるそうです。
2日は11時からオープニング。この日は、せんとくんに、この日3才1ヶ月を迎える人気の「まんとくん」http://mantokun.net/もきてくれるそうです。
すぐそばの私どもの「器まつもり」http://homepage2.nifty.com/matsumori/でもお酒の器いろいろをお値打ちに提供いたします。どうぞお出でかけください。
生駒谷を南へ、平群町の竜田川の東岸(近鉄線の東のあたり)に有名な長屋王の古墳がありました。妻の吉備内親王の古墳や紀氏神社、また石棚をもつ横穴式石室のある三里古墳が近くにあります。
(写真はクリックすると大きくなります)
(追記)
奈良まほろばソムリエのtetsudaさんから、コメントいただきましたので、追記します。コメントありがとうございました。
「ところで、この古墳は、長屋王墓ではありません。極めて遠回しながら、奈良検定テキストに、そう書かれています。鳩山氏なら「ペテン師」と断じるところですが…。
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/22ab88737ac4e676381741f025a96edc
検定テキストには、このような落とし穴がたくさん用意されていますので、ソムリエをめざす方は、十分ご注意ください。」
(画面をクリックすると写真が大きくなります、左の写真の緑の壁の上のほうに投入堂が見えます)
親睦旅行で、鳥取方面に行きました。三朝温泉に泊まりましたので、行程をかえてもらい、以前から仰いで見たかった国宝の三徳山の投入堂(なげいれどう)の下、遥拝所と書いてあるところへいきました。
そこからさらに数百メートルほど上でしょうか、緑の壁に投入堂をかすかに見ることができました。1300年ほど昔、役行者がつくったということです。
また、かつて不自由な身体で、写真家の土門拳さんが10人ほどに助けられ登って、写真を季節ごとに何度か撮られたということを思い出しました。(参考、小学館文庫、土門拳「古寺を訪ねてー東へ西へ」)
三朝観光ガイドがよくわかります。http://www.misasa-navi.jp/275/
(写真はクリックするとおおきくなります)
梅雨の合間の平日に、1泊2日のバスによる地元の親睦旅行で、鳥取県倉吉市の重要伝統的建造物群保存地区を見学しました。地元ボランティアの女性ガイドさんによる説明をききながら町を歩きました。
「倉吉、くらしよい倉吉のまちです」というフレーズを何度もはさみながらのガイドです。これは耳の残る良い言葉だと思いました。
小さな川には鯉が泳いでいました。水はきれいで流れもありました。しっくいの壁は、しょうゆやさんです。
1号館から15号館くらいまで古い建物を再利用され、「白い漆喰に黒の焼き杉板、屋根には赤い石州瓦、そしてゆるやかな反りを持つ石橋の倉吉独特の景観」だということです。
とても落ち着いた町並みでした。公式hpがありました。http://akagawara.net/
奈良から天理へ行く道の旧道(上ツ道)にはいり、帯解寺前は何ども通ったことがあるのですが、はじめてお参りに門をくぐりました。近くにありますのでいつでも行けると思っていたお寺のひとつです。ご本尊は子安地蔵尊です。前の道は狭いのですが、境内はずいぶん広いお寺です。
皇室などへ腹帯を献納されたりして有名です。安産祈願などおめでたいことしか扱わないので「めでたい寺」だと聞きました。7月23日24日は地蔵祭とのこと、バス停にポスターが貼ってありました。
つい近くの奈良市小川町にある伝香寺ですが、ふだんは公開されていませんでしたのでなかなか拝観することができませんでした。このたび、「福徳招来 大和 地蔵十福」でお参りになる方には、ということでふだんも公開されることになりました。駐車場の受付から入りました。
