11月13日奈良県新公会堂で奈良国立博物館の学芸部長の西山厚先生の「奈良時代に学ぶ」という70分間にわたるご講演を聞く機会がありましたので、ご紹介します。
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この平城宮跡での遷都1300年祭は363万人もの人が来たといわれています。平城宮跡だけでなく、県内50数ヶ所の寺社で特別公開され、多くの人が訪れています。ふだん1日数人しか訪れないお寺にも100人も数百人も来られています。各寺社も機会があれば来年以降もやりたいといっておられます。
天平衣装の女性たちも、先日奈良国立博物館にもあの衣装で見学に来てくれましたが、機会があれば続けたいといっています。衣装作りからこまごまとした整理などをされたり、自分たち自身も天平衣装をつけて活動されました。それもボランティアとしてです。
南都古社寺研鑽会という学生さんの集まりも、今年奈良ではじめてできましたし、ナント奈良応援団という南都銀行OBのボランティアの集まりもできました。いろいろな県民の皆さんの活動がありましたし、、機会があれば続けたいといっています。
今年のような奈良と土佐へという人出はありませんが、来年以降も、機会と場を設けて、ぜひ続けていただきたいと思います。
この遷都のお祭りには、出会い、気づき、奈良の良さがあったと思います。
さて「奈良の良さ」というのは何ですか?
奈良の良さは古代と今がつながっていることだといえます。断絶がありません。これは奈良だけです。
なぜ?
「遷都」。都は今もそうですが、常に時代の最先端です。京都は平安時代のあと、鎌倉、室町、桃山、江戸と経て明治以降は都ではなくなりました。
つねに前の時代をおわりにして新しい時代をつくりました。京都の人は、あたらしもの好きともいわれます。わたしも16年間住みましたからそう思います。京都はですから、江戸と室町くらいがのこっているといえます。
奈良は奈良時代がピークです。
正倉院の宝物の95%は日本製です。奈良時代の工芸が最高です。桓武天皇により京都へ遷都されたから、奈良はそれ以上にならず、奈良時代という最高のものがそのまま残ったから良かったとさえいえます。
さて、お水取りは何の行事ですかといわれたら、皆さんが見てそれで帰るおたいまつではなく、そのあと「二月堂でおこなわれる十一面観音様にお詫びしている行事」といえます。752年実忠上人によってはじめられました悔過法要です。(それでも3月1日から14日までおたいまつはここ10数年前にくらべて連日たいへんな人出になりました。)
奈良時代、災いは人間が悪いことをするから起きると考えられました。だから悔過するのです。いいかえれば、東大寺のお坊様が「不退の行法」といって観音様に1259年間欠かすことなく続けて、お詫びし続けてくれている行事といえます。世界でこんなに欠かさず続けられている行事はありません。
薬師寺の花会式も記録に残っているだけで904回続けられています。これも悔過法要です。
奈良時代のころは、個人的な祈りはありませんでした。みんなの幸せを祈りました。
また春日大社の若宮さまのおんまつりは、若宮さまに喜んでいただくお祭りとして、1136年にはじまり、今年は875回目です。すばらしいお祭りです。
また聖武天皇は、災いをすべて自分のせいだと、東大寺の大仏様をつくられました。
以下のスライドのように聖武天皇自身が語っておられます。
大仏様は、足元、腰、胴体、顔といろいろな時代の戦火をうけ、それぞれの時代同じような趣旨で勧進して、鎌倉時代の重源上人、江戸時代の公慶上人らの努力で修理され現在あるすばらしい最高の仏様です。今東京の国立博物館に行っている灯篭は、4つの音声菩薩が描かれ、ふだんは大仏様に音楽をお聞かせしています。先日も大仏殿前で音舞台ということで音楽が奉納されました。最高の舞台です。東京にはありません。奈良にあるのです。
正倉院の宝物も、奈良時代からそのままあの状態で残っていません。修理されています。
1300年前の唐招堤寺の金堂も解体されたり修理されて現在あるのです。
こんど薬師寺の東塔の三重塔も10年間の解体修理されます。その時代、時代で、多くの人々の小さな奉仕で修理され伝えられるともいえます。
ときどき奈良のすばらしい寺社や行事は、奈良に住んでいる人より他からの人がよく学んで来られるといわれます。それは京都でも鎌倉でも同じです。
しかし、すばらしい奈良に住んでいるのですから、奈良の人たちは、奈良のことを学び、伝えていっていただきたいと思いますと結ばれました。
「1300年の時間の堆積。1300年間の人々の営み。場所の力。物語がある。思いがある。」
新公会堂の外は秋色がはじまっていました。
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