興福寺中金堂 立柱式へ
10月16日秋空のもと、暑いくらいの日差しがふりそそぐ中、興福寺の中金堂の立柱式に参列してきました。
朝日新聞は「再建工事が進む奈良・興福寺の中枢・中金堂(ちゅうこんどう)の36本の柱が無事に立ったことを祝う立柱(りっちゅう)式が16日、奈良市登大路町の同寺境内であった。700人が出席、江戸時代の1717(享保2)年に焼失した仏堂の再興を願った。2018年の落慶を目指している。
1300年前の平城遷都とともに藤原不比等(ふひと)によって創建された中金堂は、戦災や火災で何度も焼失。その度、天平時代の規模と形を踏襲して再建されたが、江戸の焼失後は仮のお堂でしのいできた。
立柱式は、藤原氏の氏社である春日大社に伝わる作法にのっとって行われた。宮大工らが柱のそばで木づちを厚板に打ち付ける槌打(つちうち)の儀などがあった。カメルーン産のアパ(アフリカケヤキ)が柱材に用いられたことから、奈良工業高等専門学校に通う同国の留学生も招待され、関係者とともに木づちを手にした。 」と伝えています。
柱材は遠く、アフリカのカメルーンから届いたそうです。
当日、多川俊映貫主のあいさつがありました。「いつの時代も、天平に帰れと再建を繰り返してきた興福寺ですが、こんどの中金堂の再建されたあかつきには、境内に天平の風が吹き、会津八一氏の歌にある仏の庭を実現したい」といわれました。あと8年後に落慶の予定だそうですが、多大な費用は、多くの人々の寄進によるものだと思います。多くの人々の協力なしにはできない大事業でしょう。
興福寺本坊前にある会津八一の歌
はる きぬ と いま か もろびと ゆき かへり
ほとけ の には に はな さく らし も
歌の解説は素空氏のhpに。
「興福寺中金堂の再建をめざしカメルーンの柱立ちたり」(やまと歌壇採歌)
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