「伝香寺は戦国時代の大名、筒井順慶法印(1549ー1584)の菩提所として建立されました。諸記録によると、この地は奈良時代に唐より来朝され、唐招提寺を創建された鑑真和上の高弟、思たく(ごんべんに宅)律師が天平宝亀年間(770ー780)に、故国を偲んで唐風の庵を結んだ処で、実円寺と称されていました。」(いただいたパンフレットより)
写真左、由留木地蔵石仏
真ん中は、重要文化財の地蔵菩薩立像、裸形像として造立されている為、通称「はだか地蔵尊」として親しまれている。胎内納入品の願文により、1228年の年記が認められ、比丘尼妙法、唯心らによって発願された春日社の本地仏であることが判明した。元、興福寺延寿院の本尊。
境内にはいさがわ幼稚園があります。先ごろ、唐招提寺執事長で伝香寺住職であり、いさがわ幼稚園長の西山師は藍綬褒章を受けられました。
伝香寺はだか地蔵を拝むとき明るく聞こゆ園児らの声 重博
そして右は中門です。
有名な奈良の三名椿のひとつ。伝香寺の散り椿(武士椿もののふつばき)です。
あと2つは東大寺の「糊こぼし」、白毫寺の「五色椿」です。
富雄川ぞいの、霊山寺はなんども通りかかっていたのですが、参拝する気持ちがないといかないもので、今回はじめて訪ねました。
富雄や周辺は住宅地ですので、そんなに広いお寺であるとは知りませんでした。駐車場の受付で600円支払うとまず鳥居があります。弁財天と書かれています。お寺で鳥居というのは珍しいのですが、柱にお経の一節が書かれています。神仏習合ということでしょうか。そして近鉄奈良駅前や御所の九品寺で拝見したのとよく似た行基菩薩像があります。しばらく歩くと左手には薬師の湯という大浴場がありますが、やはり昔もあったそうです。
右の写真は本堂で、国宝だそうです。本尊の薬師如来は秘仏で拝見することはできませんでした。
そして弁財天へ。うしろに、黄金殿、白金殿がつくられています。これが奈良検定で出されたことだなと、わかりました。たしかに金色、白銀色でした。
そして入口付近に戻ると、ばら庭園が広がっています。たいへんな種類と数でした。
ゴルフの練習場や霊山タクシー経営など多角的な霊山寺ですが、たいへん歴史が古いお寺だということです。またお寺の広さにも感心しました。霊山寺のhpです。http://www.ryosenji.jp/
矢田丘陵のずいぶん高いところにあるお寺です。父の還暦の厄除け参りに30数年前に行って以来ですからずいぶん年月がたちました。あの日は2月の午の日でしたのでたいへんな人出で、ずいぶん下から皆で歩いた思い出があります。そしてわたしもすでに父の還暦の年を過ぎたのですから、まさに光陰矢の如しです。
この日は平日の普通の日でしたので、奈良学園中学高校の近くを通り、急坂ながら車で門前の駐車場まであがることができました。ご利益で言えば、やはり下から登るのが良いと思うのですが。
松尾寺は天武天皇の皇子、舎人親王(とねりしんのう)は718年養老2年に42歳だったので、「日本書紀」の完成と厄除けのために建立したといわれているそうです。
原発事故「日本自らの手で過ち」 作家の村上春樹さんがスペインでスピーチ
日経新聞電子版に、映像がありました。短い文ながら、説得力があります。
http://www.nikkei.com/video/?bclid=67379774001&bctid=986244972001
わたしたちは二度とあやまちをおこしません、わたしたちはもう一度この言葉を心に刻み込まなくてはいけません。
追記
どなたかがこのスピーチの全文をYOUTUBEにアップしてくれています。4つに分かれています。タイトルは「非現実的な夢想家として」。
1、http://www.youtube.com/watch?v=ZL-W7tX1Z-Y&feature=relmfu
2、http://www.youtube.com/watch?v=SL9LnI0jK0k&feature=relmfu
