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正岡子規の奈良への旅行は、中国へ従軍記者として参加してからだを痛めたあと、静養した故郷の松山から東京へいくときに立ち寄った最後の旅であったと言うことです。奈良の宿である対山楼のあと地は、現在は天平倶楽部というレストランになっています。そこで昼食へ。和膳という2100円の食事はなかなか良いものでした。
食後、すこし雨は降っていたので見晴らしは良くないのですが、天平倶楽部の東の庭、正岡子規の孫の方がつくられたという子規の庭を歩きました。ちょうど東大寺大仏殿の金のシビがみえ、奈良公園がすばらしい借景をつくっています。
子規の庭には「秋暮るゝ 奈良の旅籠や 柿の味」の歌碑がありました。
天平倶楽部には、ぜひ行きたいのですが、なかなか一人では入る勇気がありません。
正岡子規については、二年前の2月に、次のような投稿をしていました。
確か、直木孝次郎先生は『私の法隆寺』で、“正岡子規の行程や天気などを考証すれば、この歌は法隆寺でなく東大寺で作られたものだ。”と言う趣旨のことを書かれていたと思います。
一方、秋艸道人が唐招提寺で詠んだ「おほてらの…」の歌について、本人は別の随筆で“着想は法隆寺で得たらしい。”と書いています。
投稿: やいち | 2010年12月 9日 (木) 16時20分
やいちさん、コメントありがとうございます。 直木先生も存じています。その場所ではなく、他の場所のことを歌うというのもありなのでしょうね。法隆寺と柿というやや微妙なバランスが俳句になったように聞いています。 またよろしく。
投稿: 鹿鳴人 | 2010年12月 9日 (木) 21時01分
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天平倶楽部には、ぜひ行きたいのですが、なかなか一人では入る勇気がありません。
正岡子規については、二年前の2月に、次のような投稿をしていました。
確か、直木孝次郎先生は『私の法隆寺』で、“正岡子規の行程や天気などを考証すれば、この歌は法隆寺でなく東大寺で作られたものだ。”と言う趣旨のことを書かれていたと思います。
一方、秋艸道人が唐招提寺で詠んだ「おほてらの…」の歌について、本人は別の随筆で“着想は法隆寺で得たらしい。”と書いています。
投稿: やいち | 2010年12月 9日 (木) 16時20分
やいちさん、コメントありがとうございます。
直木先生も存じています。その場所ではなく、他の場所のことを歌うというのもありなのでしょうね。法隆寺と柿というやや微妙なバランスが俳句になったように聞いています。
またよろしく。
投稿: 鹿鳴人 | 2010年12月 9日 (木) 21時01分