3、http://www.youtube.com/watch?v=nui_LBMUgps&feature=relmfu
4、http://www.youtube.com/watch?v=OfEjGjiK9Bs&feature=relmfu
アプレ・ゲールならぬアプレ・フクシマと注目すフランス国営放送 重博
すでに何冊も奈良に関わる短編小説を出しておられますが今回、奈良を感じる短編小説… 大和路ろまん文庫作品募集! ということだそうですので、紹介します。どうぞ応募してみてください。
《内容》
奈良の文化的、歴史的な魅力や、豊かな自然を背景にしたラブストーリーを募集します。四季折々の奈良県の各地を舞台とする愛情溢れるストーリーであれば設定は不問。ただし、未発表作品に限ります。あなたの奈良の物語をお待ちしております。
《応募規定》
400 字詰め原稿用紙25 ~ 30 枚程度。ワープロ原稿はA4 よこ置・縦書きで、40字×40 行で印字し7枚程度とする。表紙として1枚目にタイトル、氏名(ペンネーム可(ふりがな)、本名)、住所、電話番号、職業、生年月日を明記。また、200 字
程度のあらすじも書いてください。右肩をとじ、下記まで郵送してください。
《応募先》
〒630-8325 奈良市西木辻町139 番地の6
京阪奈情報教育出版株式会社「大和路ろまん文庫」係
当社ホームページも参照ください。
http://narahon.com 「大和路ろまん文庫」で検索。
《締め切りおよび発表》
締め切り日:平成23 年8月20 日必着
発表:9月20 日、当社ホームページ上にて。
《賞》
大 賞 1編 副賞図書券3万円および「大和路ろまん文庫」として出版し、100 冊贈呈。
優秀賞 数編 副賞図書券1万円および「大和路ろまん文庫」として出版し、100 冊贈呈。
《諸権利》
受賞作品の出版権、二次使用権は主催者に帰属します。
大和路ろまん文庫とは……
四季折々の奈良を舞台とした、短編の愛情物語。冊子を手にした人が「奈良っていいな」「また来たいな」と感じてもらえるような小説シリーズを目指して、2009 年7月から毎月発刊を続けており、ならまち各所で無料配布しています。
今年4月には、バックナンバーの電子書籍化も始まり、iPhone、iPad で読むことができるようになりました。(AppStore で大和路ろまん文庫で検索)
《主催》
京阪奈情報教育出版株式会社
《後援》
くわしくは当社ホームページにて [大和路ろまん文庫] 検索
6月に入り、紫陽花アジサイの話題があがると、奈良ではやはり大和郡山市矢田の矢田寺です。(朝日新聞によれば関西で1番、全国でも3番の人気スポットということです)
正式には金剛山寺こんごうせんじ、というそうです。矢田の地蔵として有名です。数年ぶりに訪れました。
紫陽花園はぐるりと回って、紫陽花を見ることができました。6月7日平日の合間に訪れましたが、まだ早めでまだまだゆっくり拝見できそうに思いました。
毎日7月3日まで近鉄郡山駅とJR法隆寺駅から奈良交通の臨時バスがでているということです。
矢田寺のhpです。http://www.yatadera.or.jp/
友人U氏に紹介されてこの4月に書かれたという「原発のウソ」という新書を読みました。著者は有名な京都大学原子炉実験所 助教 小出 裕章氏。クリックすると先日参議院で証言されたYOUTUBEを見ることができます。。
「原発のウソ」 扶桑新書 本体740円。目次を紹介します。
まえがき 起きてしまった過去は変えられないが、未来は変えられる
第1章 福島第一原発はこれからどうなるのか
第2章 「放射能」とはどういうものか
第3章 放射能汚染から身を守るには
第4章 原発の”常識”は非常識
第5章 原発は「未来のエネルギー」か?
第6章 地震列島・日本に原発を建ててはいけない
第7章 原子力に未来はない
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最後に述べられている印象に残る言葉は、
「原発を止めること、原発を止めても困らない」、
「もし安全な地球環境を子どもや孫に引き渡したいのであれば、その道はただ一つ。『知足』しかありません。代替エネルギーを開発することも大事ですが、まずはエネルギー消費の抑制にこそ目を向けなければいけません。」と。
友人たちもこのところ、たくさん地震、津波そして原子力の本を読んでおられます。
そしてこの本の中にもひとりだけ尊敬する先生として水戸厳先生のことを書かれています。
また同じように他の友人T氏からも、水戸先生の30年以上前に原発のことを指摘された講演録の紹介を受けましたので紹介します。http://yokoblueplanet.blog112.fc2.com/blog-entry-3092.html
3.11以降、皆、悩み考えいろいろな生の情報を得ようとしておられます。同感です。
斑鳩の法輪寺の三重塔は戦時中の落雷で焼けてしまい、国宝が解除され、戦後、幸田文さんらの協力で西岡棟梁の手で再建されたそうです。
金堂そばに会津八一の歌碑がありました。
くわんおん の しろき ひたひ に やうらく の
かげ うごかして かぜ わたる みゆ
(観音の白き額に瓔珞の影動かして風わたる見ゆ)
素空氏の解説です。
「フェノロサと会津八一」奈良の寺院・仏教・精神文化をこよなく愛した二人、というフェノロサ讃仰記念講演会が三条通りの浄教寺・本堂でありました。
講師は、日本フェノロサ学会会長であり新潟の会津八一記念館館長の神林恒道先生です。
フェノロサの講演が奈良の三条通の浄教寺で明治21年6月5日に、岡倉天心の通訳で行われたことを記念しての講演会でした。
フェノロサの講演の結びの言葉
「奈良ノ諸君ニ告グ」
「今日奈良ニ存在セル古物ハ 独リ奈良一地方ノ宝ノミナラズ
実ニ日本全国ノ宝ナリ
否、日本全国ノ宝ノミナラズ
世界ニ於テ復タ得ベカラザル至宝ナリ。
故ニ余ハ信ズ
此古物保存護持スルノ大任ハ
即チ奈良諸君ノ宜シク尽スベキ義務ニシテ
又奈良諸君ノ大ナル栄誉ナリ。」と。
平城京以後の仏都としての奈良
廃仏毀釈の破壊運動。
文明開化という近代化運動。
フェノロサと日本。
そして優れた美術品を生み出した日本人の心の発見者として、和辻哲郎「古寺巡礼」と会津八一「鹿鳴集」をあげられ、とくに会津八一のことを語られました。
交通不便な頃の35回の奈良訪問。
古典主義者としての会津八一。
ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)というギリシャ人との電撃的な出会い。
日本ギリシャ学会(本当は漢字です)と奈良美術研究会の設立
おほてらの まろきはしらの つきかげを つちにふみつつ ものをこそ おもへ
会津八一と「万葉集」 郷土の先人、良寛を通じて知った。また正岡子規との交流
会津八一は懐古趣味ではなく、自分自身が万葉びととなろうとした。
やまとぢの るりのみそらに たつくもは いづれのてらの うへにかもあらむ
「作者は北国の生まれ、幼時より、一年の大半を、常に灰色の曇天のみを眺めつつ育ちたらばにや、畿内、関西の天空の晴朗なるに感嘆する傾向あり。ことに大和河内の空は明澄にして常に美しく見ゆ」
会津八一の奈良の自詠自筆歌碑17基の歌。
最後に会津八一の「学規」が紹介され説明を加えられました。
「ふかくこの生を愛すべし
かへりみて己を知るべし
学芸を以て性を養ふべし
日々新面目あるべし」
美学に関する識見にあふれた2時間にわたるお話でした。
十分には伝えきれませんが素晴らしい講演会でした。
講演で奈良にプロのサイクリングチームがあることを初めて知りました。2010年にできたそうです。なかなか強いそうです。2011年から国内最高峰の実業団レース「ジャパンプロツァー」に参戦。年15戦を戦うとのことです。
hpをご覧ください。http://www.ciervo-nara.com/
まちの中に、あちこりにポスターが貼られています。奈良には奈良クラブというJリーグを目指すサッカーのクラブチームがあるそうです。http://naraclub.jp/
先日、奈良市・鴻池グラウンドで試合があり、奥寺さんの解説でユーストリームの中継があったそうです。
ついでながら、先月の奈良県の中学生のサッカーで、知り合いの息子さんが参加している、育英中学が優勝したとのことです。奈良はもとジャパンのゴールキーパー楢崎選手が育英高校卒業でなかなかサッカーが盛んです。http://blog.livedoor.jp/naraikucyu/
友人ご夫妻によれば、最近、広瀬隆さんの本が売れているそうです。とても良いことだと思います。
わたしは書店で東日本大震災後の4月末に書かれたという朝日新書の広瀬隆著「福島原発メルトダウン」(本体740円)を買い求め、読み終えました。とてもわかりやすく論旨が一貫しているのでとても読みやすくぐいぐいと引きつけられます。
一方菅内閣や東京電力、保安院、原子力委員会などの発表やマスメディアで受ける断片的な情報がすこし隠していて楽観的に聞こえるようにいっているように思います。放射線は体外被爆の被爆量と、さらに問題は体内被爆の蓄積量、そして食物連鎖により濃厚になっていくということです。また若い人や子どもに「ただちに影響はない」という言い方は将来は必ず影響あるということではないかと思います。
そして日本の原発がすべて地震の影響を受けるところに、甘い審査で建っていること、原発がなくてもほかの方法で電力がまかなえること、など明らかにされています。
福井県の若狭湾には原発が10ヶ所以上あるそうです。今まで「津波はないところだ」と説明されてきました。先日、NHKテレビの関西版特集で、織田信長の頃、若狭、丹後など大変お大きな地震、津波があったことが京都の吉田さんという神主さんの日記に書かれていること、そしてその頃のイエズス会の宣教師の日記にも同じことが記されていることです。関電は以前から知っていたけれど社内的に検討の結果あきらかにしなかったが、今回もう一度調べるといっています。
また若狭湾の原発はとても海から近く、しかも低いところにあるということです。また第2次世界大戦中にも、戦後にも、福井地震など大きな地震が起こっています。それから60年たちいま地震活動が活発になっている時期に入っているそうです。全国の原発とともに、若狭湾の多くの原発も徐々にでも停止すべきだと思います。そのためにどうするか、を考えていただきたいと思います。
5月26日に2つの食品スーパーがオープンしたということで、別々の日ですがたずねました。
一つはJR大和路線の西、三条通りから大森町に抜ける道のもと日産自動車のあと地に、関西スーパーがオープンしました。http://super.ffa15.com/shop033003.html食品スーパーとしてよく聞いていた店ですが、奈良は始めて出店です。
また同じ日に、旧24号線のジャスコ南店が退店して長らく更地になっていましたが、そこに「ラ・ムー」http://www.e-dkt.co.jp/information/kyobateという名の24時間営業のディスカウントという食品スーパーがオープンしました。
どちらも平面利用で広い駐車場があります。中心市街地の外縁部というのでしょうか、周辺の人々には便利になる反面、価格競争が強まり、ふたつの食品スーパーの出店を前に、地元資本の食品スーパーの支店が2軒閉店されています。
またJR奈良駅内に来年食品スーパーができるという情報もあります。
奈良県図書情報館長の千田稔先生のお話を聞く機会がありました。(写真は福智院町から大乗院、奈良ホテル方向を望む)
もともと近鉄奈良駅ちかくの現在の奈良地方裁判所に興福寺一乗院(これはたしかに昔の塀が残り一条院跡といわれていたところに私の子供のころも昔の木造の裁判所がありました。最近、道路が陥没して調べたらかつての井戸であったということです)があったのですが、その東の現在の奈良県文化会館の前方に大乗院があったそうです。
そして大乗院は奈良ホテルのところにあった元興寺のある寺院のあとにそこから移転して建てられたとのことです。(写真参照)
興福寺大乗院庭園は善阿弥という庭園師(京都銀閣寺の庭園もつくられた人)が奈良によばれてつくった庭ということです。足利義政もそのあと訪れているそうです。
奈良ホテルの南に大乗院庭園が復元されていますが、大乗院は現在の奈良ホテルがある小高い丘にあったということです。初耳でした。
6月になりました。いつもの野村さんご夫妻の「ぞうさん」です。野村さんはきょう6月1日からならまちで、「にゃらまち猫展」をひらかれるとのことです。http://nyan.rk01.com/
作詞はまどみちおさん。たしか100才を超えておられます。http://www.mado-michio.com/まどみちおさん作詞の歌を歌ったことがありますが、詩は若々しいですね。
最近100才くらいの方の活躍をよく見かけるようになりました。先日はテレビで北海道の農家のおじいさん、元気で一人暮らしのようで、64才で免許を取ったというバイクを今も愛用されて、畑へ通われ、76才の息子を指導して畑をされているご様子でした。
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